黙殺される沖縄県民の声 | ★沖縄県知事選挙★金城タツロー応援ブログ

黙殺される沖縄県民の声

『八重山日報』(11.19)3面に掲載された寄稿を

ご紹介いたします。

沖縄の民意が必ずしも

「基地反対」ではないことがわかる内容になっています。



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八重山で考えたこと
~八重山が沖縄の捨て石にされる日~

フリージャーナリスト・名護市在住 根岸冬生




尖閣諸島で起きた事件を契機に、

取材のために八重山入りした。

八重山の人がこの事件をどう考えているのかを

知るためだ。



漁民、政治家、また尖閣諸島の本籍を持つという人にも

意見が聞けたことは幸運だった。

実際に多くの市民の声を聴く中で、

考えさせられる点が多々あった。



まず、本島では県知事選挙も重なって、

普天名基地の県外移設をテーマに

政策論争がおこなわれている。

しかも、

県外移設は

沖縄の民意であると断定し、

一方的な論調でそれ以外の意見を圧殺している。



ただ、私の知る限り

辺野古住民の大半は

条件付きであるにしても、

普天間基地の辺野古移設に賛成である。

周辺地域でも、

「辺野古に基地が来なければ

大変なことになる」

という声を多数聞いた。



これは、基地に経済を依存せざるを得ない

現場の人々の正直な声なのだ。

しかし、それが活字になったり

映像になったりすることは

まずない。

基地イコール戦争というイメージが

刷り込まれている中で、

基地はあったほうがいいとは答えにくいからだ。

しかし、基地を受け入れる声は、

声なき声として、

沖縄の社会の底流には

潜在しているのだ。

私はこうした意見を抹殺することは

許されないと考える。



しかし、ここ八重山では

経済の問題ではなく、

国防という観点から、

基地問題を考えることになる。

経済的恩恵は

まったくといっていいほど

ないからだ。



尖閣問題で明らかになったように、

八重山はいま、

現実に他国によって

市民の清栄の安全と財産が

脅かされている。

しかし、県政は、

県の一部が

中国の領海侵犯を受けていることに

なんら行動を起こそうとしない。

国に働きかけようともしない。



そうした状態の中で、

一方的に普天間基地の海兵隊を

県から遠ざけることが、

侵略の意思のある国に対して、

どういうメッセージを与えることになるのか、

そのことをほんとうに

県政は考えているのだろうか。

少なくとも、感情論ではなく、

中国が戦後、

アジアで現実に行ってきた

侵略行為を踏まえ、

そしていま、

国家戦略として

八重山や沖縄が

ターゲットにされている現実の観点から、

基地問題も自衛隊配備の問題も

あらためて論じられるべきだろう。



八重山はいま、

国からも県からも、

誰からも守られていない。

海上保安庁だけが無防備な中、

生命を賭けて、

その国境を守っている状態だ。

沖縄は本土に見捨てられているという言葉を

よく聞くが、

私には八重山が

沖縄から見捨てられているようにも

みえるのである。



確かに、130万県民の5%に満たない人々の声は、

多数決でいえば、

切り捨てられる運命にあるのだろう。

しかし、民主主義の精神とは

少数意見を大切にすることではなかったのか。

少なくとも、

八重山で起きている

中国の領海侵犯に対して、

県政が当事者意識を持てないのならば、

やがて沖縄が八重山を捨て石にする日が

来るということだ。



私は沖縄の問題を

沖縄の立場で考えたいと思い、

沖縄県名護市に居を移した者である。

しかし、沖縄県という

地域の多様性を知るにつけ、

ここ八重山で市民の声を聞くにつけ、

自分自身が一方的に、

中央の高みから

国境を遠く眺めていた現実を

突きつけられた思いだった。



沖縄県は悲惨な戦争体験を抱えている。

二度とあのような悲劇を繰り返してはならない。

だからこそ、私は、

八重山は沖縄に対して

声を上げるべきだと思う。

黙っていることが千年の後悔を

残すことにならないために。



私は、生命の安全と財産を脅かされ、

日々、不安を抱えながらも、

その声が大勢によって

黙殺されている人々の声を、

今回ずいぶんとたくさん

聞いてしまった。

その声の代弁者として、

せめて私が八重山で考えたことを

八重山の人々に知ってもらいたいと思い、

ペンをとった次第である。