薄明の世界 第十二話
「恨めしいお人。和尚のところへ行ったのですね」
どこからともなく現れた綾は、布団の中で目を閉じている宗弦にそっと話しかけた。首筋をすっと触れられ、宗弦は思わずびくりと身体を強張らせる。意識があることは知られているだろう、綾はふっと笑った。目を開けていなくとも分かる。
綾は、自分にしっかりと意識があることを分かっている。
からかっているのだろうか。宗弦は、自分自身の目の前に現れることすら、からかわれているような気がしてきた。恨みつらみは短い時間で収まるほど単純なものではなく、時をかけて絡まり続け、それは複雑に巻かれた解くことのできない糸のようなものだ。
解くことなどできるわけもないし、宗弦自身、解こうとも思っていない。
自分を分かってもらおうなどと、甘い考えはない。ただ、忘れてさえくれればそれでいい。むしろ、それが最も難しいことなのかもしれないが。
「あのご老体をあなたはいつまで苦しめるおつもりですか?」
宗弦は怒りを隠せずに目を見開き、無言で綾を睨みつけた。
怒りに身体が震え、掴みかかれるものならばそうしたいと強く思った。
布団の中では、拳を強く握り締めて生ぬるく、すべるような感覚が両手にじわじわと現れ始めた。
宗弦はここでふと、冷静になるよう自らに言い聞かせた。
我を忘れて怒りに身を任せ、人を憎むことは、誰にでもできる。
だが、感情のままに流されず、弊害をこうむったとしても流水のごとく、ゆったりと平然とすることは容易なことではない。
そう接しなければならない。
そうならなければ、自分自身のためにもならない。
「親は子を思う。子は親を思う。何が悪いと言うのだ。そのことが苦しめることだとすれば、私は喜んで和尚を苦しめよう。喜んで、憎まれよう。それは、おまえにも言えることだ」
「戯言でございますね、宗弦さま。私があなたさまを苦しめていることをお忘れですか」
「それが、私にとって喜びとなる」
嘘だ。
「私はあなたさまが憎い。苦しめて差し上げたい。それが喜びと申されるのですか。それならば、あなたさまは今でも私を愛してくださりますか?」
「それはできぬ。私は生者、おまえは死者だ」
「本当に恨めしいお人。殺して差し上げたくなる」
「それすら、喜びだ」
嘘だ。
喜びなど、得られるはずがない。とうに棄てた感情だ。
「ならば、ご老体を……」
「やめろ!」
その時、すでに綾は消え去っていた。