エンタシス というのは、
アテネのパルテノン神殿などの
古代ギリシア建築の円柱に見られる膨らみのことで、
これは、同じ太さの柱を並べると中央部分がくぼんで見える、
という目の錯覚を解消して、
視覚的な安定を得るための工夫とされています。
パルテノン神殿などのようなドーリア式の柱に多く見られ、
これと同じような形の円柱が、
奈良の法隆寺や唐招提寺にも使われていることから、
古代ギリシアの建築様式が、シルクロードを通って、
7世紀ごろの飛鳥時代の日本にすでにもたらされていた。
といわれてきました。
この シルクロード・ロマン を最初に論文で発表されたのが、
建築家の 伊東忠太(いとうちゅうた)氏で、
(↓伊東忠太氏については、以前のコチラのブログでどうぞ↓)
明治26年(1893年) 『建築雑誌』 で発表された 「法隆寺建築論」 では、
「今を去ること弐千弐百拾六年マセドニアの王歴山人王功業未だならす…」
とアレックス(アレクサンドロス大王のことですよ~)の話から始まります。
要は、アレックスの東征でギリシアの文化が、
インド、中国を経て日本にも伝わった、という話の中に、
エンタシスも入ってたというわけで。
ただこの論文の中では、
エンタシスの現地調査的な立証や歴史、建築的な証明はされていません。
最近の説では、
エンタシスがシルクロード経由で日本に伝わったのなら、
中継地点のインドにもあるはずだが、未だ見つかっていない。
ということで、
ギリシアと日本のエンタシスは別物、という意見もあります。
実際に、法隆寺のエンタシスといわれるものと、
パルテノン神殿のエンタシスは少し違います。
パルテノン神殿の柱は、
下部分から上部分に向けて少しづつ細くなっていくか、
同じ太さで上がっていって途中から細くなっていきます。
法隆寺の柱は、中央部分がふくらんだ形になっています。
石の建造物と木造では、構造上の何かが違うのでしょうか。
私はインドには行ったことがないので、
その辺りの建築物などのことはわかりませんが、
本当にその辺りにはエンタシスの痕跡はないのでしょうか
ただ韓国には、エンタシス あります。
宗廟(チョンミョ) という14世紀に建てられた霊廟で、
朝鮮王朝の歴代の王や王妃の木碑が置かれているところです。
まあ、時代的にはかなり後の方なので、
伝来というよりは、柱の形状と美しさを追求したら
これに行き着いたって感じかもしれませんが。
シルクロード・ロマンのエンタシス。
ギリシアと日本、つながっていたらいいですね~。