入って2ヶ月経つ新しい職場に、行きたくない。
朝、できるだけ布団に閉じこもっていたくて、何度もアラームを止めてはセットし直す。
そしてついに限界が来て、3時間のうち1時間は一人で仕事だから...と自分を励まし、やるはずの家事をやらずに自分だけの支度をして家を出る。
もともと常連や、スタッフの家族が働いていたところに入ったということ抜きにして、
人としてのノリや価値観が合わないように感じて、肩身が狭い。
お酒をたくさん飲むことがかっこよくて正義だと思っている人たちが無理だ。
合わないところとして例えば
阿吽の呼吸のつもりだったらいいのだろうけど、声かけ、情報共有がない。彼女らの仕事のペースで仕事をして、私を巻き込んでもらえないのだから尚更やりづらい。
きっと、なかなか仕事を覚えられない、慣れていない扱いをされているから、メンバーとしてまだ認めてもらえてないのだろう。
自分は頑張っているつもりでも、それが周りからの評価で、現実だ。仲間に入れてもらえないというのはそういうことだ。
ちなみに、今日は新人が来て私がつきっきりになる、ということすら何も知らされてなく、よろしくもなく「今日はホールで。つきっきりでお願いします」
だけだ。
私はこの店で、自分のことすら教えてもらえないぐらいの人権なのだ。
そしてイライラされている。
誰しも、「こいつにはイライラしていいや」「なんか当たってもよさそう」と特定の人に思うことってありますよね。私はまさにそれをされている。(最近までは別の職場で同じシフトの子にやってしまっていたけど、気づいてやめるように自律した。)
最近は、すでにドリンクが出ていることを知らずに持って行こうとしてしまい、「もう出てます」
そして小声で、使えねぇ、と言われた。(と聞こえたが気のせいだったらいいのに...)
そんな攻撃的になったって場が悪くなるだけなのに...まぁ二十歳なんて若いから仕方ない、これから知ることだろう、知れるんならだけど。
新人さんに丁寧に教えていたら、店長は「いきなりは全部覚えられないだろうから、その都度俺に聞いてくれればいいので」と突っ込まれた。
ほっとけないぐらい私はそんなに余計な世話をしていたのだろうか。私が教えるのは生意気だったのだろうか。
教えないとできないようなことも、重要なことを伝えず、わざと口頭だけで済ませて突き放される、意地悪もされたり。
一緒に働くことをまだ認められず、顔を見ればイライラされ、小言、悪態も言われる。嫌味もぶつけられる。
私なら、ちゃんと教え、声をかけ、他人を肯定的に捉え、仕事がスムーズにまわるように努力をする。気分を害するような攻撃はナシにして、雰囲気を良くする努力をみんなでしたい。だって雰囲気良い方がwinwinじゃないか。心に余裕ができて、円滑に仕事回せるじゃないか。
そんな奴らに不一致感がひどく、胸の中を虫が這ってるような気持ち悪さを感じ、私を陥れる人、客、環境、仕事内容全てを呪い責めている。
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しかし、そう思わせているのは自分であり、自分に非があるのだと気づいた。
まずは、自分が変わるべきだ。
自分に自信がなく、存在価値をなんとか守りたいがために、哲学を押し付けすぎていたと思う。
鏡の法則で、自分と同じ姿であってほしいと、投影を周りに求めすぎていたと思う。
その凝り固まった自己愛をほぐし、不一致感を解消する努力をするべきだ。
社会に馴染めないから...と自分を許している場合ではない。このままではどこに行っても同じだと思う。
これが本当に自分の中で大切で許せないことなら、守るしかないけど。
つまり、
自分の努力を見てくれないとか、自分なりに頑張っているとか、そんなことは誰も考えてくれない。
自分の努力を見て欲しい分、周りの努力を見ようとしてるが、それは自分のエゴの投影だ。
周りの人たちは、自分が店の一部と成り歯車を回せているか?以外はどうでもいい。
逆に、周りの人たちは、彼らの周囲に何を投影し求めているのだろう?
他のスタッフの顔を思い浮かべる。
柔軟であること、ルールを守ること、オペレーションを回すこと、お客さんを大事にすること。
少なくとも、この店ではこれらに自分を一致させていくべきだと思う。
その協調性がないから、スタッフとして認められないのはある意味当然だ。
また、
チエブクロのあるアンサーがとても刺さった。。
私は仕事を果たすのに積極的な姿勢だっただろうか?
この指摘の通り「大変だなぁ」とモジモジしてしまっていた。。
仕事をわざと適当に教えられるのも、自己判断が出来なさすぎるゆえのイジメということなのだろうか。
自分が世間知らずで、いわゆる社会的な常識が足らず、甘い人間なのはわかっているから、心当たりがあるぶん余計自責せざるを得ない。
いつまでも新人面し続けていた節はある。
入って2ヶ月でまだ新しいとか言ってるあたり世間的にヤバいのだろうな。週2〜3で1日3h+α、合計26日85時間ぐらい。飲食のバイトならもう研修期間抜けてるのだろうね。もう一つのところは仕事内容も多くないし1ヶ月ぐらいで立ち上がれたと思う(結構努力した)
モジモジして、仕事に積極的になれず、
ある段階のところで止まって、次のことに進めないまま、あちこち小さいミスを犯す。
人となりはあまり喋らず、物静か。
これでは関わりたくないし、教えたくないし、不純物として排除しようと思われるのも無理はない。
(次にいけないのは、その段階をちゃんと完璧にしたい、というのもあるんですけど...)
「こういう人たち無理」と自分で壁を張ってる時点で、ある意味私自身が人を見下しているしね。
いくら呪ったって、過去と他人は変えられない
自分と未来は変えられる
周りを変えるなら、まずは自分を変えないといけないのだ。
この人たちが無理なのは変えなくて良い気もするけど、一緒にやっていくなら歩み寄りって大事だよね。
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しかしなぜだろう、最大の違和感は、
もう一つの職場と違って、全く仕事に積極的な気持ちになれないのだ。。
この職場のために頑張りたいと思えないのかもしれない。時間を作りたくない。もう一つの方は、休みの日でも資料作ったりとかやりたくてやるのに。
新しいことができなくなる、これが年齢なのか...?
本当はやる気がないのかもしれない。
キッチンなんてやりたくないのかもしれない。
ひたすら人が嫌いなだけなのかもしれない。
ここでやりたいことはなんだったのか?
ここで成りたい姿ってなんだったのか?
そんで、自分はここでやりたいのか?
この店の価値を出すために、自分は考えて行動していたのか?
ここで働いている自分を想像して、そこに色はあるか?重い?軽い?どんな匂い?五感で何か感じ取れる?
と、同時に、
もうひとつのバイト先みたいに、まだ妥協と納得ができるような人間関係、良い雰囲気の職場がこの世に存在することも事実で、じゃあこのまま自分と合わない人たちと一緒の空間で過ごしていていいのか?
合わない靴で無理矢理歩いている感覚なのだ。
私が甘いゆとり世代だからこんなこと大切にしたくなって、そう考えるのだろうか?
ここじゃないと私は生きていけないのだろうか?
それを考え、大切にしたいのは逃げなのだろうか?
これは甘えか?甘えを捨て鍛えたら、もう少し楽に生きれるのか?
前者は自分に負けたくない気持ち
後者は自分を大切にしたい気持ち
なのだ。
前者と後者、自分にとってどちらが大事なんだろう?
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まぁ、
目先は自分をもう少し変えよう。
明るく、
自分ができることを書き出す、
ミスをメモして繰り返さないこと、
最近教えてもらったことを復習する(時間作る)
新しいことを一つやれるように、次の段階何するか目標設定すること、目標を地道にクリアしていくこと。
コプラシングアンカーを試してみるのも良い。
まずはやれることをやろう。
いつか誰かが言っていた。
死ぬこと以外、かすり傷。
(そもそも酒飲みが嫌いならダイニングバーを選んだ自分が悪い説もある。笑
というかこれが結論でいいのではないか...。)