団塊世代を代表する歌手、森進一が鹿児島から上京して作曲家・チャーリー石黒のもとに弟子入りした。続けて、森が流行歌手として活躍した時代のことをジャーナリスト・鳥越俊太郎氏が訊く。
──最前線で歌っていて歌謡曲の時代を実感していましたか。
「もうガンガン来ましたね。後ろ向いてるひまないですから。 追い立てられて夢中で。
でもね、いまはみんなにチヤホヤされていい気分だけど、歌の世界なんて長く続くもんじゃないと、醒めた目が常にあったんです。
30過ぎた流行歌手なんていない、走れるうちは走ろうと思ってるけど、 いつも不安で。鹿児島に帰って寿司の板前になろうって。お寿司好きだから」
──30過ぎたら、終わり?
「そうです。だから事務所を独立しました。このままじゃ敷かれた線路を走るだけで、 自分の先は見えてる。ただ歌しか知らない。
ぼくらの世代であの時代に、独立や起業をした人は多くいましたよ。通じるものがあったのかな。
歌の世界には、業界の人がいる。でもぼくは普通の人と仕事をしようと思ったんです。普通がいいと」
──普通? ですか。
「生活もなるべく普通にね、自然にね。いまは、家族がみんな出ていって寂しいから、一番売れた『港町ブルース』の表彰盾だけ飾っていますが、 それまで家には歌や音楽に関するものは何もありませんでした。普通に、普通に」
──普通ではなく、自分はスターだと思わない?
「スターですか。スターねえ。思いませんでした。いまは売れてるけどすぐだめになる。 頑張ってもだめなときはだめなはずだ。
雨が降ったらどっちに流れていくか。 フワフワ浮草みたいなもんだからって。
いまでこそ、どこに流れてもいいやと思えますが、不安で不安で。スターですなんて、はるかどこかの人の話ですよ」
──あなたは演歌歌手ですか。
「そう思ったことはないです。周りはそういいますけど、そういわれるとむしろ不愉快に近いです。
流行歌手ですよ。昔はレコード盤の真ん中に〈流行歌〉というシールが貼ってあった。あれを歌う人です」
という事で、昨年末の紅白歌合戦でも美声を披露していた森進一さん。
この人って、演歌歌手として見ている方々が多そうな印象なんですが
結構色んなアーティストから、楽曲を提供されているんですよね。
そんな中でも、この時期に聞きたくなる名曲が“冬のリヴィエラ”
この曲は、日本音楽界を代表する巨匠・大瀧詠一さんが作曲をされた事でも話題になりましたし
森進一さんの楽曲で、今のところ最後にオリコンヒットチャート・ベストテンに入った曲でもあるんです。
この曲は、大瀧詠一さんの十八番ともいうべき“ナイアガラ・サウンド”で構成されているんですが、その楽曲も森進一さんは難なく自分のモノにしていました。
もう30年以上前の楽曲にも関わらず、全く色褪せて居ないのも凄いと思います。
“演歌歌手”じゃなくて“流行歌手”
森進一さんのポリシーがブレないのは素晴らしい事ですし、他の若い歌い手さん達も見習って欲しいもんですね。