世界平和なんてことは言えないけど

私はこの国をずっと守ってきてくれたご先祖様に感謝したい。

次の世代にはこの国のひとであることを誇りに思えるような、

そんな命の繋ぎ方をしないとね。

それが今を生きる私の責任かな。


どんな時に生まれてもそれを全うするだけ。

そういう責任を持った大人になりたい。


わたしに何ができるのか?

どうすればいいのか?


それを考え続けることが、それで、それを実行していくことが、

私にとって善く生きるっていうことかな。


いつ死んでもきっと後悔は残るだろう。

でも、その後悔よりも、善く生きることができたっていう実感が少しでも勝れば、

きっと私は幸福に生きたってことなんだろう。


選挙には行こう。

仕事は誠意を持って臨もう。

あの90歳のおじいさんも若いころは命をかけてこの国を守ってきてくれたかもしれない人。

最近ご老人にため口で話してしまう時があるけど、やっぱりそういうのはあまりよくないかもしれない。

状況に応じてかもしれないけど、でも、やっぱりご老人には尊敬と敬意を持って臨まねば。

まるで自分が偉くなったかのような錯覚はよくないね。

私なんてまだまだひよっこなのだから、ああいうふうに立派に生きてこられた人の足元にも及ばない。

たまに、生保でわがまま放題で、どうなのって人はいらっしゃるけどさ……。


でも、ため口の方が嬉しそうな場合もあるしなあ……。

難しいけど。


でも、どんな気持ちなんだろう。

若いころは戦争で戦って、

生き残って、

日本に帰って一生懸命働いて、妻子を養って、

その子どもも大きくなって妻も死んでしまって、

それでひとり、やかましい同室者に囲まれながらあの窓際の病室で自分で起き上がることもできず食事も取れず窓から空を眺めているのって。


立派な息子さんが見舞いにきたら泣いていた。そのおじいさん。

孤独なのかな。あきらめなのか。

それとも、昔のことを思い出してるのか。

腹を立てながらもどうにもならないからあきらめてしまっているのか。

今の状況を享受してるのか。

家に帰れないかもしれないということを悟ってるのか。

家に帰ることを心待ちにしてるのか。


私にはわからないな。

私にはできることも少ない。

でも、できることが少しでもあるのに、それに気づかず淡々と業務をこなすのって、嫌だな。

そんなことをしていたら、たぶんきっと私はしぬときに後悔するだろう。

善く生きれなかったなあ、って。


私はこうして考えないと、今までその少しのできることにも気付かずきめられた業務を雑にこなしてたよ。

こうして日記を書いて反省しないと、私は本当に気付かないから。


反省。そして、修正。

また、年明けからもがんばろう。