チョコレート・ウォッチバンド - ノー・ウェイ・アウト (Tower, 1967)チョコレート・ウォッチバンド Chocolate Watchband - ノー・ウェイ・アウト No Way Out (Tower, 1967) :
Originally Released by Tower Records (under Capitol Records), Tower LP ST 5096, September 1967
Produced by Ed Cobb
(Side 1)
A1. Let's Talk About Girls (Manny Freiser) - 2:30 *Don Bennett on vocal replaced David Aguilar
A2. In the Midnight Hour (Steve Cropper, Wilson Pickett) - 4:26 *Bennett on vocal replaced Aguilar
A3. Come On (Chuck Berry) - 1:50
A4. Dark Side of the Mushroom (Bill Cooper, Richard Podolor) - 2:26 *Studio Musicians' Recording
A5. Hot Dusty Roads (Steve Stills) - 2:26 *Studio Musicians' Recording with Don Bennett on vocal
(Side 2)
B1. Are You Gonna Be There (At the Love-In) (Don Bennett, Ethon McElroy) - 2:24 *Studio Musicians' Recording with Bennett on vocal
B2. Gone and Passes By (David Aguilar) - 3:09
B3. No Way Out (Ed Cobb) - 2:25 *Studio Musicians' Recording
B4. Expo 2000 (Podolor) - 2:33 *Studio Musicians' Recording
B5. Gossamer Wings (Bennett, McElroy) - 3:34 *Studio Musicians' Recording with Bennett on vocal
(Bonus Tracks)
11. In the Midnight Hour (Cropper, Pickett) - 4:29 (Original David Aguilar Vocal Version)
12. Milk Cow Blues (Kokomo Arnold) - 2:57 (David Aguilar Vocal, Previously Unreleased)
13. Psychedelic Trip (Aguilar, Gary Andrijasevich, Bill Flores, Mark Loomis, Sean Tolby) - 1:57 (Instrumental, Previously Unreleased)
[ Personnel ]
David Aguilar - lead vocals (A3, B2, Bonus tracks only)
Gary Andrijasevich - drums
Bill Flores - bass guitar
Mark Loomis - lead guitar
Sean Tolby - rhythm guitar
< Additional Technical Personnel >
Ed Cobb - producer (all tracks, and played on A4, B3, B4)
Bill Cooper - engineer (played on A4, B3, B4)
Richard Podolor - engineer (played on A4, B3, B4)
Don Bennett - Guest lead vocals (A1, A2, A5, B1, B5)
Unknown - organ (all tracks)
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1965年にカリフォルニア州ロス・アルトスで学生バンドから生まれ、ロサンゼルス~サンフランシスコのアンダーグラウンド・シーンで活動したチョコレート・ウォッチバンド(The Chocolate Watch Band、Chocolate Watch Band、Chocolate Watchbandとアルバム毎に表記の揺れがありますが、バンド自身の意向では「チョコレート製腕時計ベルト」という意味の「Chocolate Watchband」を正式名称としています)は、翌1966年には地元のインディー・レーベルのアップタウン・レコーズから数枚のシングルを出し、メンバーの進学に伴ってカリフォルニア州サン・ノゼに活動の中心を移し、フランク・ザッパ&マザーズ・オブ・インヴェンジョン('66年8月アルバム・デビュー)を始めジェファーソン・エアプレイン('66年8月アルバム・デビュー)、グレイトフル・デッド('67年4月アルバム・デビュー)の前座で名を上げたバンドです。音楽性はサイケデリック・ロックというよりも元祖ガレージ・パンクと言える存在で、アルバムはチャート・インせず、シングル・ヒットはチャート下位に1~2曲とセールス的には恵まれず、'70年までには解散し、オリジナル・ラインナップのアルバム枚数は3作しかないことでもザ・シーズ('66年4月アルバム・デビュー)やラヴ('66年3月アルバム・デビュー)、ザ・13thフロア・エレヴェーターズ('66年10月アルバム・デビュー)と比較されるバンドです。また同時代のアメリカ西海岸のロック好きのSF作家、ノーマン・スピンラッド(1940-)に言わせれば、'70年代のパンク・ロックなど偽物でチョコレート・ウォッチバンドのライヴはいつも暴動寸前、客席にいるだけで身の危険を感じるほどだったそうで、スピンラッドはヴァイオレンスSFで売り出した小説家ですからこの証言には真実味があります。アルバム裏カヴァーにぎっしり書きこまれた名前はアルバムを予約してくれたファンのリストらしく、これはザ・13thフロア・エレヴェーターズのデビュー・アルバム(1966年10月発売)裏カヴァーも同様のデザインでしたから、地元テキサスからロサンゼルスやカリフォルニアに巡業してくることも多かったカルト・バンドのエレヴェーターズのアルバムを真似たものと思われます。ちなみにデビュー前のエレヴェーターズの準メンバーで、やはりテキサスから来てサンフランシスコのバンド、ビッグ・ブラザー&ザ/ホールディング・カンパニー('67年9月アルバム・デビュー)のヴォーカリストになったのがジャニス・ジョプリンでした。
しかしラヴやザ・シーズ、エレヴェーターズらが優れたアルバム内容や特異な存在感でザ・ドアーズやヴェルヴェット・アンダーグラウンドと並ぶ伝説的なサイケデリック・モンスター級のカルト・バンドになったのに対し、レコード上ではチョコレート・ウォッチバンドはほとんどバンド自身の創造力を発揮できませんでした。ライヴ・バンドとして定評があり、人気を博したチョコレート・ウォッチバンドは、レコードでは「作られたバンド」そのものでした。数枚の自主制作シングルを出していたウォッチバンドをアルバム・デビューさせた独立プロデューサー、ソングライターのエド・コブ(1938-1999)は'50年代からさまざまなアーティストを手がけたキャリアがあり、ロサンゼルスで1963年から活動しインディー・レーベルを転々としながらそれまでの10枚ものシングルがまったくヒットしなかったガレージ・ロック・バンドのザ・スタンデルスをプロデュースしたコブ提供曲のシングル「Dirty Water」(1966年3月録音・11月発売)を初めて全米チャートのトップ10に送りこみ、同曲は(1963年末のキングスメンの「Louis Louis」を単発的な先駆とすると)全米初のガレージ・ロックの特大ヒット・シングルになりました。コブには他にもブレンダ・ハロウェイへの書き下ろしヒット曲「Every Little Bit Hurts」(スモール・フェイセスもカヴァーしました)、グロリア・ジョーンズというより'80年代のソフト・セルのカヴァーで大ヒットとなった「汚れなき愛 (Tainted Love)」など多才なソングライターでしたが、エド・コブは第2の「サイケデリック版」スタンデルスを狙ってチョコレート・ウォッチバンドをプロデュースしたので、アルバム・デビューの遅れたウォッチバンドは'67年秋になっても後輩バンドのザ・ドアーズ('67年1月アルバム・デビュー、全米No.1ヒット曲「ハートに火をつけて (Light My Fire)」収録)の前座バンドにとどまり、しかも先にジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのデビュー・アルバム('67年5月発売)、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』('67年6月発売)と画期的なサウンド革新があった後にローリング・ストーンズの'63年6月発売のデビュー曲(チャック・ベリーのカヴァー)「カム・オン」、ウィルソン・ピケットのR&Bヒット曲のカヴァー「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」を演っているセンスでは数年時流に乗り遅れた観がありました。またラヴやバッファロー・スプリングフィールド('66年11月アルバム・デビュー)、モビー・グレイプ('67年6月アルバム・デビュー)のようにメンバーの作曲力に恵まれたバンドでもありませんでした。ラヴの傑作『ダ・カーポ』は'66年11月、『フォーエヴァー・チェンジズ』は'67年11月の発表ですし、バッファローの傑作『アゲイン』は'67年10月発表ですが、現在では『サージェント・ペパーズ』にも匹敵するとされるラヴやバッファロー、モビー・グレイプの傑作すら当時は即座に評価も商業的成功もしなかったのです。しかもチョコレート・ウォッチバンドのデビュー・アルバムは、キャピトル傘下の半ば自主制作用レーベル、タワーとエド・コブの事情により、A面B面各5曲、合わせて28分そこそこの貧弱なヴォリュームで3曲はコブとエンジニアが当時エレクトリック・プルーンズのマネージャーでフリー・プロデューサー兼スタジオ・ミュージシャンだったリチャード・ポドロー(1936-)の指揮で制作したサイケデリック調のインストルメンタル曲(A4, B3, B4)を収録し、さらにバンド自身のレパートリーからは4曲しか採用せず(A1, A2, A3, B2)、その上チョコレート・ウォッチバンドのヴォーカリストのデイヴィッド・アギラーの力量に不満だったコブは、目をかけていた黒人ヴォーカリストでソングライター、ドン・ベネットを起用して2曲のベネットの書き下ろし曲(B1, B5)を含む5曲(A1, A2, A5, B1, B5)のリード・ヴォーカルを執らせました。全10曲のうち3曲がスタジオ・ミュージシャンによるインスト曲、さらに5曲がメンバーでないゲスト・ヴォーカリストのリード・ヴォーカルで、チョコレート・ウォッチバンドの演奏はA1、A2、A3とB2の4曲だけ、しかもバンド本来のヴォーカリストが歌ったのは2曲だけとは何ということでしょう。しかもチョコレート・ウォッチバンドの演奏はアレンジともにガッツ溢れる好演なので本作がガレージ・ロックの名盤として愛聴されているのは皮肉です。バンドのレパートリーだったA1, A2すらベネットのリード・ヴォーカルにされてしまったので、本来のメンバーのデイヴ・アギラーのリード・ヴォーカルはA3, B2の2曲しか残っていないのです。それでもベネットのヴォーカルはエド・コブが起用しただけのことはある大したもので、チョコレート・ウォッチバンドはセカンド・アルバム『The Inner Mystique』(Jan.'68)でもカヴァー2曲を含む全8曲全編27分中半数はベネットのヴォーカル、さらにインストルメンタル2曲をスタジオ・ミュージシャンの担当にされ、サード・アルバム『One Step Beyond』('69)でようやく全7曲全編23分をすべてバンド自身によるバンドのオリジナル曲の演奏で収録しますが、実はこのサード・アルバムは『No Way Out』以前のデモ録音で、バンドはジリ貧状態のまま'70年には自然消滅してしまいます。
しかし、モンキーズとは別の意味で「作られたバンド」と「メンバー自身の実力」の拮抗したアルバムとしては上出来な本作は、'60年代ガレージ・パンク・クラシックとして一部のマニアから高い人気を誇り、100ドルを越えるコレクターズ・アイテムとなっていました。アルバムも長いこと廃盤になっていましたが'83年に初のベスト・アルバムが発売されてからは次第に注目されるようになり、アルバムの再発売に伴ってオリジナル・メンバーによるチョコレート・ウォッチバンドは1999年から再結成して活動を始め、2001年には32年ぶりの新作『Get Away』発売、翌2002年に活動再開後のライヴ盤を発表し、新作も自主レーベル規模ながら『Revolutions Reinvented』2012、‘60年代ロック研究・復刻の第一人者にしてウォッチバンドの‘60年代音源のコンプリート盤を手がけた、マルチ・プレイヤーのアレック・パラオさん(1962-)を正式メンバー(ベーシスト)兼プロデューサーに迎えて大好評を呼んだ最新作『This Is My Voice』2019と、デビュー55年を越えて今なお健在です。いっそローリング・ストーンズもこの辺で再結成リメインズやソニックス、ザ・シーズやチョコレート・ウォッチバンド、エレクトリック・プルーンズあたりを前座に起用してほしいものです。
(旧記事を手直しし、再掲載しました)