SNS断ちが進んでいる。
Twitterをやめてから久しいが、今度はInstagramを見るのをやめた。店長にLINEでの連絡にするようお願いして、ログアウト状態にした。たまにメッセが来るからアプリ消去はできなかった。
SNSをやめる理由。
他人の一部を覗き見るというストレスというよりは、自分を見てもらえているか、というストレスの方が大きかった。
とにかく見てほしい、知ってほしいという欲求でどうでもいいものも数打ってアップしてしまうのが情けないし、その様が恥ずかしい。
また、フォロワー構成に友達が多く少数であるから、反応がないとそれだけダメージを大きく感じてしまう。疎外感や、自分への興味のほどがネット上でわかってしまうのが辛くなった。
Facebookは残した。
見る人に違いがある。Facebookはどうでもいい人が半数以上だから、見られてるかとか最初から別にどうでもいい。
それに、Facebookは、投稿のハードルは高いから、インスタより踏みとどまれる。
ランダムに流れてくる記事も興味深いものが多いので、気分転換として悪くない。
もうひとつ、「他の人と自分のギャップを感じるようになった」「錯覚するようになった」ことが大きい。
おしゃれなインテリアや食べ物、活発な音楽活動や趣味、投稿の裏には会社員として安定して機能している日常があること。そんな他人の過ごし方を眺めて、
さも自分も同じことをしている同族であると錯覚してしまう。
現実の自分の実態を忘れてしまう。見なくなってしまう。
現実の自分は、音楽もしていない・おしゃれな部屋でもない・成果を出すような働きぶりもしていない。
それを、音楽もできておしゃれで社会人機能としてもゆとりのある人間だと勘違いしてしまい危険だと気づいた。
みんなは比較的高水準・文化レベルの高いことをしている中で、
少なくともみんなよりは劣っているような私の身分で、生活や好きなもの・浅はかな知識や考えをわざわざ晒していくのは、誰の共感も刺激にもならない「誰のためにもならない」ことだと気づいて、急にすごく恥ずかしくて嫌なことだなと思った。
みんなは人に公開できるような、あるいは公開どころか自慢にまでしてしまえるような文化レベルを持っているから、SNSを使う権利がある。
誰も私のことなんか興味ないし知らなくてもいいか、と、半ば拗ねたような感情も孕みつつ。
年々、承認欲求が、「なくなる」というか「諦める」ようになっている。
そして極め付けは、意味もなく立ち上げて眺めるというクセが辛いから消した。
これで、体の重さがなんだか4割は軽くなったような。いやもっと7割ぐらいかな。
それはそれでYouTubeを見るようになってしまったけど、ラジオだと思えば別に悪くはない。インプットになる時もあるし。
(最近はReHackの番組の政治家特集を見て、まともな人とそうでない人の判別をするのが楽しい。顔つきと、結論を自分なりに出せているかどうかで大体分かるのだ。)
Instagramの代替が討論番組や本になっていくことを願う。。