方向音痴の私には「迷子論」という物がある
道中どんなに迷っても、
最終的に目的地に到着すれば
迷子ではなくなる
というもの
迷子論を語っては家族に白い目で見られるけど
私は結構気にっている
そしてこの前、こんな事を母に伝えた
私達の親子関係はそこまで破綻してないから、
最後に私が『今は大丈夫』と言えれば
それでいいと思う
過去に色々あっても、
最後はこうして話せているのが答えだよ
でもね、ここまで来るのに本当に長かった
(以下、暗い話なので注意)
母は過干渉の暴力系、
父は事なかれ主義の空気で
きっとどこに出しても恥ずかしい毒親
母自身、毒親と毒親戚に囲まれてきたから
大変だったと思う
父も仲の良い家族関係で育ってないし、
共感性が元々低い
頭で理解できてもずっとやるせなかった
母には殴られたりしたし、
ご飯を抜かれたし、
父の悪口を聞かされた
違う意見を持てば、同じになるまで訂正される
父はほとんど家に居なくて、
私の顔面がアザだらけでも何も言わなかった
そんなのが日常で、それが当たり前だと思ってた
逃げるようにしてアメリカの大学に行き、
初めて自分の親が毒だと
カウンセラーさんに言われ
世界が崩壊した
なんの為に頑張っているのか
なんの為に勉強するのか
親が絶対じゃなくなってしまった瞬間、
私には何も残っていなかった
そこから4年間ボロボロだったな
大学も大変なところで
勉強量がエゲツなかったし
生徒同士もピリピリしてて大変だった
大学4年の頃、母に気持ちを伝えた
自分の無力感や絶望を頑張って言葉にしたら
母は自分の子供の頃が
いかに辛かったか語り出した
その瞬間・・・
ああ、私に「母親」はいないんだ
と思った
私を産んだ人間はいる、育てた人間もいる
でも私を無条件に愛を注いでくれる人間は
いないんだと悟った
そこからか幾らか楽になった
別段、両親によく思われようと
変に足掻く事はなくなり
自然と自分を突き通す選択肢ができた
ただ先生になった一年目、すごく悩んだ
問題ばかりの幼少期を過ごしてきた私なんかが
正しく子供を指導できるのかと
すごく怖かったし、
恵まれた生徒達も純粋に羨ましかった
でも本当に環境に恵まれた
空回りしても見守ってくれる先生達も
色々試させてくれる主任も
「正しく指導する」なんておこがましいと
教えてくれる生徒達に出会えた
それから4年・・・
普通並に同僚に悩まされたり、異性に絡まれて、
自分の女性として価値を見つめ直したりして
色々変われた
いまだに、嫌な事を思い出す日もあるし
「全部お母さんのせいだ!!」と叫びたい日もあるし
ダメ人間ホイホイな自分の一面にも辟易とする
でも、まぁなんとかなってる
12万の指輪買って、ただ「素敵ね」って言ってくれる母にも感謝してる
子供の頃、私が何かを欲しがれば延々と「無駄遣いだ、似合わない」と言う様な人が今は手放しに私の選択を肯定してくれる様になって、母の方も時間を通しての成長があったのだなと思う
きっと私が違う性質を持っていたら、
母も変われる人じゃなかったら、
私たちの今はなかった
迷子論の応用を聞いてね、
母は「そう言えるのがあなたの強さだよ」
って言ってくれた
私はそれを素直に聞いて、
喜べる自分になれてよかったと思う