誰の中にも『二重人格』との表現が出来る他人のような一面が有るのではないだろうか!?
キリスト教やイスラム教と並び「世界の三大宗教」に位置付けられる仏教。その仏経史の中に於いて『一念三千』と言う哲学体系を理論展開した人物が居たビックリマーク
中国の僧侶で『摩訶止観』を始めとする三大部(他に法華玄義、法華文句が有る)を著した天台大師だ!!
この『一念三千』と言う概念は人間の生命体を三千の諸法に分類して定義し「様々な一面が、その時時の縁に因って瞬間瞬間に現れる」とした思想であり、人の生命に限り無き価値と可能性が満ち溢れている事を主張する考え方である。
かく言う自分も勿論これに当てはまり、多重な人格を自身の中に同居させながら生命活動を行って居る。
だが、「清濁を合わせ飲む」ような対照的かつ対称的で両極端な人物が同時に存在して居るのを理解しつつも完全に消化する事が出来ずに日々を過ごす毎日だ。
そして‥ときどき思ったりもする。「あくまでも喩え」とは言え、とうてい三千では収まりがつかない程の多種多様な自分や如何とも形容し難く振り分ける事が困難であろう自身の内に巣食う一面は一体どう言った解釈の下に、その存在を位置付けられるのだろうか!?等と…