ブログネタ:北朝鮮、ミサイル発射についてどう思う? 参加中「世界の平和と秩序を著しく乱して人々に要らざる不安と疑心を懐かせる全く以て時代錯誤な愚挙、暴挙である」と強く断じます。
そもそも、あれは軍事力を以て新しい国家の体制下に於ける威信と存在感を内外に対して誇示し行く事が、その主たる目的だったのではありましょう。
ですが、ああ言った軍備や武力を背景に国の政治的な意思や意見を表明する在り方は二十世紀か、それ以前の時代に遡る古い過去の遺物と言うべき行為なのではないでしょうか
兵力に注ぎ込む予算が有るのであれば、その経済的な余力を国家と国民に還元して国を繁栄させ行く為の原資とする事で経済と言う次元、側面での国力を世界に示して行く、と言う考え方を持つ事こそ賢い選択肢な筈です。
一つの国家であれ、または一人の人間であれ、その主体(者)に畏敬の念や羨望の感を抱かせ、その主義や主張に従わせて同意や賛同を得たいのであれば、その為に必要な条件は武威や腕力と言った剛的な要素ではなく、それとは対極的な知略や頭脳を駆使した柔的な方途に頼るべきである、と考えます。
「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。」
上記の言葉は兵法書「孫子」に於いて「謀攻編」の中で展開されている、この書を通じて「殆んど全編に流れる」と言っても過言ではない基本的な思想の一つです。
要するに「宣戦布告や武力公使は最終的な致し方の無い場合に於ける手段であって出来る限り回避するべき行動である」と言っている事になるでしょう。
つまり引用した箇所からは「兵を云々する方法」である戦争や競争の指南書、専門書こそ身勝手で積極的な争い事を避けている節が見受けられる筈なのです。
治乱興亡の歴史が我々に教訓として語りかけ、そして常に教え諭している事とは一体、何なのでありましょうか
それは戦や争い等と言った対立の構図が招き導き出している結論は、いつの世に在っても庶民や衆生と言う社会の担い手であり未来の主役たるべき人々を犠牲にして不幸な方向性へと追いやる結果に変わりはなく、その期待や希望を裏切る上に全く正反対な世の中にしている、と言う事になる筈です。
指導者たる者は自分を大事に思うのであれば先ず民衆を第一に考えなければなりません。