アウト・キャストのラスト・シングル! | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

アウト・キャスト - 空に書いたラブレター (テイチク, 1968)
アウト・キャスト - 空に書いたラブレター Kite (作詞・松本あずさ/作曲・Lee Pockriss/編曲・大野良二) (テイチク, Single A-Side, June 5, 1968) - 2:33 :  

[ アウト・キャスト ]
大野良二 - bass guitar, leader (1948.2.12~2021.7.17)
岡本修 - lead vocal
谷かつみ - guitar
菅野吉治 - organ

サイモン・デュプレーとビッグ・サウンド Simon Dupree and the Big Sound - 想い出の北風 Kite (Hal Hackady, Lee Pockriss) (Parlophone, October 27, 1967) UK♯8 :  

John Davidson - In The Sunshine Days (Los Pekenikes, L.Kusic, E.Snyder, Lee Pockriss) (Columbia, June 20, 1967) :  

 '60年代の日本のロック・バンド、アウト・キャストについては先日の記事でオリジナル・メンバー時のラスト・シングルまでの歩みとそれまでの全音源リンクをまとめましたので、そちらをご覧ください。当時最大手だった芸能プロダクション、渡辺プロが業務提携していた大橋プロダクションからデビューしたジャッキー吉川とブルー・コメッツ(1966年3月シングル・デビュー)とほぼ同時、渡辺プロ独自の企画としては加瀬邦彦とザ・ワイルド・ワンズ(1966年11月シングル・デビュー)より早く若手GSとしてメンバーを召集、ライヴ・バンドとして送り出したアウト・キャスト(1967年1月シングル・デビュー)は、平均年齢17、8歳ながらも実力派のプレイヤーばかりを集め、メンバーのほとんどが自作曲を書ければアレンジ力にも長けた、本格的な洋楽センスを備えた若手バンドでした。しかしアウト・キャストはあまりに荒々しいか、さもなければ地味と振り幅が大きいバンドでもあり、かつスター性も乏しかったため、昭和42年(1967年)中に4枚のシングル、同年11月発売に唯一のアルバムにして日本の'60年代ガレージ・ロックの名盤として1999年に初CD化されるまで海外市場でも200~300ドルのプレミア価格で中古盤が取引されていた伝説的アルバム『君も僕も友達になろう』(オリジナル7曲・カヴァー5曲、全編曲をギタリストの水谷淳が担当)をリリースするも、ワイルドワンズや内田祐也氏が大阪でスカウトしてきたレコード・デビュー1か月遅れの後輩、ザ・タイガース(1967年2月シングル・デビュー、同年11月にライヴ盤のファースト・アルバムをリリース)の爆発的アイドル人気に大きく水を空けられてしまいます。あまりに多忙なタイガースに代わってタイガースの一連のシングル曲はアウト・キャストのメンバーがインストルメンタルを録音し、タイガースはヴォーカル入れしか時間が取れないほどだったと言われます。確かにタイガース1968年1月のシングル「君だけに愛を」を聴くと、癖の強いリード・ギターや荒々しい演奏はアウト・キャストなのではないかと勘ぐってしまいます。
 昭和43年(1968年)1月の5枚目のシングルを最後にオリジナル・メンバー(すでに結成時の6人編成から4人編成に縮小していましたが)のアウト・キャストは活動を停止し、渡辺プロはアウト・キャストからフロントマン2人(轟健二、水谷淳改め水谷公生)を新バンド、アダムズ(1968年6月ライヴ・デビュー、9月シングル・デビュー)の結成に向かわせたため、ベーシストの大野良二のみが残ったアウト・キャストは新メンバーを集めプロダクションを移籍しましたが、同年6月にリリースされたシングル「空に書いたラブレター c/w 君を慕いて」が新生アウト・キャストの唯一のシングルにしてアウト・キャスト名義最後のリリースになりました。それが今回ご紹介するシングルです。その前に藤田浩一(リード・ヴォーカル)、水谷淳(=公生、リード・ギター)、穂口雄右(オルガン、エレクトリック・ピアノ)を擁したオリジナル・アウト・キャストがいかに振り幅の大きなバンドだったか、いずれも藤田浩一作詞作曲・水谷淳編曲のオリジナル曲2曲を再び、また3枚目のシングル「レッツ・ゴー・オン・ザ・ビーチ」(1967年7月)のリリース直後に脱退した藤田浩一が結成し、優れたシングル1枚(A面は越路吹雪との競作、B面は藤田浩一作詞作曲のオリジナル曲)のみを残したザ・ラヴのシングルAB面(東芝エキスプレス、1969年3月10日リリース)を参考までに上げておきます。 

 話を「空に書いたラブレター c/w 君を慕いて」に戻すと、このシングルのAB面とも、アメリカでポップスやミュージカルの作曲家として活躍したリー・ポクリス(Lee Pockriss, 1924~2011)の楽曲の日本語カヴァーで、日本での版権取得の都合で新プロダクションの薦める曲の中から、楽譜の読み書きも得意でチャールズ・ミンガスを尊敬し、アレンジャーとしての力量もある新リーダーの大野良二(1948~2021、コロナ合併症にて逝去)が見つけてきた曲と伝えられます。B面曲「君を慕いて」(原題「In The Sunshine Days」)は1941年生まれのアメリカのマルチ・エンターテインナー、ジョン・ダヴィッドソンのためにポクリスがスペインのインストルメンタル・バンドの楽曲を英語詞曲に改作した楽曲になるそうで、この記事を書くため調べて初めて原曲を知りました。特にダヴィッドソンにとってもポクリスにとってもヒット曲でも代表曲でもないようで、ダヴィッドソン版のチャート記録も不明ですが、特筆すべきはのちにソフト・ロックの名バンド、ブレッドのリーダーとして活躍するデイヴィッド・ゲイツがダヴィッドソン版のアレンジャーを勤めていることでしょう。新生アウト・キャストの解釈も比較的原曲に忠実で、メンバーのみの演奏ながら、ゲイツの編曲を参考にしているのがわかります。また大野良二が訳詞(作詞)と編曲を勤めていることも、さすが旧アウト・キャストからの唯一のオリジナル・メンバーたるべき才能を感じさせます。

 注目すべきはA面曲「空に書いたラブレター」で、これは日本では「想い出の北風」の邦題でシングル発売されたイギリスのバンド、サイモン・デュプリー・アンド・ザ・ビッグ・サウンドがリー・ポクリスの楽曲を採り上げたヴァージョンが全英8位の大ヒットとなり、巧みに風音やチャイナ・ゴング、女性のウィスパリング・ヴォイスなどのSEを絡めたサウンドとエキセントリックかつクールなアレンジで、のちにイギリスのサイケデリック・ロック時代を代表する名曲のひとつとして知られることになります。このバンドは唯一のアルバム『Without Reservations』(Parlophone, June 1967)こそR&B指向の作風ですが、アルバム以降に1969年までに発表され、のちにコンピレーション盤『Kite: Part of My Past』にまとめられるアルバム1枚分相当の後期シングルではサイケデリック・ロック~プレ・プログレッシヴ・ロックに転向した作風に移行しており、メンバーはマルチプレイヤーのデレク・シャルマン、フィル・シャルマン、レイ・シャルマン三兄弟を中心とした、つまり孤高のプログレッシヴ・ロック・バンド、ジェントル・ジャイアントの前身バンドそのものです。今聴いてもまったく古びていない斬新なサウンドの「想い出の北風」が日本ではヒットしなかったのは、アウト・キャストのヴァージョンが「空に書いたラブレター」(この方が歌詞に忠実な邦題でもあります)と新たなタイトルをつけられたことからも推察されます。

 アウト・キャスト版「空に書いたラブレター」は新たな日本語詞といっても忠実な訳詞に近いもので、作詞家(訳詞家)の松本あずささんについては不詳ですが、無理なく日本語のメロディーに乗って平易にリスナーに歌詞の内容を伝える優れた日本語詞です。面白いのは小野良二率いる新生アウト・キャストのアレンジで、オリジナルの淡々とした無機的な演奏がプロコル・ハルムの「青い影」、ザ・フーの「恋のマジック・アイ」、スモール・フェイセスの「サイケデリック・パーク」、ピンク・フロイドの「エミリーはプレイガール」、ムーディー・ブルースの「サテンの夜」、トゥモローの「マイ・ホワイト・バイシクル」、ゾンビーズの「ふたりのシーズン」と続くサイケデリック時代の脱ビート・グループ的なブリティッシュ・ロックによくはまっているとすれば、アウト・キャストの演奏は同一曲とは思えないほどメロディーやコード進行を改変し、時代に逆行したビート・グループ的解釈でカヴァーしていることです。ひょっとしたらビッグ・サウンド版「想い出の北風」を聴かず直接ポクリスの譜面から曲を起こしてアレンジしたものかもしれません。オリジナル・アウト・キャストからフロントマン2人を引き抜いて結成されたアダムズがプレ・プログレッシヴ・ロック的な大仰なアレンジの壮大な楽曲「旧約聖書」でデビューしたのとは対照的とも、ベクトルは正反対ながら着眼点は同じとも言え、新生アウト・キャストも新たなファンを取り込めず昭和44年(1969年)初頭には自然消滅し、元アウト・キャストのフロントマン組のアダムズもグループ・サウンズ・ブームの衰退とメンバーのソロ活動指向(具体的には、水谷公生が日本語版ロック・ミュージカル『ヘアー』のキャストに抜擢されたことにあるようです)によって昭和44年末にはシングル4枚を残して解散してしまいます。やはりアルバム制作にこぎ着けなかったザ・ラヴ、アダムズとともに、大野良二が引き継いだ新生アウト・キャストもオリジナル・メンバー時に劣らない、しっかりした演奏力と音楽性に支えられた優れたシングル「空に書いたラブレター c/w 君を慕いて」を残した、この路線でカヴァー曲とオリジナル曲を混交したアルバム1作を期待しても十分なポテンシャルを持ったバンドでした。それは中途脱退した藤田浩一の結成したバンド、ザ・ラヴについても、唯一のシングル「イカルスの星 c/w ワンス・アゲイン」だけでも推し測れます。しかしその実力は地味な渋さを免れず、アイドル性で人気が左右されるようになったグループ・サウンズ・ブームの末期には取り残されたとしか言えません。唯一のシングルを残した新生アウト・キャストがオリジナル・アウト・キャストから通算2作目のアルバムを残し得て、そのアルバム内容が全曲「空に書いたラブレター c/w 君を慕いて」の水準に達するものだったらと思うと歴史の損失を嘆くしかありませんが(それは藤田浩一のザ・ラヴ、優れたシングルを4枚残した轟健二と水谷公生のアダムスも同様です)、新生アウト・キャストは素晴らしいシングルを1枚残しました。それがこれほど充実した出来ならば、それ以上は欲ばりようもありません。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)