このライブは、私が年に一回アイデンティティと自己肯定感を取り戻せる期間なんだけども、今回は少し違う心象で終わったと感じる。
楽しかった、という心が満ちた多幸感よりも、無事に2000円のワンマンライブを納品した安心感と、疲労感と、疎外感の方が今回は大きく少し寂しい。
運営側に入るとみんなと同じ感情に入り込めなくなる。
メンバーが知らないところでたくさん失敗したり、嫌なことをしてしまったりいろいろある。
今回のライブで負担にしてしまったこととか、望み通りにできなかったこととか、申し訳ないと思うこともいっぱいある。
当日は、精算、頭も体も忙しいのに8割余計なことで話しかけてくるマスターに付き合う、会場のコントロールをする、本編の進行をする、動画を気にする、来ていただいたお客さんといっぱいお話しさせてもらう、手土産をお渡しさせていただく、ピザを届ける、などなどしていて心と頭と体がフル回転で打ち上げの頃には正直もう打ち上げ帰ろうかなぐらい、
そういうの全部ひっくるめて疲れたな、と思ってつい「疲れた...」と言葉に出てしまっていたんだけど、「吹いてないけどね!」と言われて、「ああ私はみんなと同じ達成感を共有できないんだな」と気づいて、しかも、みんなは結局自分のことをそう思っているんだと感じて、
その瞬間、ちょっと冷めてしまった。私は何もしてないと思われてたのだな。
確かに演奏はすごくかっこいいし、2000円が妥当すぎるものだったんだけど、そこには自分は参加していない。
演奏への助言や、物理的なサポートをしてくれたメンバーもいて本当に支えてもらった、と感謝の気持ちは止むことはないんだけど、
打ち上げの話も、中に入り込めない寂しさがあったし、逆に、自分と同じ視点での達成感を持っている人がいない。同じ感傷に浸れる人がいないんじゃないかな。演奏面も、私はもっとやれることあったんだろうし、違う努力をしないといけなかったのかなと思う。
楽しかったはずなのに、終わった後は寂しさとか虚しさがむしろ胸にかかっている。
演奏の努力をしていないから、私もみんなと同じようで違うんだなって明らかになった。
みんなが一つに、幸せになるために、翻弄して、自分への共感者は誰もいなくて、なんだか自己犠牲も甚だしいな。と思う。ライブを作るために私がやってたことは何か意味があったのか。何を一人でやってたんだろう。自分が信じていた場所も拠り所にはならないんじゃなかって絶望感も一緒に。
きっとこれが、「また次のライブが楽しみだ!」と、前より思えない違和感の正体。
あんまメンバーと喋れなかったのは疲れと、同じ達成感もなかったからか、すごい後悔。
(そんな中、組長がバスボン一曲交換しよう、って話してれて、なぜかすごく嬉しかったのは、そういうことかもしれない)。
バンマスがこんなこと思ったら、ダメだよなあ。
気持ちや落とし所をどう整理するのか、しばらく考えないといけない
●もう一つ、前回から心象が変わったことがあって、
最初のライブはテンションが上がって「ほかにこんな素晴らしいことしているバンドはない」と、すごく満足に浸っていたけど、
4回目の演奏披露ともなると、とても客観的で、冷静な気持ちで見ている。称賛だけではない、課題の方が多く見えてしまうことがわかった。
欲しいものは手に入れた感があって。次は、みんながマンネリしたり、不満を感じないように次のなりたい姿を再設定する段階なんだなと感じる。ちゃんと欲深くできているのだな。
どこからか不満が出るときは、
「不満」じゃなくて、「課題」という生産的な形で発露されるようになるといいな。
●演奏での発見
ヒヤヒヤでいうとたしかにMeditationsがなかなかスリルがありましたね
でも、一番グルーブしてるというか、生き生きしている感じがしましてすごく好きです
好きだと思うのは、たぶん、崩れそうで崩れない、均衡を保とうとする、というギリギリの状態が、言い換えるとより周囲を聞いて調和しようとしているわけでして
このスリリングな駆け引きをしている瞬間が一番グルーブしてるというか、一番音楽をやってる、ジャズを感じる瞬間だから、まんざらでもないと思うのかも。
あとはちゃんとテンポの循環を感じられている、
曲に、メロディーにのれているのがMeditationsの良さだったと思います。
そんな発見をしました。
●言語化してくれた
聴きにきてくれた友達が、こんな感想を寄せてくれた。
メンバー皆に個性があって、この人はこう演奏するんだねーみたいのが見えて、面白いバンドだよね。あと皆一斉に好きに吹く場面で、1人ずつ内容を掻き分けて探しに行く感覚オモロい!
自分は音楽は自分から聴きに行きたいから、整ったやつをそのまんま渡されてもグッと来ないんだよね。最近の流行りに興味無いのもそれが理由っぽい。
これが私がこのバンドやる意義であり、外せない特徴、アイデンティティなんだと、言語化してくれて少しすっきりした。