巷ではGWも始まりましたが、来季に
向けて各選手は、準備に練習に始動
していると思います。
ヘルシンキワールドの結弦くんのフリー
エキシビション演技の、興味深いコラム
がありました。
既出だと思いますが、自分用に。



VICTORYより
文 いとうやまね
【羽生結弦が自らのスケート人生を投影したFS/『Hope & Legacy』】
緑豊かなかの地に思いを馳せる。“杜(もり)の都”と呼ばれる仙台。かつて伊達政宗公が開いた美しい都には、遠く奥羽山脈から流れ込む川がいくつかある。羽生の生まれ育った町には、「七北田川(ななきたがわ)」が流れる。仙台平野を潤す河川の一つだ。ヘルシンキではフィンランドの壮大な自然をイメージしたという羽生。今季ラストとなる美しい調べに、母なる地を重ねてみたい。
杜の都の伝承
七北田川は、北西部にそびえる「泉ケ岳」を水源とする。山中に湧き出す美しい水は、多くの細流と合流しながら蛇行し、西から東へ、やがて仙台湾へと達する。この川にはいくつかの逸話がある。その一つが、七北田川の旧名「神降川(かみふりがわ)」、あるいは「冠川(かむりがわ)」にまつわるものだ。
神降(かみふり)の名は、農業の守り神「志波彦(しわひこ)神」がこの地に降りてきたことに由来する。冠(かむり)については、やはり志波彦神が白馬で川を渡ろうとして石につまずき、頭の冠を川の中に落としてしまったという伝承から来た名前だ。その志波彦神だが、一説によればスサノオであるとか。なかなか神さびた土地である。
泉ケ岳は、四季を通じて様々な表情を見せてくれる。仙台市内の多くの学校が、この山を林間学校に指定しているので、羽生にとっても思い出のある山かもしれない。広大な山林には、ブナの原生林も残されている。これら手つかずの自然も、低地に広がる田畑も飲み水も、すべて泉ケ岳が生み出す豊かな水に支えられているのだ。このことから、泉ケ岳は古来より「水神」を祀る霊山として人々に崇拝されている。
水神……羽生はまさにそんな装いである。
煌めくピアノのアルペジオは、止めどなく溢れ出す湧水を想起させる。羽生はかすかな音を立てながら、滑走を始める。
生まれたばかりの湧水は、岩の隙間を走りぬけ、時おり四方に砕け散る。そのしぶきは、大地や草木に潤いをもたらす命の源だ。
緩やかに流れるストリングスは、巨木をぬって吹く風。目をつむると、そこに二百余年のブナの木が揺れる。
見渡せば、群生する森の花々が、樹間から漏れる陽光に手を伸ばしている。
羽生が光の輪を描く。
森に生まれた七つの泉は、水神の指先が瑠璃色に染めたもの。底をのぞけば、深い碧に遠いむかしの自分が映し出される。
(流れを止めるな、先に進め)
七つの森を超え、小川はいつしか大河になる。そして、長い旅路の果てに大海に流れ込むのだ。
やがて海が雲を作り、風が霧を運び、森に恵みの雨をもたらす時、大地はふたたび地中に命の水を抱く。
何億年も昔から、繰り返し、繰り返し……。
超えるもの
Hope & Legacy(希望と遺産)というコンセプチュアルワードは、作曲家・久石譲氏が長野パラリンピックのフィナーレをプロデュースした際に生まれたものだ。みなで共有するテーマを久石氏が提案したのである。
「障害があっても希望(ホープ)を持って生きること。希望を持てば、必ず乗り越えられること。アスリートとしての姿を見せ、障害者も健常者も共に生きられる世界、その新しい価値観を作り出すことがレガシィ(遺産)になる」
こうして生まれたのが、テーマソング『旅立ちの時~Asian Dream Song~』である。すでに発表されていた曲だが、ドリアン助川氏の作詞で合唱曲に生まれ変わった。
「今地球に生きる者よ、旅立ちの勇気を」
「夢をつかむ者たちよ、君だけの花を咲かせよう」
厳しくも、深い絶対的な愛は、大自然そのものだ。羽生は長野五輪・パラリンピックが開催された1998年にフィギュアスケートを始めたという。青年になった今、この曲に何か運命的なものを感じたのかもしれない。プログラムは、『Asian Dream Song』を挟むように、久石氏の代表曲『View of Silence』がアレンジされている。題名は、久石氏がフィナーレのテーマにした『Hope & Legacy』が踏襲された。
久石氏は著書でこんなことを書いている。ある映画監督からの曲依頼についての話だ。
「映画を作ろう、監督をやろうという人は、想像力にあふれている。自分の持てるすべてを投入して映画を撮っている。こちらもそれに太刀打ちできるだけのもので応えなければならない。監督は、実は自分の要求したイメージの殻を突き破るような新鮮味のある音楽を求めているのだ」
コーチと選手、振付師と選手は、映画監督と音楽家の関係によく似ている。互いにすり合わせ、ぶつかり合いながら、さらなる上を懸命に模索する。“要求したイメージの殻を突き破るような”羽生の進化はつづいてゆく。その中にこそ、「希望と遺産」が生まれるのだ。



【[世界フィギュア]王者・羽生結弦が贈る極上のエキシビション】
星の囁きが聞こえてくるような静かな夜。サン=サーンスの名曲『白鳥』にのせたロマンティックで瑞々しい愛の詩を、羽生が体現する。今、一羽のオオハクチョウがヘルシンキの湖に着氷したようだ。




氷上のセレナーデ/EX『Notte stellata(星降る夜)』
青く照らされた氷上にスポットがあたると、羽生は穏やかな表情で、ゆっくりと“月あかり”に身を委ねる。背中の大きく開いた衣装の白に、煌めくストーンと軽やかな羽根が揺れている。
湖面に映る月をごらん
星々が僕らに瞬いている
魔法のような夜に
君へのセレナーデを歌うよ
2011年に結成された、イタリアの人気テノール・グループIl Volo (イル・ヴォーロ)は、その歌唱力と若さでセンセーショナルを引き起こした。この『Notte Stellata』(ノッテ・ステッラータ)を録音した時には、メンバーの3人はまだ16歳と17歳の少年だったのだから。歌詞はロマンティックな告白である。愛する人の部屋の窓下で想いを奏でる……ロミオとジュリエットの昔から変わらない風景といえる。
詩中の「湖lago」は、愛を切々と歌い上げる自分自身で、「月luna」は、愛する君を指している。すなわち、湖面の月は「僕(湖)に抱かれた君(月)」をイメージしてもらいたい。さらに、「僕がどれほど愛しているか、君は知らない。僕の心には君しかいないのに」と続く。
大きく翼をひろげ、長い首を持て余すかのような羽生のスピンは、まさに優雅なオオハクチョウだ。これは偶然なのだが、オオハクチョウはフィンランドの国鳥である。フィンランドの1ユーロ硬貨の裏側には、湖の上を飛ぶ2羽の白鳥が描かれている。冬が終わり、春になるとここヘルシンキにも南の国から白鳥たちが群れになって戻ってくる。ちょうど日本とは逆になるかたちだ。羽生の生まれ育った仙台の七北田川(ななきたがわ)にも毎年たくさんの白鳥が飛来する。羽生も子供の頃から目にしていたはずだ。
両手を顔に這わせる振付がセクシーだ。これでもかというほどに美しいイナバウアーにはもはや言葉を失う。客席からは悲鳴にも似た歓声とため息が聞こえてくる。
サン=サーンスと白鳥
原曲の作者であるサン=サーンスと、この「白鳥」という作品について少し触れておこう。カミーユ・サン=サーンスは19世紀半ばから後半にかけてに活躍したフランスの作曲家である。天才肌で、天文学や数学といった学問や、絵画にまで活動の幅を持っていた人物である。
「白鳥」が収められた『動物の謝肉祭』という組曲は、全14曲からなるもので、友人であるチェリストが主催する夜会用に作曲されたものだ。ごく個人的な目的であったのと、既存の曲や作曲家を揶揄するような嗜好で作られた作品が多々あったことから、本人が亡くなるまで世の中に出てこなかったという、いわくつきの作品である。
「白鳥」は、その後ロシア出身のバレエダンサー、ミハイル・フォーキンによって振付けられた『瀕死の白鳥』というバレエ作品の音楽として、世界に名を馳せることとなる。はじめから瀕死だったわけではないのだ。
愛の喜び
さて、後半に入ると徐々に恋する男は強気になってくる。「僕がどれほど愛しているか、君はもう知っているね」と、さっきとは正反対のことを言う。力強い大きな翼が、羽生の背中に見えるだろうか。渾身のハイドロブレーディングが、氷煙を切り裂く。幸福に満ちた美しい夜だ。
僕が君を愛しているのを
君は知っている
君はもう僕を愛している
終盤のステップ、そしてジャンプ、スピンは、愛の喜びに満ち溢れている。あなたはもう、羽生結弦を愛している。
うん、うん、結弦くんファンの大多数は、
もう以前からね。(^_-)
ヘルシンキワールド、国別で新たに堕ちた
人も多いでしょう。
今季のSP、フリー、EXは3つ共、結弦くんの魅力を引き出してくれたプログラム
でしたね。
ジェフ、シェイ=リーン、デヴィットにも
感謝。(^^)v
結弦くんの周りは本当に良い人ばかり。
良いオーラの人には良い人が集まるのね。
来季はどんなプロが来るかしら。(^^)
結弦くん、そろそろトロントかな。
どうか怪我だけはしませんように。
(画像と記事文は感謝しつつお借りしてます。)
向けて各選手は、準備に練習に始動
していると思います。
ヘルシンキワールドの結弦くんのフリー
エキシビション演技の、興味深いコラム
がありました。
既出だと思いますが、自分用に。



VICTORYより
文 いとうやまね
【羽生結弦が自らのスケート人生を投影したFS/『Hope & Legacy』】
緑豊かなかの地に思いを馳せる。“杜(もり)の都”と呼ばれる仙台。かつて伊達政宗公が開いた美しい都には、遠く奥羽山脈から流れ込む川がいくつかある。羽生の生まれ育った町には、「七北田川(ななきたがわ)」が流れる。仙台平野を潤す河川の一つだ。ヘルシンキではフィンランドの壮大な自然をイメージしたという羽生。今季ラストとなる美しい調べに、母なる地を重ねてみたい。
杜の都の伝承
七北田川は、北西部にそびえる「泉ケ岳」を水源とする。山中に湧き出す美しい水は、多くの細流と合流しながら蛇行し、西から東へ、やがて仙台湾へと達する。この川にはいくつかの逸話がある。その一つが、七北田川の旧名「神降川(かみふりがわ)」、あるいは「冠川(かむりがわ)」にまつわるものだ。
神降(かみふり)の名は、農業の守り神「志波彦(しわひこ)神」がこの地に降りてきたことに由来する。冠(かむり)については、やはり志波彦神が白馬で川を渡ろうとして石につまずき、頭の冠を川の中に落としてしまったという伝承から来た名前だ。その志波彦神だが、一説によればスサノオであるとか。なかなか神さびた土地である。
泉ケ岳は、四季を通じて様々な表情を見せてくれる。仙台市内の多くの学校が、この山を林間学校に指定しているので、羽生にとっても思い出のある山かもしれない。広大な山林には、ブナの原生林も残されている。これら手つかずの自然も、低地に広がる田畑も飲み水も、すべて泉ケ岳が生み出す豊かな水に支えられているのだ。このことから、泉ケ岳は古来より「水神」を祀る霊山として人々に崇拝されている。
水神……羽生はまさにそんな装いである。
煌めくピアノのアルペジオは、止めどなく溢れ出す湧水を想起させる。羽生はかすかな音を立てながら、滑走を始める。
生まれたばかりの湧水は、岩の隙間を走りぬけ、時おり四方に砕け散る。そのしぶきは、大地や草木に潤いをもたらす命の源だ。
緩やかに流れるストリングスは、巨木をぬって吹く風。目をつむると、そこに二百余年のブナの木が揺れる。
見渡せば、群生する森の花々が、樹間から漏れる陽光に手を伸ばしている。
羽生が光の輪を描く。
森に生まれた七つの泉は、水神の指先が瑠璃色に染めたもの。底をのぞけば、深い碧に遠いむかしの自分が映し出される。
(流れを止めるな、先に進め)
七つの森を超え、小川はいつしか大河になる。そして、長い旅路の果てに大海に流れ込むのだ。
やがて海が雲を作り、風が霧を運び、森に恵みの雨をもたらす時、大地はふたたび地中に命の水を抱く。
何億年も昔から、繰り返し、繰り返し……。
超えるもの
Hope & Legacy(希望と遺産)というコンセプチュアルワードは、作曲家・久石譲氏が長野パラリンピックのフィナーレをプロデュースした際に生まれたものだ。みなで共有するテーマを久石氏が提案したのである。
「障害があっても希望(ホープ)を持って生きること。希望を持てば、必ず乗り越えられること。アスリートとしての姿を見せ、障害者も健常者も共に生きられる世界、その新しい価値観を作り出すことがレガシィ(遺産)になる」
こうして生まれたのが、テーマソング『旅立ちの時~Asian Dream Song~』である。すでに発表されていた曲だが、ドリアン助川氏の作詞で合唱曲に生まれ変わった。
「今地球に生きる者よ、旅立ちの勇気を」
「夢をつかむ者たちよ、君だけの花を咲かせよう」
厳しくも、深い絶対的な愛は、大自然そのものだ。羽生は長野五輪・パラリンピックが開催された1998年にフィギュアスケートを始めたという。青年になった今、この曲に何か運命的なものを感じたのかもしれない。プログラムは、『Asian Dream Song』を挟むように、久石氏の代表曲『View of Silence』がアレンジされている。題名は、久石氏がフィナーレのテーマにした『Hope & Legacy』が踏襲された。
久石氏は著書でこんなことを書いている。ある映画監督からの曲依頼についての話だ。
「映画を作ろう、監督をやろうという人は、想像力にあふれている。自分の持てるすべてを投入して映画を撮っている。こちらもそれに太刀打ちできるだけのもので応えなければならない。監督は、実は自分の要求したイメージの殻を突き破るような新鮮味のある音楽を求めているのだ」
コーチと選手、振付師と選手は、映画監督と音楽家の関係によく似ている。互いにすり合わせ、ぶつかり合いながら、さらなる上を懸命に模索する。“要求したイメージの殻を突き破るような”羽生の進化はつづいてゆく。その中にこそ、「希望と遺産」が生まれるのだ。



【[世界フィギュア]王者・羽生結弦が贈る極上のエキシビション】
星の囁きが聞こえてくるような静かな夜。サン=サーンスの名曲『白鳥』にのせたロマンティックで瑞々しい愛の詩を、羽生が体現する。今、一羽のオオハクチョウがヘルシンキの湖に着氷したようだ。




氷上のセレナーデ/EX『Notte stellata(星降る夜)』
青く照らされた氷上にスポットがあたると、羽生は穏やかな表情で、ゆっくりと“月あかり”に身を委ねる。背中の大きく開いた衣装の白に、煌めくストーンと軽やかな羽根が揺れている。
湖面に映る月をごらん
星々が僕らに瞬いている
魔法のような夜に
君へのセレナーデを歌うよ
2011年に結成された、イタリアの人気テノール・グループIl Volo (イル・ヴォーロ)は、その歌唱力と若さでセンセーショナルを引き起こした。この『Notte Stellata』(ノッテ・ステッラータ)を録音した時には、メンバーの3人はまだ16歳と17歳の少年だったのだから。歌詞はロマンティックな告白である。愛する人の部屋の窓下で想いを奏でる……ロミオとジュリエットの昔から変わらない風景といえる。
詩中の「湖lago」は、愛を切々と歌い上げる自分自身で、「月luna」は、愛する君を指している。すなわち、湖面の月は「僕(湖)に抱かれた君(月)」をイメージしてもらいたい。さらに、「僕がどれほど愛しているか、君は知らない。僕の心には君しかいないのに」と続く。
大きく翼をひろげ、長い首を持て余すかのような羽生のスピンは、まさに優雅なオオハクチョウだ。これは偶然なのだが、オオハクチョウはフィンランドの国鳥である。フィンランドの1ユーロ硬貨の裏側には、湖の上を飛ぶ2羽の白鳥が描かれている。冬が終わり、春になるとここヘルシンキにも南の国から白鳥たちが群れになって戻ってくる。ちょうど日本とは逆になるかたちだ。羽生の生まれ育った仙台の七北田川(ななきたがわ)にも毎年たくさんの白鳥が飛来する。羽生も子供の頃から目にしていたはずだ。
両手を顔に這わせる振付がセクシーだ。これでもかというほどに美しいイナバウアーにはもはや言葉を失う。客席からは悲鳴にも似た歓声とため息が聞こえてくる。
サン=サーンスと白鳥
原曲の作者であるサン=サーンスと、この「白鳥」という作品について少し触れておこう。カミーユ・サン=サーンスは19世紀半ばから後半にかけてに活躍したフランスの作曲家である。天才肌で、天文学や数学といった学問や、絵画にまで活動の幅を持っていた人物である。
「白鳥」が収められた『動物の謝肉祭』という組曲は、全14曲からなるもので、友人であるチェリストが主催する夜会用に作曲されたものだ。ごく個人的な目的であったのと、既存の曲や作曲家を揶揄するような嗜好で作られた作品が多々あったことから、本人が亡くなるまで世の中に出てこなかったという、いわくつきの作品である。
「白鳥」は、その後ロシア出身のバレエダンサー、ミハイル・フォーキンによって振付けられた『瀕死の白鳥』というバレエ作品の音楽として、世界に名を馳せることとなる。はじめから瀕死だったわけではないのだ。
愛の喜び
さて、後半に入ると徐々に恋する男は強気になってくる。「僕がどれほど愛しているか、君はもう知っているね」と、さっきとは正反対のことを言う。力強い大きな翼が、羽生の背中に見えるだろうか。渾身のハイドロブレーディングが、氷煙を切り裂く。幸福に満ちた美しい夜だ。
僕が君を愛しているのを
君は知っている
君はもう僕を愛している
終盤のステップ、そしてジャンプ、スピンは、愛の喜びに満ち溢れている。あなたはもう、羽生結弦を愛している。
うん、うん、結弦くんファンの大多数は、
もう以前からね。(^_-)
ヘルシンキワールド、国別で新たに堕ちた
人も多いでしょう。
今季のSP、フリー、EXは3つ共、結弦くんの魅力を引き出してくれたプログラム
でしたね。
ジェフ、シェイ=リーン、デヴィットにも
感謝。(^^)v
結弦くんの周りは本当に良い人ばかり。
良いオーラの人には良い人が集まるのね。
来季はどんなプロが来るかしら。(^^)
結弦くん、そろそろトロントかな。
どうか怪我だけはしませんように。
(画像と記事文は感謝しつつお借りしてます。)