ザ・ルースターズ - THE ROOSTERS (日本コロムビア/DENON, 1980) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ザ・ルースターズ - THE ROOSTERS (日本コロムビア/DENON, 1980)ザ・ルースターズ - THE ROOSTERS (日本コロムビア/DENON, 1980) :  

Released by 日本コロムビア/DENON, AF-7017-AX, November 25, 1980
(Side A)
A1. テキーラ (作曲 : Chuck Rio) - 1: 19
A2. 恋をしようよ (作詞・作曲 : 大江慎也) - 1: 50
A3. カモン・エヴリバディー (作詞・作曲 : Edward Cochran) - 2: 32
A4. モナ (アイ・ニード・ユー・ベイビー) (作詞・作曲 : Ellas Modaniels) - 2: 40
A5. フール・フォー・ユー (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2: 13
A6. ハリー・アップ (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2: 55
A7. イン・アンド・アウト (作曲 : The Roosters) - 1:12
(Side B)
B1. ドゥー・ザ・ブギ (作詞 : 柴山俊之、作曲 : 鮎川誠) - 4: 15
B2. 新型セドリック (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2: 21
B3. どうしようもない恋の唄 (作詞 : 南浩二、作曲 : 大江慎也) - 3: 19
B4. 気をつけろ (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2: 01
B5. ロージー (作詞・作曲 : 大江慎也) - 4:45
[ ザ・ルースターズ The Roosters ]

大江慎也 - ボーカル、ギター
花田裕之 - ギター
井上富雄 - ベース
池畑潤二 - ドラムス
(Original Nippon Columbia/Denon "THE ROOSTERS" LP Liner Cover & Side A Label)
 全12曲・全編で32分の短いアルバムですがこれはかっこいい!日本のロック・バンドのデビュー作としては最高のアルバムでしょう。テナーサックス入りロックンロールのノヴェルティ・ソングでも通俗中の通俗曲「テキーラ」のカヴァーをサックス・パートはごっそり削りデビュー・アルバムの冒頭でやってのけたギター・バンドのビート・グループがザ・ルースターズ以外にいるでしょうか。他にもエディ・コクランの「カモン・エヴリバディー」やボ・ディドリーの「モナ」などベタな曲のカヴァーを英語詞はカタカナ英語で、日本語部分は直訳で歌っています。博多の先輩バンド、サンハウスの未発表曲を譲り受けた「ドゥー・ザ・ブギ」はスリム・ハーポの曲を『Exile On Main St.』でローリング・ストーンズがカヴァーしたヴァージョンの再改作なのもすぐにわかります。初代ヴォーカリストだったという南浩二作詞の「どうしようもない恋の歌」はサンハウスの「もしも」と同じくモータウン・ナンバー(マーサ&ザ・ヴァンデラス)の「Heat Wave」の改作で、他のオリジナルはブルースかII-Vものが大半です。つまり音楽的に斬新なことは何もやっていません。なのに、というかだからこそというか、バンド自前で借金して揃えたというスーツで決めたアルバム・ジャケットは日本のロックのアルバム史上でも最高にかっこいいバンド・ポートレイトですが、ヴォーカルも楽曲も演奏もジャケット通りの音が出てくるのです。またルースターズは当時最高にかっこいいライヴ・バンドでもありました。デビューから半年後のライヴ映像ですでにこの風格は尋常ではありません。
◎ザ・ルースターズ - ロージー (MV, 久保講堂, June 27, 1981) :  

 北九州で結成されたザ・ルースターズは結成翌年の1980年には東京に進出、各種バンド・コンテストを総ナメにし、レコード会社の争奪戦を経て日本コロムビア/DENONレーベルから1980年11月にシングル「ロージー b/w 恋をしようよ」、アルバム『THE ROOSTERS』で早くもデビューしました。コンテスト審査員の多くは現役の音楽ジャーナリストだったのでレコード発売前から評判は鳴り響いていました。テレビ神奈川のロック番組「ファイティング80's」の出演回数も多く(レギュラー・ホストは宇崎竜堂、1980年度のレギュラー・バンドは子供ばんどで、翌年はザ・モッズがレギュラーだったと記憶しています)、観客を入れたスタジオ・ライヴでもかっこ良さではずば抜けており、大江慎也は肘ごと腕を振り直角にコードを刻んでいました。「ファイティング80's」はレコード・デビュー、デビュー前問わずほとんどの新人バンドのライヴが観られる番組で、ARB、ザ・ルースターズ、ザ・ロッカーズ、ザ・モッズら福岡出身バンドは特に出演回数が多かったのですが、ルースターズに突出した評価が集まったのは生演奏の映像を観ていなくてもレコード音源だけでもわかります。前述の福岡出身バンドはおおまかに分ければライヴハウス「照和」系のバンド('70年代にチューリップ、海援隊、甲斐バンドを輩出していました)がARBとザ・モッズで、シンガーソングライター+バンドという性格を残していました。ARBなら石橋凌、ザ・モッズは森山達也というシンガーソングライターあってのバンドです。一方「照和」系のバンドとも交流がありながらルーツ・ロックに強く立脚していたのがサンハウス影響下のビート・バンドで、シーナ&ザ・ロケッツ、ザ・ロッカーズやザ・ルースターズはこちらに入ります。

 '70年代にメジャー進出した「照和」系のフォーク/ロック・バンドがレコード・デビューとともに東京に拠点を移したのに対して、サンハウスはレコード・デビュー後もあくまで博多を拠点とした活動を続けました。音楽的にも「照和」出身グループと異なりフォーク的要素・シンガーソングライター+バンド的発想はなく、初期のザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズをモデルにしたロックンロールとブルース・ルーツのビート・グループを指向していたのです。サンハウスと同時期に、サンハウスと同じ発想で閃光のように煌めいて消滅したバンドに村八分、村八分の模造バンドとして結成され村八分以上の成功をおさめた外道(外道の日本的グラム・ロックの遺産は後年、東京都町田市のヤンキー系ロックの系譜を継ぐX JAPANに反映されます)が数えられますが、'70年代の日本のロックで最大の成功をおさめたキャロルはサンハウスがストーンズならビートルズのような存在でした。キャロルの成功にも満足しなかった矢沢永吉はバンドを解散させソロ・シンガーになってより商業的成功を目指した音楽を追求したのは周知の通りです。

 サンハウスのロックは日本のロック移入としてはもっとも正攻法なもので、日本のロックはブルー・コメッツとザ・スパイダースの次に、グループ・サウンズではなくサンハウスが登場すべきでした。グループ・サウンズでもザ・ジャガーズ、ザ・カーナビーツ、ザ・テンプターズ、ザ・ゴールデン・カップス、ザ・ビーバーズらはサンハウスと競合できたでしょう。しかしグループ・サウンズ最大の人気バンドは本人たちも不如意なまま和製モンキーズ/ビージーズ/ウォーカー・ブラザースのポピュラー・コーラス・グループ路線で売り出されていたザ・タイガースで、進んで哀愁コーラス・グループ路線でデビューしたジ・オックスがNo.2につけました。当時まだサンハウスのメンバーは九州の大学生バンドでストレートな同時代の英米ロックのカヴァーをやっていました。サンハウスを結成するメンバーをルーツ・ロックに開眼させたのは『Beggars Banquet』1968から『Get Yer Ya-Ya's Out !』1970を通って『Exile On Main St.』1972に達する時期のローリング・ストーンズだったでしょう。サンハウスのデビュー・アルバム『有頂天』1975は頭脳警察のデビュー作『頭脳警察セカンド』1972、キャロル『ルイジアンナ』1973、村八分『村八分ライブ』1973、外道『外道』1974と較べて遅きに失した観がありました。『有頂天』のセールスはアルバムのラジオ放送禁止規定にも関わらず好調なものでしたが各種音楽誌からの評価は点の辛いもので、上記のバンドのどれよりも音楽的にはオーソドックスなロックだったのです。

 そこが良いのだ、と早くから気づいていたのは日常的にサンハウスのライヴに接していた博多のリスナーとアマチュアのバンドたちで、「照和」系の石橋凌、森山達也といったシンガーソングライターたちもバンドの結成にはサンハウスに倣ったビート・グループの形態を選んだのです。サンハウスはデビュー以後すぐに博多に拠点を置いたバンド運営に行き詰まり、1978年までには解散してメンバーたちは各自の活動に移りましたがヴォーカリストの菊(柴山俊之)は作詞家となり、博多のバンドの多くに歌詞を提供します。サンハウスのギタリストの鮎川誠は夫人をヴォーカリストに起用したシーナ&ザ・ロケッツを結成し、今度は東京を拠点として不退転の覚悟で再デビューしました。シーナ&ザ・ロケッツが注目を浴びたことからようやくサンハウスを中心とした博多のビート・グループ・シーンの存在と、サンハウスの再評価が起こったのです。日本にロックはあったか、といえば村八分やサンハウスがありましたし、サンハウスを継ぐバンドがいました。シーナ&ザ・ロケッツは実質的にサンハウスの後身バンドですし、ザ・ロッカーズ(陣内孝則在籍)やザ・ルースターズは直系、また周辺バンドにARBやザ・モッズがいました。中でもザ・ルースターズの実力は抜群でした。

 このデビュー・アルバムの時点でリーダーでヴォーカルの大江とドラムスの池畑は22歳、ギターの花田は20歳、ベースの井上は19歳です。リーダーの大江は健康上の理由で後に脱退し、リーダーとヴォーカルは花田が継ぐことになりますが、その頃には池畑や井上も自分がリーダーのバンドを立ち上げて独立し、メジャー・デビューしていました。花田がリーダーの新生ルースターズ解散後には花田の新バンドに井上・池畑が入り、さらに二転三転して健康状態次第で大江が加わるという、別バンド名義ながらメンバーはオリジナル・ルースターズという状態が20数年来続いています(アルバム発表もされています)。40年以上断続的にオリジナル・ルースターズのメンバーは離合集散をくり返しているのですが、年齢構成がデビュー当時のビートルズと同じなのも興味をそそられます。担当楽器が違いますが、ビートルズはデビュー時にジョンとリンゴが22歳、ポールが20歳、ジョージが19歳でした。ザ・ルースターズはカヴァー曲もオリジナル曲も良いのですが、がなるような大江のパンキッシュなヴォーカルが良く、何よりメンバー全体の一体感とグルーヴ感をデビュー・アルバムでこれだけ高度に表現できたバンドは日本のロックではルースターズが初めてかもしれません。スパイダースやカップス、キャロルや村八分、外道、サンハウスでもデビュー・アルバムでここまですさまじいグルーヴをレコードに刻みこめませんでしたし、彼ら先達バンドの全アルバムでもルースターズのデビュー・アルバムほどソリッドなロックンロール・アルバムはなかったと言えるほどです。それは先立つ日本のパンク・ロックのアルバムすら凌駕するパンキッシュなアルバムでもありました。しかも音楽的な斬新さとは一切関係がありません。これがまぐれなのではなかったのは、続く数枚のオリジナル・メンバー時代のアルバムからでもわかります。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)