自分の苦しかった子供時代について、気持ちを整理するために書きます。
そこそこ大変な環境で育ちました。
しかし、ご飯には困らなかったので、その点にはとても感謝しています。
では、よかったら、読んでね!













幼少期、うちの家庭環境は複雑だった。
両親はいた。
父は日常的に街宣車を乗りまわし、恐喝などでたまに逮捕されていた。荒くれ者として有名だった。周囲とのトラブルが非常に多い人間だった。10代の頃から、少年院にいたと聞いている。子供の頃、うちの車で流れていた曲は、刑務所関連の歌だった。『榛名山』という曲が今でも頭に残っている。
小学生高学年の頃、土曜の朝7時にインターホンが鳴った。
母は入院中、父は寝ていた。
私が出た。
古いマンションの扉をギィと開けると、スーツを着た男が2人いた。
『⚪︎⚪︎警察署のものですが、⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎さん(父の名前)はご在宅ですか』
ドラマで見たことのある警察バッジのようなものを提示された。
慌ててすぐに父を起こした。父は警察官と何やら話していた。そして、私たちに『ちょっと出かけるから、これでコンビニで買い物をして』と言い残して、1万円札を渡されて、そのまま警察官と一緒に去っていった。
そして、そのまま何週間も帰って来なかった。
家には父もいない母もいない。
普通の小学生なら、不安で泣き出しそうだが、私はものすごく解放された気持ちだった。普段から抑圧されて、感情を押し殺して生きていたからだと思う。その日から1週間ほど放置された。
姉妹2人、1万円握りしめて![]()
私は自由になったことに浮かれて、夜中にコンビニに行こうとしていた。普段できないことをしたかったのだ。少しウキウキした気持ちもあった。しかし、賢明な姉妹に『危ないから』と泣きながら止められて、結局行かなかった。
うちでは、父の言うことは絶対。
反抗できる雰囲気ではなかった。
父が右といえば右。左といえば左だった。足を揉めと言われれば、足裏を揉んだ。買い物に行けと言われればすぐに出かけた。
父の逮捕後、電話があり、父の着替えを警察署に持っていった。父は何か悪いことしたのだなと感じた。父はその後、拘置所に移動した。
小学生だった私たちは拘置所にも出かけた記憶がある。
小学生の私にとって、初めて見る拘置所は衝撃だった。真横を歩くと、あまりにも高い壁。様々な言語が掲示物として貼られていて、違う世界にいるような気持ちになった。
父がいなくなったあと、1週間ほど姉妹で暮らしていたが、その後は、何軒かの母方の親類の家にお世話になった。父方の親類とは、付き合いがないため、母の信頼に頼るしかなかった。
祖父母の家は、都内の高級住宅街にあったが、その中でありえないくらい古い家だった。
(ちなみに家の襖を開けると、井戸がある。)
________________________
今日はここまでにします![]()
今は私は平和に暮らしてます。





















