「Wam女たちの戦争と平和資料館」
のニューズレターが届いた。
ニューズレターには
「無窮花ムグンファの悲しみ」
「破られた沈黙 アジアの『従軍慰安婦』たち」
(いずれも風媒社)の
フォトジャーナリストで著者の
伊藤孝司さんの御文も掲載されていた。
伊藤さんは、
世界中の「慰安所」のみならず、
「慰安婦」にされたおばあさんの所にも
取材に行き、
イラク・アフガニスタン戦争の時も
戦場を取材に行き、
写真を撮った。
伊藤孝司さんの
ウィキ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%AD%9D%E5%8F%B8
ご著書
https://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%AD%9D%E5%8F%B8+%E6%9C%9D%E9%AE%AE/
| 著書の紹介 数多くの「元日本軍慰安婦」の韓国・朝鮮人女性たちに取材し、その証言を記録し続けたフォトジャーナリストが放つ決定版証言集。 |
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■目次 はじめに 3 〈証言〉 「私自身が強制連行の最も確かな証拠ではありませんか。」盧 清子 24 「朝鮮人の特攻兵と一緒に歌って泣いたこともあります。」李 貴粉 34 「朝鮮語を使っただけで「トキ子」は首をはねられたんです。」金 英実 46 「「処女供出」の名目で私たち3人が連行されました。」李 相玉 53 「16歳の時、警察で拷問され気がついたら福岡の「慰安所」でした。」沈 美子 59 104 「ひとりで1日30~70人もの相手をさせられたんです。」文 玉珠 112 「「妊娠して役に立たないから殺す」と言って、お腹を軍刀で切ったんです。」 李 桂月 123 「勤労挺身隊として行った日本で「慰安婦」をさせられました。」姜 徳景 132 〈ルポ〉 奪われた記憶を求めて ─元日本軍「慰安婦」沈達連さんの強制連行の現場から 164 日本への恨、戦争への恨 ─「慰安婦」だったことを恥だとは思わない。そうさ せた日本が悪いのだから。 176 朝鮮で暮らす性奴隷被害者たち─計り知れぬ苦悩の果てに語られた過去 189 無窮花につつまれて ─韓国人元日本軍「慰安婦」金学順さんの死 215 あとがき 222 |
伊藤さんの著書「無窮花の哀しみ」目次紹介 以上。
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Wamニューズレターには、今回も
おばあさんたちの訃報が載っている。
もう90歳過ぎているおばあさんたちの
近況について書く時、
10年前は講演や映画についても書けた。
けど、このごろは訃報と共に、
おばあさんたちの証言や
告発を書くことにもなる。
韓国の被害者はマスコミも
周知なので、
あまり知られていない中国や
インドネシアや
フィリピンの方を中心に
紹介いたします。
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インドネシア
スニアティさん。
「15歳くらいの時、
日本兵が家にやってきて
姉と一緒に拉致され、
トラックで森の細長い一軒家に
連れていかれました。
別々の部屋に入れられ、
私は日本兵4人に手足を押さえつけられ
性被害を受けました。
森に連れ出されて
レイプされそうになった時、
隙を見て逃げ出しました。
家に帰ってからも
何があったか
母親にも話せませんでした。
姉はついに帰ってきませんでした。
結婚して子どもを産みました。
夫はゴミを集めて暮らしていましたが
亡くなり、一人で
ゴミ集めをしながら
子どもを育て上げました」
廃品回収業を営む人たちが暮らす地区に
住んだスニアティさん。
様子を見かねた人たちが、
集めたプラスチックなどを家の前に置いてくれ、
みんなが助けてくれていました。
フィリピン
エステリータさん。
エステリータさんは当事者団体
「リラ・ピリピーナ」のメンバーとして
亡くなるまで活動を続けられました。
著者は「リラ・ピリピーナ」が運営する
ロラズ・センターに
下宿したことがありました。
勤勉なエステリータさんは、
害虫・害獣退治も含めて
休まず動きまわっていました。
働き者だから、と思っていましたが、
「エステリータさんは、これが
私の『忘れ方』なんだよ、と言っていたの」
と聞き、
被害者おばあさんたちのトラウマは
日々の生活の中に
深く刻まれていることに
気が付きました。
中国
シアンさんとシャオルイさん。
シアンさんは、1944年、
14歳の時年末に、
湖南省の自宅で年上の従妹とともに
日本軍に連れていかれました。
ほかのところから連れてこられた女性たちと
一緒に県中心部のレンガ造りの家に閉じ込められ、
性暴力を受けました。
一か月ほどたって
中国軍に助けられました。
被害を打ち明けることができたのは、
亡くなる年の始めでした。
シャオルイさんは1943年ごろ、
日本軍の河南省華容県の拠点に
閉じ込められ性暴力を受けました。
2021年5月、
シャオルイさんは、
ご家族とともに
湖南研究班を訪れ、
被害を証言しました。
おばあさんたちのご体験集、
今回は以上です。
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Wamは、パリ、イギリス、広島市、高知市、横浜市、高槻市
などでも「慰安婦問題」の展示を行っています。
Wamへの来館者は、
7月から4カ月の間、
約780名ほどです。
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ところで、
「慰安婦少女像」は、
「平和の少女像」と命名されている。
「戦争によって女性が
心身を傷つけられないように。
女性が性奴隷にされることのないように」
という願いが込められている。
誤解をされているが、
「韓国が日本を非難する像」ではない。
それが
人間の女性像だと
右派・保守男たちにとって、
怖いらしい。
フィリピンの「性奴隷女性像」にまで
難癖がつけられている。
韓国人の姿ではない、
国籍・民族不詳な像なのに。
これまで
数々女性にひどいことをしたのか、
全像が睨み目に見えるらしい。
韓国の民族衣装が気に入らなければ、
無生物でも良いし、
動植物の像でも良いと思う。
いっそ男性像にでもしようか。
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ドイツ・ミッテ区の平和の少女像は
10月17日、30人もの警官の対愛の下、
撤去作業はあっと言う間に終了。
彼女を載せたトラックは
夜明け前の闇の中に
消えていったそうです。
像はなくなったが、
性暴力の被害や
性暴力撲滅について
語り、
連帯し、
闘う場所を
あらゆる人に提供してきた。
その様子を見て来た地域住民は
撤去反対デモに参加し、
声をあげてくれました。
地元メディアの報道に
寄せられたコメントを読んでも、
市民は問題の本質を
見抜いていることが
わかりました。
「戦争が起きている今だからこそ、
像は再び、すみやかに
設置されるべきだ」
「公共の建物の前など、
目立つところに
像を設置すべきだ」
という声が寄せられました。
像が紡いだ絆は
断ち切られない。



下、「慰安婦問題」URL。
資料をまとめております。



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