一杯のコーヒーと一本のタバコ
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今日の昼休み・・・そして仕事中の頭の中

この前の金曜日に友達から「eclipse」というタブレットをもらった。


モルジブに行ってきたらしい・・・



しかし、なぜタブッレト??



それは、天候不良のため一度香港を経由して日本に戻ることになったけど、


その香港でお土産を盗まれたらしい・・・なんとも情けないというか、かわいそうな出来事だなと思った。


そこで急きょ、タブレットに!


まあモルジブで買ったお土産も聞くところによれば、オラウータンのキーホルダーだったみたいだけど・・。



でもお土産というのは、なぜどうでもいいものでもうれしいのだろうか?



このタブレットは歯磨き粉みたいな味がするし、しかも異常に匂う・・・


しかし、なぜかはまった。ついつい口に入れてしまう。



やっぱ買ってきてくれたというこの行為により、その旅先でも一瞬は自分のことを


考えてくれたんだなと思えるからだろうか。



そんなことを考えつつお昼の休憩が過ぎていった。




そして、仕事中・・・・今日はデスクワークだったけど、


あまりやることがなくふと想いにふけってしまった。




それは「客観的」と「主観的」



友達からは、客観的だよなぁ、と言われることがある。


それがいいか、悪いかはさておき


これは自分の考えであって、調べたりした訳ではないから間違っているかもしれないのであしからず。




客観的とは、どういうことなのだろうか。自分に起こっている物事を


あたかも他人に起こっているかのように物事は判別する?


それとも感情的ではないということ?周りが見えている?


いや、自分の周りから自分を見ているということなのだろうか。


これは、「個」がないということなのだろうか。


それともそれも「個」と呼ぶものなのだろうか。




こんなことを堂々巡りで考えていたら、どうしても結論がほしくなった。


そんなことを考えるより仕事しろって感じなんですけどね。




「客観的」と「主観的」


主観的という大きな円の中に客観的というものが存在しているのではないだろうか。


例えば、客観的だといわれるけれど、それは自分の言葉を他人が判断してそう言ってくるのだが、


その言葉を発した本人の発している時点でそれは、客観的発言のようで主観的発言ではないだろうか。


もっと細かくいうと、思った時点では客観的であるが、口に出す又は自分で客観的に見ていると


感じた時点で主観的になっているのではないのだろうか、と思う。


二人称が一人称になった時点で、客観的な自分はどこかへ消えてしまう、というような感覚。


てことは、みんな主観的ってことかな。まあ当たり前か。


これでなんとか頭が仕事モードになったので、なんだかんだでその後は仕事してました。



文章が下手なので、読んだ人もなんだこりゃと思うかもしれませんが、仕事中にこんなどうしようもない


ことを考えたりしませんか??


午後10時

お風呂からでて、ベランダでタバコを吸っていた。


このハコから朝急いで出て行き、夜疲労した顔で戻ってくる。


そんな自分のハコ。


このハコにいつまでいるのだろうか。



大小さまざまなハコだが、自分の満足したハコに住んでいる人は世の中に何人いるのだろう。



今隣からは知り合いを連れ込み、騒いでいる声がする。


みんなそれぞれハコの中で幸せを感じているのだろうか。


そして自分もそう感じることが出来る日が来るのだろうか。


こんな考えをしているうちにタバコはフィルターを残しどこかへ消えてしまった。