薄っぺらい人道主義と感情で悪化する難民問題 | 新・今日の韓国マスコミダイジェスト!

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EUにシリアをはじめとする難民が大量に流入し混乱しており、いっこうに改善の余地が見られない。移民と欧州の間、そして欧州各国の間で今後は対立が続くと思われる。
この状態になったのは実に単純で、難民の子供が死亡した写真を見て「難民を助けなければ」と無秩序に難民を招き入れたからだ。その後の大量流入で、今度は手のひらを返したかのように難民を拒否し始めた。今やドイツでもメルケルとその支持者ぐらいしか移民受け入れを認めておらず、当面、緊張が続くだろう。一時の感情で政治を見誤った典型的な例である。これだから民意にあわせて政治をすると危険なのだ。


ドイツが受け入れを表明したのはホロコーストの償いから人道主義をアピールするとともにドイツの労働力不足だからと言われている。その数は約60万人、そこまでは受け入れ可能と思ったのだろう。しかし今回の「難民」はその数を大きく上回る。潜在的難民も含めればその数は少なくとも数千万人を超える。いくらなんでもその数を受け入れることは出来ない。良い格好をしようとして「歓迎」という言葉を使ったためにこうなったのだから、メルケル首相の失言は欧州全体に大きな影響を及ぼしている。


いくらドイツが労働力不足と言っても、失業率は5%近くあり、日本より悪い。では一体どんな労働力が不足しているかと言えば、当然ドイツ国民さえやらない単純労働だろう。だが今回の「難民」は大卒などもいて学歴は結構高い。そうした「難民」を単純労働に従事させるという安易、かつ傲慢なドイツの姿勢は果たして難民を満足させられるだろうか。
しかも受け入れた難民には毎月20~30万円を配り、衣食住全て面倒を見る。ドイツ国民全てが裕福ならまだしも、恵まれない人も多数いる。恵まれない人からも徴収した税金で外国人の生活保障をすることは到底納得されまい。最近だけでも200件ほどの難民収容施設襲撃があったという。


ドイツを目指し難民が通過していく南欧諸国はドイツに対し非常に強い憤りを感じているようだ。しかも「難民」が通った後はゴミの山、犯罪が多発するなど民度が極めて低く、欧州秩序を破壊している。几帳面なドイツ人の性格では、あの民度の低さは到底我慢できまい。ギリシャ問題などでドイツに対する視線が悪化している中、この問題はドイツが敵視される恐れさえある。この難民問題はEUの崩壊、ドイツの極右化、欧州各国でのテロの増加の可能性があり、世界を揺るがす大きな問題だ。


本当の難民には同情するが、実際には「経済移民」が多数存在する上、移民先の秩序を破壊し要求を突きつけるあの民度の低さを見るととても許容は出来ない。
移民してくるならば「移民先国家の秩序と文化を尊重し、模範的なその国の国民となるよう努力する」のが常識であろう。だが世界の移民のほとんどがその真逆、自国より民度が高く人権意識の高い国に行って人権を主張してその国民より良い暮らしを要求するものもいる。そして祖国の文化を持ち込み、地域の秩序さえ乱す。
朝鮮戦争で大量の「難民」を受け入れた日本ではその在日によってどれだけ日本の治安と秩序が破壊されてきたか。それを考えれば難民の受け入れというのがどれだけ大変なことか言うまでもない。


今回の欧州もそうだが、受け入れ体制が整っていないのに「可哀想だから」受け入れるというのは実に無責任だ。受け入れ体制が整っていなければ、最終的に民族間対立にもなり、双方が不幸になる。そして高度な文明社会が野蛮化していく。日本にも難民受け入れを主張する勢力もあるが、日本にイスラム教徒を受け入れる土壌がない。ハラル認証すら整っていないのに受け入れても彼らが生活できない。そうした現実を見れば、無責任なことは出来ないはずだ。
誤解無きよう言っていくと、私は本当の難民ならばある程度の受け入れはせざるを得ないと思うし、日本は難民条約に署名している以上、難民の受け入れはしている。ニセ難民が多いため難民申請と認可された人数との間には大きな乖離はあるが、認定されなくても特別在住許可を受け日本に住んでいる人は結構多いのだ。



本当の難民問題の解決は「難民を出さなくて済む国家作り」だ。日本はそのために人道的支援をすると発表している。これで良い。今回の問題はアラブを勝手に分割した欧州が過去の責任を負っているだけである。


くれぐれも、一時の感情だけで行動すべきではなく、先を見据えた行動をすることが大切だ。今の「ヘイトスピーチ」などをはじめとする在日との対立を見ればわかる通り、安易な受け入れは必ず民族間対立となり双方が不幸になる。自分が出来る範囲での貢献をすれば良く、まるで自分が解決できるかのような思い上がった似非人道主義に走るべきではない。