記念展は、民藝品をたくさんならべる展覧会というよりは、柳宗悦の民藝運動についての系譜を細かく解説するものだった。
まず民藝とは、「わたしたちの手仕事が評価されていること」、だと理解し、「自分の手仕事」をもっと大事にしたいと思うようになった。
##民藝とは
端的にいうと「無名の職人が作った生活用品、工芸品のこと」
柳宗悦の中では、それっぽいもの全てが対象では無くちゃんと境界線があるらしい。
##柳宗悦の系譜
西洋美術を専攻していたが、朝鮮の陶磁器や古美術に魅了され、対朝鮮の政治の在り方に疑問を呈したり、文化の保存活動にも精力的だった。
ところが関東大震災が発生し京都に移住することに。そこで河井寛次郎に出会う。一緒に民藝運動をする人物だ。(以前島根の袖師窯、湯町窯など訪れた際に名前を見たぞ)
柳宗悦は京都の市場で日常使いの雑器=下手物(げてもの、上手物の反対らしい)、に出会い、民衆が生活の中で作り出した物に興味を持った。
そこで彼の民芸への関心が目覚め、「日本民藝美術館設立趣意書」を発表し、無名の職人の作品や、民衆の生活から作り出された用の美を広めるための「民藝運動」が始まっていく。
交通網が発達したことで収集が捗り、民藝館の設立や雑誌刊行を通して民藝の美を広めていった。
大正〜昭和と都市発展が浸透し、都市の大義として「郷土」という概念が生まれる。
そうすると、都市の人が郷土のものを楽しむという、再評価の流れも世の中に起こりつつあった。
柳宗悦らは戦後、「手仕事の日本」を出版し、
戦後の国際復興に民藝が注目されると、柳宗悦らはモダンデザインの研究に、息子の柳宗理はインダストリアルデザインに向かった。
※蛇足メモ
初期の活動の中では、
民藝を広める製作者集団(上加茂民藝協團)を作ったが、職人と無名の個人作家の繋がりを拒否する仲間もいて解散したりと、紆余曲折もあったようすで、いかに新しい考え方だったのか窺い知れる。
※蛇足メモ2
一方で彼らの活動と別に農閑副業としての工芸品を活性化させる運動もあった。
※蛇足メモ3
河井寛次郎や濱田庄司は東工大出身の陶芸家で、柳宗悦は思想家、メディアの人
※蛇足メモ4
窯元への美術、技術指導については、
イギリスのスリップウェアの飾り付け技術を日本の窯元に教えるなど。
特に、湯町窯や島根の焼き物などは黄色い釉薬を使うという点で親和性があったようだ。
釉薬の掛け方、デザインを指導したりとか。
##「下手物」だった物の、商業化・流通について
驚くことに柳宗悦は「民藝」という「ブランド体験」をデザインしていた。
出版物の装丁を織物にしたり、印刷の仕方からフォントにこだわったり。
近年ものがあふれブランディング意識が高まっているが、この考え方を戦前にすでに実施していた。
特に、民藝を伝える「メディア」として、出版×美術館×ショップの体制を構築することが重要と説いた。
だから、機関紙の発行や展示会、百貨店での即売会といった活動をしていた。
また、ショップという点で画期的な取り組みとして紹介されたのは鳥取出身の吉田璋也。地元鳥取にて、たくみ工藝店という民藝の専門店を作り、民藝品の商業流通の初の事例を作った。
ににぎりネクタイをはじめ、鳥取各地の窯に赴き、民藝のモダン化を広めていった。
工藝店の隣には、民藝品や地元食材を使った料亭も作り、今に通ずるプロデュースデザインだった。
↓たくみ工藝店サイト
https://takumikogei.theshop.jp
今すぐにでも鳥取に行きたくなります。
ここからが感想、そして本題
##柳宗悦の活動を辿ることで、今に生きる我々が得られるヒントがある
柳宗悦の系譜や民藝運動を通して、人々の日常の「積み重ね」が「民藝」というジャンルを生んだことがわかった。
■自分の手仕事を信じ、自分で作る生活も良い
そして「手仕事」・・・「自分で作ること」に可能性を感じた。
柳宗悦が京都の市場で感動したような、その辺のおばさんの手仕事が評価されること=自分たちの日常生活の中で作るものや工夫が、実は有用的かつ美しさがあること。
つまり、「自分の手仕事を信じていいのではないか」?と思える。
いまあなたが好きで作ってる音楽や、
工夫から作られた料理、
好きなパッチワークも、
人々が作る物すべて
柳宗悦は明確な線引きをしていたので彼の意図とは少しずれた解釈になると思うが、広い意味で云えば生活の中で作るもの全て「民藝」に繋がるものだろうと私は思った。
また、自分で手仕事することから、飛躍するかもしれないが、お金に依存しない生活の可能性も見出せる。
資本主義もピークを迎え、なんでもお金を出さないと手に入れられない現在。与えられる社会。そしてそのお金自体も、不景気や時代に合わない政策で巡りが悪くなっており、資本主義に迎合しているだけでは何も手に入れることができなくなるだろう。
それに、なんでもかんでもお店や大企業、芸能事務所など、外部で用意された大量生産の出来合いの製品が必ずしも良い物とは限らない。
なければ作る。自分で気にいるものを作る。
かつて、必要な生活用品を自分たちでまかなっていた時代、そしてそれが評価される時代の流れがあった。それが民藝運動だ。
生活に自分たちの手仕事をもっと取り込んでいいのではないか?自分で自分の生活をデザインする。その積み重ねもいずれ民藝になるかもしれない。
そのことを思い出して、わたしたちの自身の手仕事をもっと信じて、「自分自身で作ること」、そこにある価値を見つめ直しても良いと思う。
■この時が来た!無名のクリエイターが評価される「個の時代」と民藝運動の親和性
また、民藝運動のポイントである「無名のものが評価される」動きはいまの世の中にも同じことが起こっていると思う。