好きな教科、嫌いな教科ブログネタ:好きな教科、嫌いな教科 参加中



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得意ではありませんでしたが数学は大好きです。
また反対に比較的よい成績を修めていた教科でしたが、どちらかと言えば英語は嫌いでした。
先ず最初に後者の好きではなかった科目について、その理由や背景を書き綴って参ります。
得意ではありながらも英語が好きになれなかった訳は「日本語も正しく使いこなせない半人前の輩が他国の言葉を学ぶ意味」を理解する事が出来なかった事実を挙げられるでありましょう。
これ以外には他に動機や根拠が見つかりません。
さて次に前者の苦手ながらも好む数学について書き記して行く事に致します。
数学は「唯一つの解答(または回答)を多角的な視点から、あらゆる可能性を探って追求して行く妙味」が先ず最大の惹きつけられる部分であり、かつまた「人類社会に在って要求され得る様々な要素」を学ぶ事が出来る点にも限り無い魅力的な何かを感じて参りました。
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そのような時は一切ありません。
何故ならば時間や電話代が無駄だからです。
有意義な話題を語り合う以外は他人と何かを話す意味など全く無いでしょう。
そう言った暇を生じる事が出来るのならば、それは知識や教養を深める為に使用したい、と考えてしまいます。
人間は他の生命体である動植物と比較した時、社会や文明、若しくは自然や環境、或いは一切の存在に於ける未来や将来、等と言った概念の使命や責任を担っている生き物である、とは言えないでしょうか
これは、ともすれば非常に傲慢な意見の主張と捉えられなくもないでしょう。
しかしながら、このような上記に掲げた諸問題と真剣に向き合って改善の為に取り組む事が可能な存在は他に居ない筈なのです。
そう言った観点から申し上げますと、やはり無意味な時間の浪費は絶対に避けるべきである、と言わざるを得ません。
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泣きません。
昔から泣く事は男にとって最大の恥辱である、と言うような価値観や考え方を持って生きて参りましたので、どのような理由が介在しようとも人前で涙を見せる事だけは今後も絶対に無い、と申し上げられるのではないでしょうか
さて、この話題は打ち切る事に致しまして、ここからは『涙』や「泣く事」に『歓喜』と『悲哀』の二通りが存在している事実についての個人的な見解や考察を述べて参ります。
何故、人は嬉しい場面や悲しい時に涙を流して泣くのでありましょうか
この『涙』を伴う二つの相反する場合を念頭に於いて考えを推し進めますと、そこには非常に抗し難い感情の表出を見て取れる気が致します。
つまり、この方向性で考えて参りますと涙には溢れ出て来ようとする抑え難い感情の進行を塞ぎ止める制御弁としての意味や働き等がある、と言う事が出来ないでしょうか
涙は感情の堤防である、と考えます。