薄明の世界 第六話
宗庵和尚の目は穏やかだった。その澄み切った目は、年齢をも忘れさせる。一転の曇りもなき眼に見つめられて宗弦は何故か、安心感を覚えた。
父のような……いや、父の目だった。
孤児だった宗弦にとって、宗庵和尚は血の繋がりがない肉親だった。
「何でも知っておるよ。わしの元から離れたその時から、使いの者を出してはおまえに何事もなきよう、見張っておったのよ。死んでもらっては困る。この世から消えてもらっては困るのだ。未だに、わしはおまえをこの寺の跡継ぎにと思っておる」
「何故、私にそこまで気をお使いなさるのです」
「他の小坊主らは孤児でありながら、わしに引き取られることで孤独を忘れてしまったのだよ。しかし、それではならんのだ。孤独から逃げては何の解決にもならぬ。孤独を知り、孤独を打ち破り、孤独を乗り越えなければならぬ。何度教えても、駄目だった。だが、おまえはわしが教える以前から、そのことを知っているかのようだった」
孤独を打ち破ったことなどないと宗弦は口にしたかった。
だが、宗庵和尚の自分への期待を裏切ることも宗弦にはできなかった。
「息子よ、帰っては来ぬか。わしもそう長くはない。しかしこの寺をなくすのも惜しい。おまえにこの寺を継いでもらうのが、わしの願いだ」
宗弦は黙り込んだ。声が出なかった。出せなかった。
少しでも出せば、嗚咽のような情けのない声が出てしまう。それと同時に、とめどなく涙が流れるだろう。
一人ではないのだ、決して。
ここには父がいる。
こんなどうしようもない自分を求めてくれる人が居る。
それだけで、充分だった。お世辞だったとしても、嘘だったとしても、和尚からその言葉を聞いただけで目に涙がこぼれそうになる。
宗弦は涙がこぼれぬよう、天井を仰ぐ。薄汚れ、古びた天井の板張りは今にも崩れんばかりに老朽化が進んでいる。夜、布団に潜り込み、何度となく眺めていた小坊主だった頃、この天井はもっと頑丈でもっと高くそびえていたように記憶している。
あれから十年足らずで、廃墟のようになってしまった。
完全に廃れている。
ここには、宗庵和尚の全てが詰まっている。今にも崩れそうなこの場所に、和尚の一生分がここに刻み込まれている。
宗弦には重すぎる。
和尚の想いがふかく刻み込まれたこの寺を守っていく自信は、どこにも見当たらない。
ましてや、公言していないとはいえ破戒僧だ。隠して住職になったとしても、噂を運ぶ風は敏感だ。破戒僧が住職を務めていることなど、すぐに周知の事実となるだろう。
「考えて、おきます。とりあえず、綾の件を済ませなければなりません」
精一杯の言葉に、和尚は満足そうな笑みを浮かべた。
「そういえば、沖浦家は悪霊に取り付かれているという噂を聞いたことがある。もしやとは思うがな」
「調べてみる価値はあるように思います。ご助言、誠にありがとう存じます」