【ヒゲとあの打ち方】



俺はファイターズ時代の小笠原の大ファンだった。


今回は小笠原の話。


ファイターズの小笠原と言えばヒゲがトレードマークであった。

しかしもちろん入団した時から生やしていたわけではない。


ある日、彼が練習していた時、打撃コーチが、

「お前は印象が薄いから、ヒゲか何かで印象付けろ」

と言われ、あのトレードマークが生まれたのであった。





また、小笠原は打ち方も印象に残る。

もちろんこれも初めから、あのような神主だったわけではない。


小笠原はキャッチャーとして入団したものの、プロに入って初めて木のバットで打撃練習をした時、

打球がとばずに悩んでいた。


その時打撃コーチに、

「とにかくボールをたたくことだけ考えろ」と言われたという。


その後、彼はボールをいかにたたくか、ということを考えて、ヘッドを残しスイングを速めたところあの打ち方になったという。

【日本にこだわる理由】


あるマイナーリーグの選手が試合中に顔面にデッドボールを受けて骨折。

たまたま試合を観戦していた日本人の整形外科医が、病院に付き添って
キズひとつ残さず手術を行い、名前も告げずに去っていった。

この選手こそ元千葉ロッテを率いたボビー・バレンタインその人だった。


手を尽くして探し出した医師は、故人になっていたそうだ。

【もしも子供のころから変えなかったら…】




プロ野球選手の多くは、子供のころからずっと野球を続けて、今に至る選手が多い。

松井秀喜もそんな選手の一人。


しかし、松井が子供のころと、今で異なる部分が一つだけあった。




松井は子供の時、右打ちだったのである。



松井は子供の時に、右打ちで野球をしていると、ホームランを打ちすぎてボールをなくしてしまうため、

友達から左で打つように言われたのであった。




もし子供の時に注意されず、右打ちだったらもっとすごい選手になっていたのだろうか。。。