薄明の世界 第十話 | 連載小説 ~物語で愛を描こう~

薄明の世界 第十話

「済まなかった。このような真似をするつもりなど、毛頭なかったのだが、少し事情が込み合っていてな。結果的にそなたの怒りを買うようなことをしてしまった。本当に申し訳ないと思っている」




 決して落ち着いた色とは言いにくい群青色の羽織袴で、背中の中心に扇を象った家紋が施されている。この辺りを領地としている沖浦家の家紋が、扇形だった。だからこそ、後姿しか見えないこの羽織袴の人物が沖浦家の当主であるとすぐに分かった。


 沖浦秀重――。


 弱冠十九という若さで当主となった人物でありながら、類まれなる努力と精神力を用いて家臣を率い、三十五歳となった今では名君として世に知られているほどだった。そんな名君と呼ばれる当主だからこそ、宗弦は憤慨を隠し切れなかった。




「どのような事情がおありか存じませぬが、見下げた行動――もはや、愚鈍としか言いようがございませぬ」




 宗弦の言葉を挑発と受け取り、沖浦秀重の護衛の一人が刀の柄に手を伸ばし、今にも抜かんとばかりに鋭い視線で睨みつけている。




「よせ。宗弦の言うとおりだ。それもこれも我が愚かなる家臣の一人が、戯けたことをしたばかりに、このようなことになったのだ。怪しい男に金を渡して、そなたを捜させたそうだ」




「それとこれとどのような関係があるというのです」




 宗弦は食い下がらなかった。


 自分でも不思議に思うくらい、目の敵にしている。




「町人風の男だそうだが、怪しすぎるのだ。名を石田の佐吉と言ったか。このような大それた名前を付けるなど言語道断。すぐさま、その石田の佐吉とやらを捕らえようとしたのだが、見つからぬ有様。そして、我が沖浦家に巣食う悪霊――何故か胸騒ぎがしてな。急遽、私が出向くことにしたのだ」




「石田の佐吉とは大層ですね。しかし、その胸騒ぎは空振りのようです。私はこの通り無傷。ご心配はありがたいですが、自分の身は自分で守ります。例え、破戒僧の身であっても」




「くれぐれも気をつけてもらいたい。それから、我が沖浦家の悪霊払いを依頼したい。今すぐにでも出向いてもらって払ってもらえればありがたいのだが、そなたにも準備というものがあろう。考えておいてくれ」




「分かりました」




「我が沖浦家の亡霊は綾ではないかと思っている」




「そうでしょうね。そうでなければ、私のところへ依頼に来るはずがない。ただの悪霊払いならば、比叡で修行を積んだ高僧に頼んだほうが正確です」




「そなたの力も相当なものだと聞き及んでいるぞ。謙遜することはない。それでは、邪魔をした。今日の侘びを後日したいと思っている」




「お忘れになられませ。ただ、二度となさらぬようにお願いいたします」




 丁寧な言葉の中に、宗弦ははっきりとした意思をもって応えた。


 いくら金目のものが自分の家の中にないとは言え、土足で踏みにじるような真似をされるのは、二度と経験したくはない。


 もし、綾が姿を現せば、話はややこしくなるばかりだ。


 この長屋には誰も入れたくはない。


 沖浦秀重とその家臣たちは、早々に宗弦の長屋から出て行った。


 宗弦は一息つく。


 そして、もう一つ探らなければならないことが見つかったことを知った。いい加減、嫌気が差してくるところだが、放っておくわけにも行かない。


 綾をこのままにしておくわけにはいかないのだから。




「石田の佐吉……馬鹿げた名前だ。太閤殿が崩御されて、どれだけの時間が流れているか知って言っているのか?」



 宗弦は声を上げて笑った。

 

 久しぶりに、心から笑っていた。


 石田佐吉。


 太閤、豊臣秀吉に仕えた、治部少輔・石田三成のことに違いない。


 ただただ、宗弦は笑った。


 洒落にもならない。


 まだ見ぬ現在の石田三成を思って、笑っていた。