今から2300年以上前の、紀元前356年7月20日。
マケドニア暦ではローオスと呼ばれる第10月の上旬6日目。
ギリシアの北部、マケドニアの王都ペラの王宮で、
一人の元気な男の子が誕生しました。
そうです我が愛しのアレックス(アレクサンドロス大王のことですよ
)が、
この世に生を受けたのです。
父は、傑出した手腕と才能で北部マケドニアの広い範囲を次々と治め、
即位後2年でマケドニアを強国にのし上げたフィリッポス2世。
母は、隣国エペイロスのモロッソイ王家から嫁いできたオリュンピアス。
フィリッポスはちょうどその時、
カルケディケ半島(ペラの南東、エーゲ海に突き出た半島)に遠征中で、
王宮には不在でした。
そしてカルケディケ半島の都市ポテイダイアを占領した直後、
三つの吉報がフィリッポスの元に届いたといいます。
一つは、フィリッポスの腹心パルメニオン将軍が、
常にマケドニアの脅威であった、北方のイリュリア人を破ったこと。
二つ目は、ちょうど開催中であったオリンピアの祭典(オリンピック)で、
フィリッポスの馬が優勝したこと。
そして三つ目が、アレックスの誕生でした。
ペラ王宮のモザイク。
こんな素晴らしいモザイクの
床や壁画に囲まれた王宮で
アレックスは生まれ育ったのです~。
アレックスが生まれた同じ日、
エフェソスのアルテミス神殿が火事に見舞われました。
神殿に火を放ったのは、
歴史上に自分の名前を残したいと考えたヘロストラトスという人物でしたが、
豊穣の女神アルテミスが、
マケドニア王子の出産で神殿を留守にしていたため、
火事が広がり、焼け落ちてしまったとも言われています。
エフェソスの女神
アルテミス
豊穣多産の女神、
蜂の女神
とも言われていました。
とは言っても、アルテミス神殿が火事になったのは、紀元前356年7月21日。
アレックスの誕生が21日だったのか、
20日から21日にかけて神殿が燃えたのかはわかりません。
エフェソスは現在のトルコのエーゲ海沿いにある街で、
アルテミス神殿は高さ約20メートルの円柱が127本立ち並ぶ、
イオニア式の壮麗な神殿であったと言われています。
後に 『世界の七不思議』 の一つに数えられるほどの壮大な神殿でしたが、
現在は柱が一本立っているだけで、当時の面影はありません。
後に、アレックスが東征の途上、エフェソスを訪れたとき、
彼は神殿の再建費用を負担すると申し出ました。
しかしエフェソスの人々は、
「神(アレックス)が別の神(アルテミス)を称えるのはよくない。」 と言い、
申し出を断ったそうです。
その後、アルテミス神殿が再建されたのは、
アレックスの死後の紀元前323年のことでした。