見返り松を後にして緑の並木道を500m程進むと左に愛宕神社があります。

300m程先のヘアーサロンに庚申塔があります。

 

愛宕神社                庚申塔

500m程先の左側に 熊野神社参道があります。

新堀(北)信号交差点から150m程先の右側に志がらき茶屋本陣跡(明治天皇御小休所跡)碑があります。

                                      熊野神社参道                                   志がらき茶屋本陣跡碑

 

  

600m程先に玉井邑と彫られた庚申塔  600m程先に地藏堂

 

400m程先の歩道橋を渡って17号バイパスを越えます。

すぐ右側に地藏堂があります。

 

巨大な歩道橋                地藏堂  

         

150m程先の大きな屋敷前を通り17号久保島歩道橋を渡ります。

 

 

歩道橋を渡り右の中山道に入ります。     200程先の右側にお地蔵様。

 

    

1km近く進むと右側に忍領南石標があります。

安永9年(1780)、忍藩主が領地の境界を示し十六か所にたてた石標のひとつ。

150m先の左側に新島一里塚があります。

江戸より17里目の一里塚。

 

忍領南石標               新島一里塚

この先で17号線に合流し熊谷警察署前を通過します。

石原駅入口交差点を通過し石原南交差点を左に進みます。       

           

 

八木橋デパートの中を通ります。

 

八木橋デパート前に宮沢賢治詩碑があります。

「武蔵の国 熊谷宿に 蠍(さそり座)の 淡淡ひかりぬ 9月2日」

 

八木橋デパート前             宮沢賢治詩碑

 

隣に熊谷寺(ゆうこくじ)があります。

「法然上人」の弟子となった「蓮生法師」(熊谷直実)開基の寺。

直実は「一の谷の合戦」(1184年)で「平敦盛」(当時16歳)を討ち取った事がきっかけとなり、自らの無情さ、世の無情さを悟り仏門に入りました。

 

 鎌倉町交差点に熊谷市道路元標があります。

  

 

鎌倉町交差点から50m程先に熊谷宿竹井「本陣跡」碑があります。

 

市営駐車場入口」信号を横断した所に「札ノ辻跡」があります。

 札の辻は、高札場です。

  

 「本陣跡」碑             「札ノ辻跡」碑

 

左側に高城神社(たかぎじんじゃ)一の鳥居

奈良時代以前の創建とされる。現在の本殿、拝殿は、寛文11年(1671)の再建。

 

国道17号線「筑波歩道橋」を渡り「銀座一丁目」信号交差点を右折します

300m程先で歩道橋の下を通ります。

 

高城神社 一の鳥居           歩道橋の下を通る

 

踏切を渡り、新幹線高架下を通りすぐに左折します。

 

 新幹線高架下                ここを左折

 

公園の片隅に「八丁の一里塚跡」の説明板があります。日本橋より16里目。      

 

                     佛説寺前を通過します

 

 

  信号交差点の住宅庭先のお地蔵様    「元荒川源流地点」碑

 

ムサシトミヨがすむ川 埼玉県指定の天然記念物。環境省のレッド・リスト(2013)に指定されている。     

 

  ムサシトミヨがすむ川         東竹院 曹洞宗のお寺

 

400m程先にみかりや茶屋跡がります。

茶屋跡から荒川土手に上がりました。  

 

みかりや茶屋跡              荒川土手

 

土手に上がってすぐ左に下ります。

久下の渡し 冠水橋跡碑があります。冠水橋は、大雨で川が増水すると水没し、通行不能になってしまう橋のことです。橋を渡るには、一度堤防を乗り越えて河川敷に入ります。

冠水橋を過ぎると二又に道が分かれます。左に進みます。

久下の権八地蔵尊があります。

歌舞伎「鈴ヶ森」で「白井権八」がこの地蔵尊の近くを通りかかった旅人を斬って金を奪い見ていた地蔵に今の事は誰にも言うなと口止めすると、「私は言わぬが、お主も言うな」と答えた。

そのお話のお地蔵さんがここのお地蔵さんだそうです。

 

久下の渡し 冠水橋跡碑         権八地蔵尊

 

 

  県道257号線の下を通ります。      立派なお屋敷がありました。                       

 

 

久下神社 祭神は大山祇神         久下神社前に「久下村道路元標

 

久下神社から300m程先に明治45年(1912)建立の「久下堤碑」があります。
荒川左岸の堤防は、荒川瀬替えの際に旧荒川を締め切る堤防として築かれ、江戸時代初期には存在していました。
 

再び荒川土手に上ります。土手からの景色 川は見えません。

 

久下堤碑

 

久下堤碑から1km程先の土手下に久下新田の一里塚跡(日本橋より15番目)      

 

一里塚跡から300m程先の道上に決壊の跡碑 

昭和22年9月のカスリーン台風による洪水のため河口から71km付近久下地先のこの碑がある場所で濁流が堤防を越え決壊しました。

 

決壊の跡碑から中山道に戻り土手を進みます。ここから要注意です。道案内の標識は全くありません。

通行注意の標識が立っている所を左に入ります。

そしてすぐ道が二又に分かれるのでまた左へ入ります。

さらに道が二又に分かれるので今度は右へ入ります。

再び土手道になります。

さらに進むとここに出ます。ここでやっと案内表示があります。

権八地蔵と二宮金次郎があります。

権八地蔵の話は、ここに来る途中の久下上区にも久下の権八地蔵尊があり同じ話が伝わっています。

久下地区でお年寄りに道を尋ねた時「こっちと向こうで本家争いをしている」と教えてくれました。

 

やっと見つけた案内表示          権八地蔵と二宮金次郎

 

住宅街を進みます。

 

榎戸堰組合用水樋管             「中山道 榎戸村」平成の道標 

元荒川起点と彫られています。

 

 

線路に沿って歩きます。前方に歩道橋が見えます。 歩道橋でJR在来線を越えます。


吹上間の宿の説明板と標柱があります。

吹上は、鴻巣と熊谷の『あいの宿』として発展した。
吹上が重要視されたのは、日光東照宮を警護する武士たちの『日光火の番道』と、中山道が町の中心部で交差すること。また、鴻巣宿と熊谷宿の距離が長かったため、その中間に休憩する場所として『お休み本陣』や、馬次ぎの『立場』       を設置する必要があった。
 この説明板に向かって左に進みます。

 

 

吹上神社               東曜寺 境内に「いぼ地蔵」があります。

もとは、日枝神社であったが、

明治40年に合祀して吹上神社と改称された。

 

「吹上本町」信号交差点を右折します。       中山道の標柱

 

 

道標の向こう側に半旗が掲げられています。 「明治天皇御駐輦址 徳富正敬恭書」   

安倍元総理の国葬の碑です。                                                                                                                                                        

         

「吹上駅前」信号交差点を横断。  NTTの大きな鉄塔が見えたら右斜めに入ります

 

 

右側に妙徳地蔵尊            右の踏切を渡ります。 

 

 

踏切を渡った所の「中山道間の宿吹上」 踏切を渡りすぐ線路沿いに左に曲がります

       

              

「前砂」信号交差点で県道365号に合流。 「前砂」交差点脇の「中山道標柱」

 

500m程先に前砂一里塚跡の説明板があります。日本橋から十三里目

150m程先に道標があります。「ここは中山道前砂村」と彫られてます。

英泉の「鴻巣・吹上冨士」はこのあたりで描かれたそうです。

 

 前砂一里塚跡  説明板のみです      道標

 

 

道標から700m程先の小山に六地蔵(べったら塚古墳)

 

 

すぐ先の右側に箕田の庚申塔        「箕田追分」信号交差点の馬頭観世音

 

 

箕田追分」信号交差点の中山道案内板と道標     「中宿橋」信号交差点

 

 

 武蔵水路の中宿橋を渡ります。    200m程先の右側民家の角に馬頭観世音 

 

250m程先に氷川八幡神社があります。 付近一帯の鎮守。箕田の地は嵯峨源氏の流れをくむ箕田源氏発祥の地

同じく、箕田源氏にゆかりのある宝持寺が隣接しています。          

 

 氷川八幡神社              宝持寺                              

                  

 

     龍昌寺 真言宗豊山派のお寺               「宮前」信号交差点を横断します。

 

   

        箕田観音堂                               「ふれあいセンター入口」を通過。

 

   

            立派なお屋敷                            踏切を渡ります

 

この先で県道164号線に合流し「加美」信号交差点で県道164号線に合流しました。

 

  中山道道しるべ 「桶川へ二里四町」          池元院  日蓮宗のお寺 

           「江戸日本橋へ12里十八町」

 

 鴻神社  鴻巣宿の中心にあった氷川社、熊野社、雷電社を明治6年に合祀し鴻三社と号したのが始まり。

拝殿の2本のイチョウは推定樹齢500年。

  

鴻神社神明鳥居                                             鴻神社拝殿    

 

  

 明治天皇御駐輦碑(めいじてんのうごちゅうれんひ)   歩道にコウノトリ

 ※御駐輦とは天子が車をとめる。 天子がご滞在になる」

  

 「鴻巣駅入口」信号交差点を右折すると「中山道 鴻巣宿」標柱と案内板がある。 

 

「鴻巣駅入口」信号交差点から150程先の左側に木村材木店がありその向かい側の歩道に「本陣跡」に標柱があります。

 

「本町」交差点を過ぎ100m程先を右折(左に武蔵野銀行)します。

前方に勝願寺が見えます。

 

 

木村材木店                勝願寺参道

 

 

勝願寺の山門             仁王門

          

 

 本殿                 芭蕉の句碑

                    けふばかり 人もとしよれ 初時雨

仙石秀久(小諸城主)の(左)・真田信重(真田幸村の甥)の室の墓(背の高い)・信重の・真田信之夫人小松姫の墓(右)                 

小松姫は、1620年(元和6年)、江戸から草津へ湯治に向かう途中、鴻巣で亡くなった。

勝願寺を出て再び中山道に戻ります。200m程先に道標「これより鴻巣宿」があります。この辺りが江戸側の入口。

 

仙石久秀、真田信重、真田小松姫などの墓     道標

 

200m程先に鴻巣市産業観光館「ひなの里」があります。

 ひなの里」              ショウケースの中ひな人形

 

200m程先に広田人形店など沢山の人形店がある街並み。 

 

人形町 広田人形店            八幡宮  

 

「深井2丁目」信号交差点脇に「鴻巣宿加宿上谷新田」の碑があります。

交差点の先は北本市

1.5km程先に東間浅間神社(あずませんげんじんじゃ)があります。

御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと) 

    

 「鴻巣宿加宿上谷新田」の碑       東間浅間神社

 

 

参道右側にある「庚申塚」        長い階段の上に社殿

 

東間浅間神社を出て最初の信号(徳樹庵という料理屋さん手前を右折し踏切を渡り直ぐ右折します。  左側に「一里塚」の 案内標識 を左に入る。

   

                              案内標識 

原馬室の旧一里塚」があります。1750年頃までには中山道の道筋が現県道164号側に付け替えられて、この原馬室の一里塚は放棄されました。 

中山道に戻り、600m程先の「多聞寺」交差点に天神社参道があります。           

 

「原馬室の旧一里塚」           天神社参道

 

天神社は学問の神様である菅原道真を祀る神社です。

算額は算学(和算)を学ぶ人々が、自分たちで発見した問題や解法を記録して、神社・仏閣に奉納した絵馬を、とくに算額と呼んでいる。

 

天神社社殿                算額の説明板

すぐ隣に多聞寺があります。

 

  山門                 本堂

開山は万治4年(1661年)。真言宗、智山派。本尊は毘沙門天立像。屋根上に見える木はムクロジ(推定樹齢200年一説には400年)の木は県指定天然記念物です。

 

少し進むと右奥に観音堂があります。

 

 観音堂                   観音堂の十三佛  

  

「本宿」交差点の角に来ました。北本宿の碑と中山道と本宿説明​​​​​​板があります。

本宿付近の街道沿いに旅館や店はありませんでしたが、本宿村の下茶屋と東間村の三軒茶屋の二ヶ所には立場が置かれていました。

 

                    歴史を感じる建物が残っています。

 

 

「桶川市役所入口」交差点角にある木戸址と中山道桶川宿碑

ここから桶川宿に入ります。

 

 

大雲禅寺                女郎買い地蔵

曹洞宗のお寺。弘治3年(1557)の開山。墓地には本陣を勤めた府川家や宿場縁故の家々の墓があります。本堂に向って右に3体の地蔵があり、手前が女郎買い地蔵です。由来は、この地蔵が夜な夜な飯盛り女に会いに出る。このため和尚が地蔵の背中に鎹(かすがい)を打ちつけ鎖で繋ぎました。これは和尚が寺の小僧の夜遊びを戒めるためであったらしい。

 

 

桶川市北一丁目歩道橋の柱の辺りに桶川の一里塚があったそうです。

日本橋より10里目の一里塚です。

 

東和銀行桶川支店前に市神社(いちかみしゃ)の跡碑があります。

五十(ごとうのいち)と言って毎月五と十のつく日(五日・十日・十五日・二十日・二十五日・晦日)に宿内の路上で米穀を中心に この地方一帯の農産物の商取引が行われ大変賑わった。この市と宿内の人々を守る神様として祀られたのが市神社です

 

  市神社の跡碑             観光案内所 きれいなトイレでした。

 

 

 桶川宿本陣(府川家) 江戸時代は皇女和宮の宿泊所となり、明治十一年の明治天皇行幸の際には改築されて使われたそうです。埼玉県内で唯一現存する本陣です。

 

矢部家の蔵造建物で明治前期に建てられたものです。屋号は「木半」

戦前まで米や麦の集荷問屋。

小林家住宅主屋

昔は旅籠屋でしたが材木店になっています。当時の古い建物がそのまま残っています

 

 矢部家の蔵造建物            小林家住宅主屋

 

武村旅館 幕末に紙屋半次郎がここで旅籠を営み、和宮が本陣に泊まったとき、付き添いの山岡鉄舟はここに泊まっており、自筆の宿帳も残る。

   武村旅館                木戸址の碑 ここまでが桶川宿 

 

 

  

「富士見通り」交差点からすぐ先のローソンの向い側に 庚申供養塔があります。

 

1km程先の「久保西」信号交差点の須田家紅花の仲買問屋で豪商です。

さらに1km程先の「緑丘地下横断道」信号交差点角に案内板と上尾宿の碑があります

i  

  「久保西」信号交差点の須田家               案内板と上尾宿の碑

 

300m程先の「図書館西」交差点角の左角に青面金剛の庚申塔があります。

さらに250m程先の交差点(角に自転車屋さん)を左折すると前方に遍照院があります。遍照院は江戸時代に寺領20石の朱印地を与えられた大寺。

本尊は不動明王で江戸時代の作です。

 

庚申塔                  遍照院山門

 

 

  遍照院本殿              本陣跡にある中山道上尾宿の説明板

 

中山道に戻り350m程先に氷川鍬神社  前の歩道に「中山道上尾宿と本陣」の説明板があります。それによれば氷川鎌神社の右に脇本陣、向い側に本陣がありその左右に脇本陣がありました。

                               氷川鍬神社                                           本殿

寛永9年(1632年)創建の氷川鍬神社は、上尾宿発祥の地であり、総鎮守である。鍬祭りとして鍬を祀ったのが由来で、小さな鍬2丁を神体とし、五穀を司る農業神を祭神とする。

 

600m程先に

    愛宕神社 安産守護の神様          愛宕神社参道横に庚申塔

 

愛宕神社から1km程先のエネオスガソリンスタンドの向い側に庚申塔(不動尊の道標) があります。川越道の道標を兼ねた庚申塔。「是より秋葉へ十二町 ひご方へ壱里八町 川越へ三里」と刻まれています。

庚申塔(不動尊の道標)この辺りが上尾宿のはずれです。