突き放したような最後がかなしい。
けど、これがclampの魅力なので私はなにもいえません。
結局、百目鬼は結婚して子供を育てたわけだけれど、ずっと四月一日のそばにいてあの卵を使う時を待っているってことだね。
これって、何代かときを経たあととかで、またサイドストーリーとしてclampさん作りそう。
伝説になって、もはや卵がどういう役割をもったものかも分からなくなって……それでさいごに真相が分かるってやつ。
今私はコードギアスに遅ればせながら再びはまっているわけだけれど。
clamp作品って、すごくかなしい。
だから、すきなんだけど。
(コードギアスをclamp作品として考えていいかどうかは、私にもわからない。でも、凄くclampらしい作品だったと思う)
Xも、東京バビロンも、人が人を想っているのにそのすれ違いがかなしい。
holicもかなしい。
いなくなってしまった人だけじゃなくて、四月一日には他のひともいたはずなのに、その人をこばんでまで一人のひとを待ち続ける選択をしてしまった、その噛み合わなさがかなしい。
しあわせはひとりでは成り立たない。
完結した幸せは誰かを不幸にするだけだよ。
四月一日と百目鬼の、語られなかったその後を想うとかなしくなった。