1年前に別れたユウキは、よく献血に通っていました。


200mlから始まり、次に400ml抜き始めましたが、そのうち成分献血(血しょうや血小板だけ抜く献血)

ばかりするようになりました。


理由は簡単。

1回献血すると、200mlは8週間、400mlは12週間という期間を空けないといけなかった。

でも、成分献血は、最短で2週間おきに献血できるんです。

数多く献血したいユウキは、いつも成分献血を選択していました。


ある日、献血後に顔色が悪くなった彼を見てさすがに心配になり、

「何故そこまでして献血するの?」

って聞きました。


そしたら、彼はこう言ったのです。



「だって、茉莉は働いて社会に貢献してるやろ?

 今の俺には、このくらいしかできひんねん」



当時彼は、仕事を辞めて大学院の博士課程に進んでいました。

自分の夢を追いつつも、仕事に夢中だった私に何かしらの劣等感を感じていたのかもしれません。



彼は今、とある研究所で契約社員として働いています。

でも、彼は納得していないようでした。

自分のやりたい研究をしながらも、その雇用形態にこだわっており、

契約社員でいる限り自分の将来はないと考えていたのです。


私は、ユウキがやりたい研究をしているのなら、もっと将来を前向きに考えて欲しいと思っていました。

でも彼はかたくなでした。

きっと、当人にしか分からない苦悩があるのだと思います。



ユウキは、今も献血に通っています。

彼の言葉を思い出すたび、何故か胸の奥が痛みます。



昨日の朝から飲み始めました。


「サインバルタ」20mg


SAD(社会不安障害)は治らない-サインバルタ


このサンバルカン+バルタン星人みたいな、何とも昭和なネーミング。

30代半ばの私からすれば、さぞかし効果を発揮しそうに思われますが・・・。

WEB上に転がる口コミを見ると、良し悪しがハッキリ分かれてます。


私の場合、あくまで私の場合です。

まだ2日目で、1日20mg(1錠)しか飲んでませんが、

今までの薬の中で、いちばんキツイかもしれません。


▼2日目にして私の副作用

・眠気

・同時に覚醒(眠いのに眠れない)

・めまい

・頭痛

・吐き気

・食欲減退

・虚脱感、無気力

・健忘

・耳鳴り


これ、続けるべきですか?


サインバルタは離脱症状もひどいと聞きます。

しかも担当医には

「あまりにも吐き気がひどいようなら、電話して。すぐに中止にするから」

と言われました。

そんなことを言われたのは初めてです。

つまり、それだけ副作用も出やすい薬なのでしょう(もちろん人によります)。


この手の薬は効果より副作用が先に出るから、我慢強く続けるべきかもしれないけど、

そもそも私が悩んでいるSAD対策ではない上に、副作用がキツすぎる。

現在のうつ状態を治すためとはいえ・・・。

効果を期待してこの状態で仕事をし、とんでもないミスをすることの方が恐いです。

今日は仕事を残して定時で帰ってきてしまいました。


今も、このブログを書くのが精いっぱい。もう何もできない・・・。



明日の朝、これを飲むべきかどうか・・・。

ギリギリまで考えます。




昨日病院に行って、今の症状を言ってみました。


前回の診察ではほとんど聞く耳持たずっぽかった担当医も、今回は余裕があったらしく、

5分くらいの診察でしたが、ちゃんと聞いてくれました。


私の最近の症状は

・最近落ち込みが激しい

・寝付けない

・会社では逆に眠い

・やらないと!と思えば思うほど、できない

・衝動的に、自分のことを「死ね」と思ってしまう・・・


担当医は、「抗うつ剤を出したい」と言いました。

当然でしょう。自覚しています。


私は完全に今、

うつ病を併発しています。



先日、後輩がうつ病で休職することになりました。

電話でそれを聞き、彼が今処方されている薬を聞きました。

なぜかというと、初めて抗うつ剤を飲み始めた時、

薬に飲まれてしまい、症状が悪化する可能性

があるからです。

私もその悪循環で苦しみました。


彼が処方されているのは、

▼抑うつとして

・ドグマチール

・サインバルタ

▼眠剤として

・マイスリー

・フルニトラゼパム

です(何mgかは聞けず)。

私は、日々の服薬状況と調子、できるならその日の天気や気温まで日記に付けておいた方が良いと伝えました。



話を自分に戻すと、

とにかく仕事中の眠気がいちばんつらい。

と相談しました。

担当医は、以前私がSSRI系はほぼダメだったので、

「SNRI」を試しましょうということになり、

「新薬のサインバルタは眠くなりません」

と処方されました。

(サインバルタについては後日経過報告します。)


現在の私の処方。

▼抑うつとして

・サインバルタ20mg

▼眠剤として

・マイスリー5mg

・ブロチゾラム0.25mg×2

(それでも眠れないときは、以前もらった

・フルニトラゼパム1mg

を勝手に追加)

▼SAD対策として

・レキソタン2mg×2

・アルマール10mg


私は思います。

休職している後輩を心配するのもいいけど、まず自分の心配をした方が良いのだろうと。

本当は今、私は休職の域に入っているのだろうと。


でもそれができないなら、

決して薬に飲まれてはダメだ。

それを常に自覚して調節しないと、この局面を乗り切れないと思っています。




川上課長とのメールのやりとりで、私は時々彼に対する不満を聞いてもらうようになった。

彼が瀧田さんと浮気していたことや、セックスレスのこと。


そう、私と彼は、セックスレスだった。

私が社会人になってからは、毎週会っていても何もない日が続いた。
1ヶ月、2ヶ月と間が空くようになり、相談するようになった頃は、年に4~5回あるかないかくらいまで回数が減っていた。


当時、私も彼も26歳になったばかり。
正直、私は辛かった。
女性だって性欲はある。
好きな人に抱かれたい。

でも、こちらからお願いしても、「仕事で疲れてる」と言って断られることが多くなり、そのうち私も諦めるようになった。

女からお願いして断られるなんて、本当に情けなかった。



川上課長は、私の不満をいつも快く聞いてくれた。
きわどい話もした。
「じゃ、俺のとこ来る?」
みたいな、軽い感じのメールも送られてくるようになった。
でも、課長は決して本気で私を誘うことはなかった。


私は逆に、彼に対する鬱憤がかなりたまっていたからか、擬似恋愛のようなメールのやりとりを楽しんでいたからかわからないが、課長からの誘いを求めていた。
なのに課長はいつも冗談ではぐらかしてばかりで、どこかそうなることを拒否しているようだった。


冬が終わる頃、私は別の仕事をするため会社を辞める決心をした。
それと同時に、川上課長のこともはっきりしようと決めた。
いつまでもこんなやりとりをしていたって何も変わらない、

私は本当は川上課長が好きなのか、それとも彼とやっていくのか、どちらか気持ちをはっきりさせないといけないと思ったのだ。
そして、3月末の私の送別会で、私は川上課長に今のよくわからない気持ちをありのまま伝えようと思った。


送別会当日、終電がなくなってしまった私を、川上課長は車で家まで送ってくれた。
家の前の駐車場に車を止める。


「着いたよ」


「・・・はい」


次の言葉がなかなか出てこない。
緊張していたのでお酒をたくさん飲んでしまい、頭もあまり回っていなかった。


「どうした?」


「・・・」


「・・・福島さん?」


早く今の気持ちを言おう。
そう思って口を開いた。


「川上課長」


「ん?」


「キスして下さい」


「え?」


一瞬で顔が熱くなったのがわかった。
一体何を言い出すんだ私は!


なのに、恥ずかしさとは裏腹に、運転席にいる川上課長の胸に両手を置き、顔を近付けようとする私がいた。



「あかん、福島さん」


川上課長が私の両肩に手を置き、鎮めようとする。


「何で?」


「彼氏がおるやろ」


「だって」


「彼氏のことが好きなんやろ」


「・・・」


「好きな男がおるのに、そんなんしたらあかん」


「・・・」



そう言うと、川上課長は、私を引き寄せた。

ゆっくり、何度も頭を撫でる。
手の動きが、ぎこちない。


私の目から涙が溢れ出した。
川上課長のスーツをびしょびしょに濡らして、抱き締められながら泣いた。


他の男の人の胸に顔をうずめ、私は彼のことを本当に愛していると思い知らされ、

悲しくて悲しくて、ずっと泣いていた。




その当時いた不動産の会社は、20代で支店長になれるくらい、実力主義の会社だった。
だから、当時25歳だった私と同い年の課長なんてざらにいた。


川上課長は、私と同い年だった。


日々ノルマノルマの厳しい社風の中で、川上課長は自分が矢面に立って部下を守るような、優しい男性。
それでいて、関西人らしく話も面白い。


今思うと、彼へのあてつけだったのかもしれない。
課長のメアドをおしえてもらい、時々、メールを交わすようになった。


だからといって、私は浮気をできるような性格ではないのはわかっていた。
内容は、本当に些細なことばかり。
仕事の話とか、今度支店で行われる打ち上げの話とか。


でも、ただそれだけのメール交換が、

週に1度くらいの些細なやりとりが、だんだん私の楽しみになっていった。
そして、川上課長のことをもっと知りたいと思うようになっていった。



でも、私にとっては、職場で人を好きになることはタブーだった。
学生時代のアルバイト先でもいい人はいたけど、

『働く場』と『恋愛』はきっちり分けるべきだと思っていた。
じゃないと仕事にならない。
職場恋愛をこなせるほど、もともと器用ではないのだ。

そんな私が川上課長のことを気にし始めたのは、彼への耐えがたい気持ちから逃げたかったためだろうか。



「最近、お前メールばっかしてるよな。・・・別にいいけど」


彼に電話で言われた。
彼が電話してきた時、『パケット通信中』の音声が流れたらしい。

全く束縛しない、安心し切っていた彼が『何か』に嫉妬している。

彼が『何か』を気にしていることが嬉しかった。
私はそんなに淋しい思いで日々過ごしてたのかと、今思う。


そして、秋に始まった週に1度の川上課長との些細なメールのやりとりは、

冬になっていくにつれ、少しずつその内容を変えていくことになった。


会社のトイレに、時々だけどお弁当とかパンの残骸が残っていることがあります。


はじめのうちは、

「こんなとこにゴミをちらかすなんて!」

と単純に思ってたけど、

2週間に1回くらい見るようになり、気になり始めました。



「便所飯」


って言葉が、数年前に流行ったような気がします。


この言葉を聞いても、私はあまり違和感がありませんでした。

私自身は潔癖な方でやったことはありませんが、気持ちが何となくわかるからです。


ひとりでご飯=友達いないって思われる


大学時代、食堂でひとりでご飯を食べることができませんでした。

今でも、会社のビルの地下食堂街とか、「知っている人がいる所でひとりご飯」をするのは抵抗があります。

社内ではいつもひとりでPC見ながら弁当食べてるのに、不思議ですよね。

外だと無防備な感じがするからでしょうか?



どうでもいいですが、兄が大学受験で上京して宿泊先のホテルに行ったときのこと。

初めての東京、ホテルのレストランに入ると、ボーイさんが

「お一人様でしょうか?」と声を掛けてきて、

言われるがまま席に案内され、

言われるがまま注文したそうです。


出て来た料理はステーキ。

ボーイさんが遠巻きに見ている(気がする)。

兄はとても緊張してしまい、とりあえずナイフとフォークを取って、ステーキを切ろうとしましたが、


・・・切れない。


手は震えてくるし、焦って焦って、つい力が入り、

次の瞬間。


やっと切れた肉が、勢い余って隣のテーブルまで飛んでったそう・・・。


「あんときはほんまに恥ずかしかったわ」

と兄は笑い、それを聞いた家族も大爆笑。

そんな兄は、中学教諭として教壇に立っています。


大勢の前で教鞭を取る兄でも、緊張で手が震えることはあるんだ・・・。

爆笑する家族をよそに、その時私はそんなことを考えていました。



便所飯から話がそれてしまいましたが。

もし社内で、そんな気持ちに悩んでいる人がいるなら、毎日でも付き合うのに。

でも、それができるならわざわざその人もトイレでご飯なんて食べない。


もし、自分の隣のトイレで何かを食べる音がしても、私は聞かなかったふりをするし、

きっと彼女もそうしてほしいはず。


だから難しい。

こういう悩みって、難しい。

分かりあいたくても、話を聞きたくても、聞いてほしくても、出会う機会がなかなかない。


でもいつか、私はそんな話を向き合って話し合えるような、そんな場が作りたいと。

そう思うのです。







なぜ生きているのか


って、考えたことありますか?


私はもちろんですが、あります。

常にそれを考えてきました。


例えば仕事につまづくと、


周囲からの評価を気にし(上司や後輩に「コイツできないやつ」と思われてると思いこむ)、

会社にいる意味を考え(私は会社のぜい肉なんじゃないか?と思う)、

孤独を認識し(こんな気持ち、誰も分かってくれないだろうな、と思う)、

社会の一員としての役割を気にし(私は何かの役に立っているんだろうかと思う)、


「私、なんで生きているんだろう・・・」


となってしまいます。

大体ネガティブパターンはこんな感じです。



この前の日曜日、地元から友達が出て来たので、会ってきました。

彼女は養護教諭をしていて、この分野で更に知識を深めるべく、東京の大学院で学ぶことを目標としています。

まっすぐでブレない。目標をしっかり定めている。

彼女は、↑にあるようなことを

「考えないようにする」

と言ってました。

思考がネガティブになっても、途中でそっちの方がしんどくなってやめてしまうんだって。

そして、自分が信じる道に突進するそう。



不思議。

考えて考えて落ち込んで、どん底まで考えて、そこからその後のことを決める私には、不思議でなりません。



うちの課長にも聞いてみました。

課長は大らかで友人が多く、誰とでも仲良くなれ、基本ポジティブです。

そんな人なので当然ですが、やっぱり

「そこまで考えない」と。

そして、

「最後には人のせいにする」

と言ってました。

「こんな業務を任せる上司が悪いだろう」

とバッサリ考えるそう。

これって、一見「責任転嫁」に思えますが、上手なストレス回避でもありますよね。



これまで私は、自分が今まで考え続けて来た、

「自分が今そこに生きている意味」を、

皆が考えていると思っていました。

でも、多くの人がそんなこと考えていないかもしれない・・・。


なぜ皆は考えないんだろう?

じゃあなぜ私は考えるんだろう?


答えは出ず、モヤモヤしています。



4月から2ヶ月くらい付き合った年下の男性。
彼は数年前までアングラな世界で生きてきたらしく、今は不動産の営業をしている変わったテンションの持ち主でした。


初めて付き合った女性がリスカしていて、イラっとしたらしく、

「そんなに死にたいなら死ねやー」と言って背負い投げしたとか・・・


別の女性には、逆にキレられて包丁で顔を切りつけられたとか・・・

(本当に少しだけ傷跡が残ってました・・・!)


少しバイオレンスな世界で生きてきた方のようですが、それをあっけらかんと話すような男性でした。

(私はもちろん暴力は大反対です。)



ある日彼が電話してきて、


「きいてきいてー。俺、坊主にした」


と唐突に言うもんで、理由を聞くと、

今努めている会社の営業成績がこの1年ゼロで、社長に「辞めて地元に帰れ」と言われたそう。
それで彼は、ストレートの茶髪を丸刈りにし、社長に誠意を見せたとのこと。


もともと付き合い始めから「価値観がまったく違うし合わないな」とは思っていたんですが、
この行為に私はドン引き。


彼が
「写メ送るねー」
と頼んでもいないのに写真を送ってきて、恐る恐る見ると・・・


やっぱり。

とても営業マンには見えない。どっかの輩か?と思うような写真でキメ顔。


その後電話がかかってきて、
「どうどう?」
と嬉しそうに聞かれました。


てか、そんな理由で坊主って。
誠意を見せるなら、もっと別のやり方があるはず。
わざわざ営業しにくくなるような髪型にして、やる気あるんだろうか??


情けなくて、
「似合ってない。かなり残念な感じ」
伝えたんです。


そしたら彼、こう言ったんです。


「受け止めて?」



私には無理でした。
その後しばらくして、別れました。
たった2ヶ月の付き合いでした・・・。



彼と早めにお別れして本当に良かったと思います。
とにかく付き合っている間はすべてが合わなくてしんどかったので。

でも。

営業成績ゼロで、頭を丸めて、そんなみっともない自分を

「受け止めて?」

と言える彼の素直さに、見習うべき所はあると思います。



ありのままの私を、受け止めて。
いつか、愛すべき人を見つけて、そう言える日がきますように。



小さい頃から、とにかく


「がんばれ」

「もっとがんばれ」


って言われて育ちました。


両親は、私に過剰に期待してました。

その思いは複雑で、父の期待、母の期待はそれぞれ違った意味を持っていました。

腹を割って話をした今だからこそ、その気持ちを理解することができますが、

当時の私にはそんなことは分かるはずもなく、両親によく反発したものです。


その後SADを発症して大学受験をあきらめかけ、悩んだ末、2年遅れて進学しました。

2浪したのは、受験勉強が好きじゃなかったという理由もあるのですが^^;



そして大学入学前の春休み、近所に住んでいる祖母が入学祝いを持ってきてくれました。


久しぶりに会った祖母は、私の手を取って


「もう、これ以上がんばらんでええよ」


そう言いました。



あの瞬間を、今でも忘れられません。

あの言葉に、どれだけ救われたか。

そして、今まで「がんばれ」という言葉にどれだけプレッシャーを感じていたのか、

初めて認識した瞬間でした。



それ以来、私はこの言葉をほとんど使わなくなりました。

もちろん、挨拶程度に「がんばってー!」と言うことはありますが、

大切な瞬間には、なるべく使わないようにしています。




今日(というか昨日)、仕事のトラブルで、終電を逃すことが確定しました。

ちょっとしたことだったんですが、今週ずっと深夜残業が続いていたので、

体力的にも精神的にもきつくて、

「なんで」

「なんでこんなことに」

「これ以上会社にいたくない」

と、イライラが頂点に達し、感情が抑えられませんでした。


そして、隣の上司が席を外した隙にtwitterでそのトラブルと感情をぶちまけてしまいました。

ただ、感情を外に出す場所が欲しかった。それだけだったんですが・・・。


すると、いただいたコメントの中に、こんな言葉が。


あんまり使う言葉ではないけど、今日は、、、

「がんばって!」

思いつく良い言葉がなくてこれくらいしか言えないけど。。


衝撃でした。

今にも叫びそうになっていた感情が、このコメントのおかげで一気に静まって、


「よし、がんばろう」


って思ったんです。


この言葉の重みを知っている人なんだな、と思いました。


本当に、ありがたいと思いました。

「がんばれ」が、こんなに励みになるんだと。



両親に言われた「がんばれ」

祖母に言われた「がんばらんでええよ」

そして今日の「がんばって!」


全部私にとっては意味合いが異なります。

「がんばれ」という言葉を、皆さんはどういう気持ちで使い、どういう気持ちで受け止めるのでしょうね^^




同じ病気で悩んでいる方がいないかな、とさまざまな方のブログやHPを拝見しているのですが、

既婚者の方も多い気がします。


私は現在バツイチで、モト旦那とは7年近くお付き合いし、

離婚後に別の男性と4年お付き合いしましたが、いずれもうまくいきませんでした。


SADが原因だと言っている訳ではないです。

ですが、モト旦那には
「何でお前はそんなに自信がないんだ?」
とよく言われたものです。

離婚のいちばんの原因は、結婚前から続いた旦那の不倫ですが、
ネガティブな私にイライラしていることもよくありました。

だから二股かけてたんじゃないかな?と今では思います。



離婚1年半が経ち、そろそろ次の恋愛がしたいなと思っていた矢先、4歳下の男性と出会いました。

まだ付き合い始めの頃のメールを見ると、

「俺は茉莉の、仕事も遊びも一生懸命で、だけど自分を見失ってなくて、

周りをより良くしようと気を配ってるとこが大好き」

とありました。
そして、

「俺はこれからもずっと変わらず茉莉のことが大好きだと思う」

だって。。
メールって、残るから残酷ですね(残しとく方も悪いけど^^;)。


モト彼とうまくいかなくなり始めたのは、SADの治療を始めた2008年頃だと思います。
あの頃、いろんな薬を試して、合わなくて、副作用に苦しんでいた時期でもありました。
今までなら抑えられた感情がどんどん溢れてきて、彼の目の前で過呼吸になって倒れたり。

お互いを思いやることを大切にしようって言いながら始まった恋愛も、
SADの治療を始めてからは、

自分のことに精一杯で、彼の気持ちなんか考えてなかったのかもしれません。


私は、これからもし新たな男性とお付き合いすることになるとしても、

その男性に自分の病気を伝える勇気がありません。

以前もブログに書いた通り、
病気は認知されることはあっても
理解されることはない
と、思うからです。。

特に、表面に現れにくく、分かりにくい、説明もしづらい。
服薬が多いので、副作用や妊娠が大丈夫かなど、お相手にとっても不安があると思います。


自信がなく、ネガティブな自分をありのままさらけ出して、

それに正面から向き合ってくれる人がいるのだろうか。
病気を打ち明けても、それを受け止めてくれる人がいるのだろうか。

結婚されている方は、旦那様(or奥様)の理解をどうやって得たのだろう。
きちんと受け止めてもらい、その上で共に生きていこうと前向きに付き合ってくれているのだろうか。



今週末、ひとりの男性とお会いします。


本当の私を知ったら、その人もいなくなってしまうのではないか。

そう思うと、あまり前向きになれないのでした。