1602年 世界初の株式会社といわれる
オランダ東インド会社が設立されると
1609年には平戸に最初のオランダ船が来航
平戸オランダ商館が開設されました
その後オランダ船が入港すると
その船団が商館長と共に使節として
将軍家に進物を献上して謁見を賜わるということが
慣例となっていました
初代平戸オランダ商館長スペックスは
1611年 家康と秀忠に進物を献上 1612年にも家康の元へ赴いています
この頃の輸入品名は定かではありませんが
生糸・陶器・砂糖などと共に絨毯も献上されたようです
17世紀後半 インド・ムガル朝 徳川美術館蔵
1633年以降になると
歴代商館長が記した公務日誌である
『オランダ商館日記』により
献上品の内容を詳しく知ることができます
第7代平戸商館長クーケバッケルから
家光に贈られた献上品の目録の中には
「ペルシア産金銀糸入毛氈一枚。
ペルシア産上等の鹿狩模様毛氈一枚。
オランダ産絨毯一枚。リベカの物語模様入り。」
とあります
17世紀後半 インド・ム ガル朝 函谷鉾 後懸
基本的にはフェルトのことですが
金糸銀糸を使うような繊細なものや
狩猟図柄のような細かい文様は
不織布のフェルトで描くのにはムリがあるので
ここでの毛氈というのは
パイル絨毯やキリム(平織物)のことだと思われます
『ペルシア産金銀糸入毛氈一枚。』
金銀糸入毛氈というと
南観音山が1818(文政元)年購入した前懸で
ポロネーズと呼ばれる
金銀モールを織り込んだ絹の絨毯
が思い浮かびます
この前懸は
17世紀中頃のペルシア・サファヴィ朝のものでしたので
家光さまに献上されたものも
サファヴィ朝の宮廷工房で織られた
このように豪華な絨毯だったと思われます
17世紀中頃 ペルシア・サファヴィ朝
南観音山保存会蔵
二つ目の『ペルシア産鹿狩模様毛氈』で
思い浮かぶのは
豊臣秀吉の陣羽織です
絹と金銀糸で鳥獣文が綴られた
ペルシア製の「キリム」という パイルのない平織物を元に作られた陣羽織で
よく似た動物柄のキリムが
スイスの財団コレクションに残っています
16世紀 ポルトガルとの貿易で
キリムがすでに日本にもたらされてたのですね
鳥獣文キリム 17世紀初め ペルシア
最後の『オランダ産絨毯一枚。リベカの物語模様入り』
というのは
まさに函谷鉾の前懸
タペストリー「イサクに水を供するリべカ」のことでは…
禁教令敷く幕府の将軍さまに
聖書モチーフのタペストリー贈呈するの
アリなんですね
徳川家伝来の絨毯は
愛知県の徳川美術館に
十枚ほど所蔵されています
17世紀 インド
256cm×140cm
羊毛
愛知 徳川美術館蔵
17世紀後半 インド・ムガル朝
八星メダリオン
219cm×109cm 羊毛
愛知 徳川美術館蔵
これは函谷鉾の旧後懸ですが
徳川家に伝わるものと
酷似しています
17世紀後半 インド・ムガル朝
八星メダリオン
(祇園祭 函谷鉾・後懸)
京都 函谷鉾保存会蔵
こちらの北観音山の旧後懸も
フィールド部分がかなり似ています
フィールドというのは
ボーダー(周縁部)に囲まれた
絨毯の中央の長方形の部分のことです
17世紀末 インド・ムガル朝
八星メダリオン(祇園祭 北観音山・後懸)
221cm×118cm 羊毛・綿
京都 北観音山保存会蔵