レニー・トリスターノ(2) クール・ジャズの誕生 (Various, 1945-1953) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

レニー・トリスターノ - クール・ジャズの誕生 (Various Sessions, 1945-1953)
All compositions by Lennie Tristano except as indicated.
Lennie Tristano Quartet & Quintet - Subconscious Lee (New Jazz, 1949)
Recorded at New York, January 11, 1949
1. Tautology (Konitz) - 2:44 

Lennie Tristano - piano
Lee Konitz - alto saxophone
Billy Bauer - guitar
Arnold Fishkin - bass
Shelly Manne - ds (except 4)

 1946年~1947年のキーノート・レコーズでのドラムレス・トリオ時代から、1948年には21歳のリー・コニッツ(1927~2020)をアルトサックスに迎え、1949年の初の10インチLP『Subconscious Lee』は初の管楽器&ドラムス入り編成になりました。革新的なビリー・バウアー(1915~2005)のギター・ワークもあってトリオ時代の録音はどの楽器が主旋律を弾いているのかわからない眩惑感がありましたが、クインテット(カルテット)で試みられたサウンドは一分の隙もないビートと途切れることのない限界まで長いメロディのアンサンブルが実験され、そうして生まれたトリスターノのクール・ジャズはくつろぎや暖かみとは別の、本来の意味でクールなものになりました。さらに同年春からはレギュラー・メンバーにテナーサックスのウォーン・マーシュ(1927~1987)も加わり、マーシュのテナーはコニッツのアルトと聴き分けがつかないくらいトリスターノに徹底的に指導されたものでした。同作はトリスターノ流クール・ジャズの確立を示す記念碑的作品ですので、前回と重複しますが改めてご紹介しておきます。さらにトリスターノはウォーン・マーシュを迎えた1949年のキャピタル録音でさらに抽象化されたスタイルに向かい、中でも「Intuition」と「Digression」はフリー・ジャズに10年先駆けた、完全即興演奏として驚異的なトラックになりました。

Lennie Tristano Quartet, Quintet & Sextet - Intuition (Capital, 1949)
Recorded at New York, March 4(1,2), March 14(3), May 16(4-6), 1949
All written by Lennie Tristano except as noted, 
1. Wow - 3:21 

2. Crosscurrent - 2:50

3. Yesterdays (Kern-Harbach) - 2:48 

Lennie Tristano - piano
Lee Konitz - alto saxophone (except 3)
Warne Marsh - tenor saxophone (except 3)
Billy Bauer - guitar
Arnold Fishkin - bass
Harold Granowsky - ds (1-3)
Denzil Best - drums (4, 5)

 マーシュがレコーディングに参加して2回目の1949年5月16日セッションでは、SP盤(シングル盤に相当します)のAB面(4, 5)があっさり録り終えたので、余り時間でトリスターノは曲も決めず、打ち合わせもなしに即興演奏を録音してみようと提言しました。1, 2のような寸分の狂いも許されないような難曲をあっさりこなしたバンドも驚異的ですが、トリスターノの無茶な提案を飲んだのも当時にあっては前例のないことでした。担当エンジニアは録音をスタートさせるとモニター室から逃げ出すのを条件にこの試みを許可しました。その、商業レコード史上初の完全即興演奏(この場合はフリージャズ)が「Intuition」「Digression」の2曲でした。しかもこの2曲は1950年初頭にはシングル発売までされています。

 この時期を総括する発掘ライヴとしては、トリスターノの遺族が運営するジャズ・レコーズから後年アルバム化された『Live at Birdland 1949』『Wow (June 1950)』『Live in Toronto 1952』、2014年にビ・バップ専門復刻・発掘レーベル、マンハッタン・レコーズからアルバム化された『Chicago April 1951』があります。いずれも正確な日付が特定できない私家録音ですが、記録魔のトリスターノ自身が残しておいたバンドスタンド音源がマスターに使用されているらしく、モノラル音源ながら私家録音としては非常に音質良好です。このうち『Live at Birdland 1949』『Live in Toronto 1952』は比較的早くから知られ、トリスターノの最高傑作に上げるマニアもいるアルバムですが、ライヴでのトリスターノのバンドはスタジオ盤より緊張感の高い長尺演奏をくり広げているので、まずはトリスターノ生前発表の公式スタジオ音源を聴いてトリスターノの音楽に馴染んでからの方がいいでしょう。YouTubeにアップされているものを上げておきます。
 ここまでご紹介してきた公式録音全曲(発掘ライヴ『Live at Birdland 1949』『Live in Toronto 1952』の2作を含む)は、画像掲載の4CDボックス・セット『Lennie Tristano Intuition』2003で聴くことができます。2003年の段階で音源の所在が判明していたトリスターノの1945年~1952年の全スタジオ、全ライヴ録音が収められており、録音後50年を経過したパブリック・ドメイン音源なので新作1枚程度の価格で4枚組の廉価版ですが、リマスターで音質は向上しデータも最新の調査に整備されており、ジャズ史上の奇蹟とも言うべき内容を誇るものです。SPレコードや10インチLP、編集アルバムや発掘アルバムで各種のレーベルから10枚あまりに分散していたトリスターノの音楽にはこうした集大成となる全集形態こそが望ましいものでした。今回は「Abstraction」1曲のみを引いた1947年12月31日セッションはトリオで6曲、ジョン・ラポータ(クラリネット)を迎えたカルテットで4曲が録音されており、その全貌も同ボックスで聴けます。生前にトリスターノ自身が制作したアルバムは1955年以降リリースの3枚しかなく、初期作品はすべてSPレコード用録音のシングル集だったので、モダン・ジャズ史上最重要ジャズマンなのにこれほど全体像がつかみづらいアーティストはいません。フリー・ジャズは黒人ジャズの発展型として直接にはトリスターノから発展した音楽ではありませんでしたが(セシル・テイラーはピアニストだけあって、トリスターノを意識してスタイルを築いたフリー・ジャズの創始者でした)10年後にフリージャズが台頭してきた時、トリスターノはおれがとっくにやっていた、と不機嫌でもなかったそうです。それは未発表録音を集めた晩年リリースの生前最後のフルアルバム第3作『メエルストルムの渦 (Descent Into The Maelstrom)』(East Wind, 1977、日本盤原盤)でもわかります。
Lennie Tristano Trio (private press, 1951)
Recorded at New York, October 30, 1951
All written by Lennie Tristano
1. Pastime - 3:41 

Lennie Tristano - piano
Peter Ind - bass
Roy Haynes - drums

Lennie Tristano Solo Piano (Overdubbed)
1. Descent into the Maelstrom (Tristano) - 3:31 

[ Personnel ]
Lennie Tristano - unaccompanied solo piano (overdubbed)

 どちらも録音から25年あまりを経たトリスターノ自身による1977年リリースの編集盤『メエルストルムの渦』収録曲で、「Pastime」「Ju-Ju」はそれぞれ古典的スタンダード「These Foolish Things」「Indiana」のコード進行のみを使った完全即興、「Descent Into The Maelstrom」は完全即興に輪をかけてソロ・ピアノを多重録音し、「Intuition」「Digression」以上に通常の調性と拍節を備えた音楽から離れたピアノ音楽になっており、トーン・クラスターを用いた現代音楽作品とも、クール・ジャズ以来のビート感覚を多重録音によるトーン・クラスター技法でサウンド化した実験ともとれます。タイトルはポーの同名短編小説とともにヘンリー・カウエル(1897~1965)のトーン・クラスター作品「The Tides of Manaunaun (マヌナーンの潮流)」1917を暗示しているでしょう。トリスターノのオリジナリティは、かえってジャズの主流から離れた方向に向かってしまっていたとも言えます。なお、トリスターノは全盲の生まれで、「ピアノのチャーリー・パーカー」と呼ばれたバド・パウエル(1924~1964)を同時代最高のジャズ・ピアニストと絶賛し、ビ・バップ最大のミュージシャン、チャーリー・パーカー(アルトサックス、1920~1955)の葬儀では棺を運び、ビル・エヴァンスを次世代のホープと賞賛しましたが、パウエルが兄事しエヴァンスも尊敬するセロニアス・モンク(1917~1982)を生涯憎悪していました。1950年代後半以降にモンクの真価が認められ名声が定着するのと対照的にトリスターノの存在感は薄まり、ジャズの表舞台から姿を消して行ったのは皮肉なことです。トリスターノのクール・ジャズは即興演奏の徹底した追及ではビ・バップを過激化したもので、ビ・バップの洗練化であるハード・バップとはまったく異なったものでした。しかもトリスターノのクール・ジャズはアンサンブル主体のウエストコースト・ジャズ(これもクール・ジャズと呼ばれたことから、トリスターノ流クール・ジャズと混同する誤解が生まれました)とは正反対で、クラシックの要素もない完全にジャズの即興性を追及した音楽性なので、クラシック的にジャズを聴くリスナーに真っ向から対立するものでもありました。ハード・バップ最盛期にリリースされたトリスターノの初の12インチ・フルアルバム、第2のフルアルバムは事実上、トリスターノの半引退宣言になりました。それがアトランティックでの第1作『鬼才トリスターノ(Tristano)』1956、第2作『レニー・トリスターノの芸術 (New Tristano)』1962でしたが、同作以前にトリスターノのクール・ジャズ・スタイルの実験と確立は一巡していたのです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)