K-1
昨日のK-1(MAX)の評価。
まず目を見張ったのは日菜太選手。
とてもアグレッシブなファイトで
特に左ミドル(キック)は素晴らしい。
あの左ミドルは相手には相当厄介な
武器だと思う。
しかし、悪く言えば左ミドルに頼りすぎている
気がする。
あと気になったのはインファイター相手には
どうだ?という気がする。
インファイター相手なら、少し分が悪いのでは?
と個人的には思っているが
彼はまだ大学生。他団体での実績もある。
黄金の左ミドルと他の技術を更に磨けば、
これからもっともっと楽しみな選手になりそうだ。
そして優勝した小比類巻選手。
解説の谷川さんの言うとおり、
確かにキックが少なく、パンチ・キックのバランスは
よくなかったしれないが
気持ちが出ているいいファイトだったと思う。
小比類巻の武器といえば足技だが、
昨日の試合はパンチの印象が強かった。
武器のキックは影を潜めてしまったが
それでも要所要所ではローキックが出ていたし
パンチに自信がでてきた。あるということだろう。
個人的には小比類巻選手は「馬力」が足りないと思う。
線が細いと言ってはそれまでだが
(小比類巻選手は180cmなので(体格的な面もあるかもしれないが)
皆、同じ70キロ。
馬力がつけば小比類巻選手はもっともっと上へいける
選手だと思っている。
あとは谷川さんの解説。
好き嫌いが激しすぎる気がする。
小比類巻選手については厳しすぎる。
(愛想を尽かしたのか、彼の実力はこんなもんじゃない。ということなのか)
どちらにしても厳しすぎた。
魔裟斗選手が同じようなファイトをしても厳しい発言は出てこないと
思う。
攻める選手に対してはいい発言をするが、
手数が少ない選手に対しては批判的なコメントをする。
これは格闘技ファンの性だろう。
見ている側は激しい打ち合いなど、おもしろい方が
いいが、それでは表舞台に出るためには
アグレッシブなファイトでなければいけないのか?
カウンター狙いの選手は出る機会がないのか?と少し思う。
拳闘家
「絶対」を使わない理由
私はほとんど「絶対」という言葉は使いません。
日常会話や雑談では多少出ているかもしれませんが
文章などにはほぼ使わないと思います。
昔、友人が競馬で単勝1,3倍の馬が出走しているレースがあり、
その友人は結構な競馬通でしたが馬券術にはいろいろ迷っていました。
その友人が単勝1.3倍の馬に1万円賭ける。と言い、
私は2番人気でも単勝で9倍近くついていたのでそちらを買いました。
友人は「絶対に1.3倍の馬が勝つ」といいました。
私は友人に「絶対はないでしょ」と言いましたが
友人は「絶対」と言い張ります。
確かに「単勝1.3にもなる超人気馬」なので
実力も相当な馬だと思います。
ただ、私は「絶対はない」と思っている人なので
内心、他の馬に勝ってもらい「絶対はない」と証明して欲しかったです。
結果・・・
1.3倍の馬は3着。
私が買った馬が勝ちました。
やはり「絶対はないな」と改めて思いました。
だから人間にも「絶対に不可能」ということも「絶対」は余計だと思っているし、
「絶対無理」と言われたら無理な可能性が高いだけで「絶対」ではない!
と思います。
飛行機だって最初は「空を飛ぶなんて絶対に無理」と言われましたが
今は普通に飛んでいます。
なので格闘技やスポーツなどでも「世界一になる」と言っても
「絶対」に無理ではないのです。
世界一になれる可能性は限りなく「0」に近いかもしれませんが
「0」ではありません!
誰だって最初は限りなく「0」に近いところからのスタートです。
結論を言うと私は「絶対」という言葉を使うなら「それなりの覚悟を!」
と思っています。
「絶対」ということはそれ以外の可能性は「0」になるということだから。
私はほとんどのことに対して「絶対」ということは「絶対」にないと思っています。
拳闘家
正解や失敗
今日の「すぽると」で
レスリングの山本聖子さんの現役復帰について
特集していたとき
アナウンサーの三宅さんが
「うまくいったから正解とか、うまくいかなかったから
失敗とかではないと思う」
とコメントしていました。
「確かにな」と思いました。
格闘技や、特にそういった「成功できる人が少ない」
道を選んだ人は、
たとえ世界チャンピオンや目標に辿り着けなくても
「一生懸命やった」「精一杯やった」
といったことがかけがいのない経験や思い出に
なると思う。
拳闘家