新しく入ったところ、大将も料理人も、女将も、みんな命懸けでサービスを提供している。
特に女将は本当に給料くれるのか?って感じの対応ですごく緊張してしまう。
音楽をやっているくせに、あがり症で、
人に見られていると萎縮して何もできなくなって、
手と脚と、全身を震わせながら仕事をしていた。
ここで働くことはすごくプレッシャーだし、本当に自分がここで頑張れるのか正直全然1mmも自信がない。
でも働くって決めた時には、そうしたい目的があったわけだから、無意味ではないのだ。
純粋に、日本料理をもっと知ってみたい、というのがスタート地点。
今となっては、
未来の選択肢を増やすためだし、
「今」、やることに価値があるし。
って思っている。
それに、
ふたつ返事でやりますって言ったことは充分に後悔をしているけど、
逃げ出すこと(やめちゃうこと)をしないのは、
豆腐メンタルを、このストレスを乗り越えて行くべき瞬間なのかもしれない。これが最後のチャンスかもしれない。
と感じているから、だと思う。
変わりたい。変わることで、選択肢を増やしたい。
辞めようが続けようが、調理学校の学生であることは変わりない。
だったら続ける方にしか意味がない。
「適応機制」、という言葉を習った。
心の葛藤や欲求不満に、折り合いをつける8つの方法。
(合理化、昇華、同一化、抑圧、拒否、退行、逃避、攻撃 仕方なく、という処理方法なので多用しすぎは危険かも)
心と体の成長は、ある程度のストレスを乗り超えることで実現する。
人前で話すことが緊張する人は、そのストレスを乗り越えると、自信がつき、ストレスに感じなくなる。
だから
私も、どういう葛藤と不満があって、ストレスに感じているのかを分解する。これが、今一番の成長への課題のはずだ。
そして、どの適応機制で乗り超えられるのか、考えてみるとよい。
そしてストレスを克服することが、「料理屋で働くことができる」というひとつの「未来の選択肢」と成ってくれるだろう。
識ることは癒しなのだ。
何か不安やストレスがあれば、分解し続け、識ることで問題を柔らかくして、克服しやすくするのがいい。
まずは、ここに娯楽や楽しみにを見出さない、というのが一つの見解。
楽しみにいってるわけじゃない
だべりに行ってるわけじゃない
遊びに行ってるわけじゃない
そういうことを期待して行かない
それは別のところに期待する
あとは、でっかい夢を見るのもアリかもしれない。
フィンランドが好きすぎて寿司職人という手段をとって移住の夢を叶えた人や、
調理理論の先生が海外で働いた経験の話を少し聞いた。
これらの話は私にとって世界を広げてくれたし、面白そうな未来への希望をくれたし、とても励まされた。
今の自分なら、そういう選択肢を作れる可能性があるんだなって。
遥かにデカいことを考えていれば、こんな状況、鼻くそだってきっと思える。
そうして乗り超えられればいい。