恥ずかしい話だが、またバイトを辞めた。


辞めてしまったいま浮かんでくるのは、

「もっとストレスを許容してもいいのではないか?」

ということ。


そしてこのバイトの経験を機に、調理師になる覚悟について考えた。


多分、ここを整理しないと次には進めないから、散文になっても書いておこうと思う。



辞めるに至った経緯

入って数回目のシフトで、大学生の男の子が、責任者にパワハラと言っていい当たり方をされているのを見た。

それは彼以外にもあり、少しでもトチると責任者がパワハラ圧を滲み出す。


そして薄々その場の雰囲気がわかってきた時、

前向きな人がいなくて、文句やネガティブなことばかりで、人からの影響に何もいいことがなくて、

「自分まで暗い気持ちに引き摺られてまでここにいるメリットってあるのか?」と思うようになった。


また、そういった人たちから、余計な一言がついて回ることも多く、私にはそれが耐えられないことだった。


そんなもので、日々出勤前日は寝れなかったり、出勤途中息が苦しくなったり、たかだかアルバイトに心と身体が負担を覚えるようになった。

自分が辛いのに、家の人のケアもしないといけないし、肝心の自分の辛さは誰もケアされることはないので、色々重なった結果、感情は爆発するわ、はたまた学校の勉強まで気力が回らなくなってしまった。

学校が回らなくなったのが一番の問題だった。


あと一年以上も続けられるとは思わなかったし、辞めるなら1ヶ月ぐらいの方が自分と店のお互いのためだと思って、思い切って辞める判断をした。


辞めると決めた後

辞めるとなった次のシフトでちょっと世界が変わって見えた。

気が楽になっていた。少し景色が軽く見えて、リラックスしていた。


余裕ができ、辞める立場として俯瞰できるようになると、嫌なこと以外の別に悪くはない部分が目に入るようになって来た。

毎朝オープン前に数字の話をすることとか、言葉がきついだけで芯はちゃんと教えようとしてくれている部分とか。

 

シフトに入ってた人の組み合わせもあるけど、

みんなで冗談とかワイワイ言いながら、大変さを共感しながらなんとか乗り越える雰囲気と、それってあんま悪くないな、ということに気がつくことができたり。


自分は、嫌なことと、悪くない部分とで天秤にかけられず、嫌なことだけ考えていた。


一歩引いて職場を見ることでわかったことだと思う。

こうやって、一歩引くなり視点を変えるなりして、ポジティブな面を見出すことができていれば結果は違ったのだろうか、と思った。


入って1ヶ月過ぎようとして、嫌だなと思って。

そこも少しじっと耐えてやり過ごして、時間が解決するというか、そうしているとふと世界が違く見えるきっかけや瞬間があって、

それをじっくり耐えて待つのもよかったのかもしれない。

あるいは、一歩引くなり視点を変えるなりして、ポジティブな面を見出すことができていれば結果は違ったのだろうか。


もう辞めるってことで相変わらず仕事を覚える気はなかったけども。



調理師免許をとる覚悟


これから調理師免許を活かして生きていくことになる。

そのためには、2つ要件をクリアしないといけないと痛感した。

ストレスの許容と、仕事の高い精度だ。


定食チェーン店のキッチンをあっという間に辞めたこの出来事で、

学校卒業した後に私は調理師免許を活かすことができるのか、2つの点で不安になった。


1.人間関係とストレスとの許容


これから調理師になった時に、いろんなところで働くだろうから、必ず、何かのストレスは発生する。


特に人間関係はわがまま言えないというか、そこでストレスがあったとしても我慢して乗り越えられなきゃいけなくなる。


完璧主義で0or100だから、

全くストレスのない理想の世界を追い求めて、

それと比較してうまくいかなかったら捨てる、というように考えてしまうけど、

ある程度のストレスは許容してもいいんだろう、と思った。


私は居心地の良さや人間の完成度、理想にこだわりすぎて、周りに求めすぎたのかもしれない。


そして、もっと自分の目的が強ければ。もっと自分の意志や野望がはっきりしてれば。


ストレスなんか許容できたのかもしれない。




今回は人と雰囲気が嫌だったけど、フライヤーのことはとても勉強になった。


例えば、焦がさずに綺麗なコロッケを出す、カツを出す、というような、自分の野望があれば、自分に意識が向いてれば、人間関係やパワハラなんかどうでもよかったかもしれない。


バーの方は、あそこでもっと頑張れれば、

独創的な料理の知見や、「人様に料理を食べてもらうこと」についてしっかり学べたかもしれない。


結局は、飲食の仕事への、自分の野望や覚悟が足りなかっただけの話なのだ。


バーと定食チェーン店で、

自分は何が嫌で、どうなればよかったのかそのためにできることはあったのか、

妥協できる落とし所(塩梅)はあったのか。


自分がどれだけストレスを許容できるか、克服をしないといけない。

乗り越えなきゃ行けない問題になってくる。


今の私は逃げるばかりだ。

居心地の理想を追い求め、そういったストレスはできるだけ排除して逃げていいと思っている。

けど、そのストレスをあえて受け入れてみるのもおもしろい、と思う。

それを越えたら、別の景色が見えるかもしれない。

ほんとはこの人はこうだった、こうすればいい付き合いができる、とか。

嫌だと思っていたことへの、些細な妥協のきっかけが。


嫌なことは、いずれ嫌でなくなるのかもしれない。



2. 仕事の高い精度 ー 人に料理を食べさせること

人に料理を出す、というのはとても難しいことだ。


最終日の前の日に失敗してしまった。

冷たいコロッケを出してしまい迷惑をかけてしまった。

飲食店に行けば、見た目も良くてちゃんと安全で美味しいものが出てくるのが当たり前だ。

でも、私にはその当たり前ができなかった。

「当たり前ができない」=これが自分の現実で、実力なのだと、思い知った。


ちゃんと目で見て、確実に美味しいものだという自信がある納得したモノを出す。

自分が理解していない、曖昧なモノを出さない。

ひとつのメニューを何度も何度も作って、自分で正解を理解する=調理を習得する。


人にちゃんと美味しい食べ物を出すって難しい。

責任でいっぱいだ。

無責任だと、ボロボロになったチキンや、冷たいコロッケを出すことになる。


当たり前に見た目の良く安全で美味しい料理が出てくる飲食業界の、難しさと、そこに携わる人の努力と能力は凄いものなんだと思い知った。

同時に、道のりの遠さも思い知った。自分が料理に向き合った、回数と努力がものをいう。

もっと人に食べてもらう機会を自分で作らないと、その責任の重さを克服できないだろう、と思った。


調理師免許を取ったら、少なくとも仕事の精度は求められる。

だから、目の前の試験やテスト、日々の授業にしっかりと時間をとって基本的なことを習得することが一番優先なのだ。

習ったことすぐに現場で、実力として出せることが、やっと調理師としてのスタートラインなのだ。


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こういう、自分が許せないストレスとか、理不尽とか、悔しさとか道のりの遠さ。思いも乗り越えて、人は這い上がって行くモノなのだろう。

そんなことを思った。


職場は嫌だったけど、やっぱりここの定食はおいしいのだ。

だから辞めても別の店舗にまた食べに行ったりしている。


こういうものだと思って、また次のところで我慢できるところが増えていくんだ。きっと。


次入ったところでは、そこを耐えた先の景色を見れるようにする約束をして今回の場所は終えよう。