明日死ぬかもしれない、と思って日々悔いなく生きよう!と、時には考えることは大切なことだと思う。
自分のことでも、家族のことでも。
特に、両親はもう高齢なので、親戚の家に行きたい、と言えば、なるべくそれが実現できるよう私も努力するようにしている。
でも、自分のことを振り返れば、
多分、終末期に後悔することは、今すでに後悔していることかも。
だから、今から取り戻せる「後悔」は、取り戻す努力をしてみるけど、もうすでに後悔していることは、無理だな。
現実的に、明日死んでもいいように今からやるべきことは、「やりたいことをやる」のではなく、「足るを知る」ことかな。
不満や後悔は色々あるし、やりそびれたこともあるけれど、
自分なりに、その時その時、良いと思うことをやってきた。
明日死ぬとしたら、やり残したことがあまりにもたくさんある。
でも、やり切ったこともたくさんある。
悲しいことや、恨みつらみもあるけれど、幸せでもある。
死ぬ間際に、「やり残したこと」を思い出すのではなく、「できたこと」を思い出す人でありたい。
この中に登場する男性も、思ったことをすべてやったから満足しているのではなくて、足るを知っているから満足できたのではないだろうか。と思うのだ。