昨日、またまた夫のモラハラが発動しました。

 

彼のモラハラは微量な毒で少しずつ相手の尊厳を削るもので、あいまいなだけに対処がしにくいです。

 

昨日はこうでした。

 

でかける夫に買い物をお願いしたのですが

あとから追加で思いついたことがあって、LINEで連絡しました。

もし間に合えばお願いしたいと思っただけです。

 

夫の返事は「too late」

 

それならそれで仕方ないです。

 

ところが、帰宅後夫は

「もしかしたは俺は現役時代パワハラだったかもしれない。

こういう段取りの悪い部下がいたら怒鳴りつけていた」

というのです。

 

すごく嫌な気持ちになりました。

 

段取りが悪かったことは事実なので、それを言ってくれたら「ごめんなさい」で済む話。

 

なぜ「段取りが悪い部下を怒鳴りつけた」エピソードが必要になるのか。なぜわたしがそれで嫌な気持ちになったかと言うと...

 

・本来なら怒鳴りつけてやるところだぞ、という脅しに感じた。

・現役時代のヒエラルキー思考で、私を部下と同じように「下に」見ていると感じた。

 

この人、全然変わってないなと思いました。

前々から、夫がわたしを傷つけるようなら家を出ると決めていたので、話しました。

 

「一緒にいてもお互い不愉快になるから、別々に暮らしたい」

 

夫の答えは

「どうやって1人で暮らしていくのか。お前の年金ではやっていけないだろう。」

 

これがモラハラ発言だと夫にはわからないのです。

 

「野垂れ死んでも、がまんして生きていくよりはまし。

あなたはそうやってわたしを傷つけてきたけれど、子どもがいるから我慢してきた。

でも子どもたちはもう独立しているし、わたしは我慢する必要はないの。」

 

そう答えると

 

「まあ、遺産が入ればやっていけるよな。」

 

「遺産?」

 

「お母さんの遺産だよ」(母は元気です!どこまで酷いことを言うのか)

 

その後夫はだんまりを決め込みました。

 

そして、数時間後、何事もなかったかのように話しかけてきます。

 

わたしとのやりとりは、なかったこととして水に流されたようです。

 

こんな小さなことの積み重ねが、今の私たちです。

 

家を出るにしても、勉強部屋を片付けてからだな。

こんなことで家を出るなんて、人は驚くだろうな。バカだと思うだろうな。

 

そう思いながら、自室の片づけをしていたら、2年前に受講した、咲間あきこさんの「シャイニング」講座のテキストが、本棚からはみ出ていました。

 

その内容がまあ、今の私をそのまま応援してくれる内容でした。

 

著作権侵害になるので、ここには書けませんが、

 

これからは愛基準で選択をしてくことにします。

 

自分の気持ちを尊重し、自分の感情を大切にし、自分軸で選んでいくこと。

小さなことから。

 

とりあえず、我慢せずに夫に言えたことはよかった。

 

このテキストが見つかったのは偶然?いえ、必然だと思いました。