2年前に辞めた会社の目の前にある図書館に来ている。
嫌なことしか思い出さないけど、あの頃の会社員ごっこしていた自分は、内容はさておき輝いていたような気もする。

勉強したり本読んだり一見意識高く見えるだろう自分も、実際はぽや〜〜〜っと生きていて、
目標も、出世欲も、
何としてでもこうなりたい!も、
お金いくら稼ぐ!も、
社会に認められたい!も、
なーんもなくて
なんかいつのまにか諦めているのか全部消えてしまっていて
「自分って生きることに貪欲じゃないんだなぁ」と、ふと気づいた。

もっとこう、渇望して何かに邁進したいけど何でだろう。
あの渇望して、がむしゃらになって洞窟を手で掘ってくような、今生きてる!ってエネルギーある感じがすごくいいのに。

回答はなんとなくわかっていて、
パートナーがいて、物も時間もお金も満ち足りていて、望んだものは大概全て手に入り、頑張らなくても生きていける状態にあるからそうなれないのだろう。一番幸せなんだろうなぁ。
金持ちに飼い慣らされたペットみたいだ。

人間は満ち足りると生への貪欲さを失うのか。

人間にはある程度のストレスが必要だ。
それを乗り越えていくことで少しずつストレス耐性がつき成長していく。

生存本能が無理矢理ストレスとスリルを求めて、刺激と変化を作り、自分を追い込みたくなって、
やること増やして、また負荷凄いことになって、やること減らした方がいいよねってなって、今のような状態に戻ってくる。

ペット状態でぬくぬく、も嫌だし、
自分と家族を大事にすることができないぐらい忙しいのも嫌だけど、
これを繰り返して学習するうちに、中庸の部分に何か最初の答えがあるのだろう。

極端に、全部持っていてもいけない気がする。
何かが欠けていて、そういった制約や条件がある方がゲームのようでおもしろくなるのかもしれない。