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野田首相好き? 参加中

「好き」ではないです。
寧ろ「嫌い」と言うべきでしょう。
そもそも顔や姿と言った見た目に対して先ず嫌気を感じるのですが、それだけが「嫌い」であるとか「好きではない」と言う理由ではありません。
これから述べる内容は個人的かつ独善的な意見や考え方である旨を先ず申し上げておくべきでありましょう。
これは、もしかしたら単なる勘違いか、または思い過ごし等に属する事なのかも知れませんが総理大臣を彼に変えてから天候不順や異常気象の発生する頻度が少しばかり多くなって来た気が致します。
もし、これが気のせい等ではなく、それなりに確かな事実であると言う結論や断定になるならば、ただ事では済まされません。
無論この自説や主張を立証する術など皆無ですし、また証明し得たにしても、どうにも出来ない事です。
しかしながら、そうだとしても言わないでは居られませんし、また書かずに居る事も出来ません。
僕が座右の銘として来た東洋、特に中国の思想(主に兵法書)には天下と政治家との関係性に言及した言葉や考え方が幾つも存在しております。
それ等の一つである『六韜』(『文師』より)には「天下は一人の天下に非ず、すなわち天下の天下なり。天下の利を同じくする者は、則ち天下を得、天下の利を擅にする者は、則ち天下を失う。天に時あり、地に財あり。」と言う一文が有るのですが、こう言った理想的な論理や定義は今の政府与党である民主党と内閣総理大臣に、よく理解して頂き実行へと移して貰いたい倫理観や道徳律である、と考える次第です。
勿論この中(『六韜』の『文師』)で云々している天下は民衆を指しておりますから天下と天や空を混同してはなりませんし、また同一視など絶対に致しません。
ですが、もし人智を遥かに超越した究極的な概念や存在(例えば経済学者アダム・スミスの表現である「神の見えざる手」等)が有る、または居るとするならば、ここで提起している理論を成立させて後押しする事も可能でしょう。
もし「天下に該当し得る国民は落胆や絶望を感じて嫌悪感と拒否反応に支配されつつ政治を拒絶している、その感情を自然界(人間を超越した存在や概念の一例)は代弁して反映させる意味で現象に変えている」のだとしたら、これ以上は異常な事態を続発させない為に首相も政権も速やかに交代をするべきなのです。