「トノバン 音楽家加藤和彦とその時代」 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦を追ったドキュメンタリーが5月に公開
 故・加藤和彦(1947~2009)氏が急死した時にはNHKで追悼番組が組まれ、2012年にはNHKハイヴィジョンでドキュメンタリー・ドラマが製作・放映されましたが、本格的なドキュメンタリー映画がこれまで製作されなかったのは意外な気がします。老人性鬱による縊死自殺という痛々しい死因により、喪に服す期間が15年かかった、ということかもしれません。加藤和彦氏の自宅別荘での自殺が判明したのは2009年10月17日(享年62歳)でしたが、加藤氏と親しかった人物では、元「平凡パンチ」「an・an」編集者を経た音楽ジャーナリストの今野雄二氏(1943年生まれ)が2010年7月に自宅マンションで縊死(享年66歳、「11PM」司会者で共演していた大橋巨泉氏は今野氏の同性愛者としての悩みを追悼文で発表しました)、音楽批評家で「ミュージック・マガジン」創設者の中村とうよう氏(1932年生まれ)も2011年7月に自宅マンションから飛び降り自殺(享年79歳)と、'60年代~2000年代までサブカルチャーからポピュラー音楽界までのご意見番だった方々の自殺が相次ぎました。
 加藤和彦が昭和43年(1968年)のフォーク・クルセダーズの爆発的ヒットの後、最晩年まで日本のポピュラー音楽シーンを牽引してきた存在だったのは言うまでもありませんが、こと日本のロックに関しても内田裕也(1939~2019)氏と並んで'70年代のほとんどのロック・ミュージシャンが内田氏・加藤氏に支えられて活動してきたのは等閑視されがちです。加藤氏は自身の音楽活動のかたわら、1973年のイギリス滞在時にフォーク・クルセダーズの印税を投入して購入したPA機器とステージ・セット機材を用いて日本初のPAレンタル会社「ギンガム」を設立、それまで大手プロダクション所属か、バンド自前のPA機材(内田裕也さんが私財を分け与えて有望バンドに楽器代・機材代を提供していました)に頼るしかなかった貧弱なステージ・セットを一気に向上させる役割を果たしました。日本でもそれまで「中津川フォーク・ジャンボリー」のような野外フェスティヴァルは行われていましたが、海外アーティストを含む40組ものバンドが出演し、1974年8月4日~8月10日に群馬県郡山市で行われた「ワンステップ・フェスティヴァル」は加藤氏の「ギンガム」がステージ設営とPAを担当し、2017年にはギンガムがPA技術向上のためにテスト用記録録音していたほぼ全出演バンド36組(ヨーコ・オノ&プラスチック・オノ・バンド、キャロル、シュガー・ベイブらCD化拒否バンドを除く)のライヴを集成した21枚組CDボックス『1974ワンステップ・フェスティバル永久保存版』がリリースされました。21枚組で当時デビュー前、またレコード・デビューにいたらなかったバンド(愚や宿屋の飯盛など、アナログLP1枚相当のステージが収録されています)まで含む(ただし頭脳警察はパンタさんが「小野洋子が嫌いだから」という理由で出演せず、また裸のラリーズも出演していませんが)、1974年の日本のロック状況の完全ドキュメントと言ってよいボックス・セットであり、プロデュースを勤めた内田裕也、石坂敬一(音楽ディレクター)の両氏と加藤和彦氏のなし得た最大の偉業と言えるものです。ワンステップ・フェスティヴァルの成功によって、このフェスティヴァルに参加した石川県小松市のバンド、めんたんぴんが主催する「夕焼け祭り」、あんぜんバンドを中心にした「浦和ロックンロール・センター」を始め、多くの大学の学園祭などで日本のロック・バンドの活動場所が広がったのは特筆されていいことです。
 加藤和彦氏の華やかな音楽歴については枚挙にいとまがありませんが、フォーク・クルセダーズはGS全盛期に突然変異的に現れた、日本初のカウンター・カルチャーとしての音楽グループでした。ソロ・アーティスト、またバンド・リーダーとしても加藤和彦の音楽は日本の主流ポップスには早すぎ、必ずしも主流ポップスに沿ったものとは言えないものでしたが、「悲しくてやりきれない」「あの素晴らしい愛をもう一度」「白い色は恋人の色」「家をつくるなら」などは1000年後に詠み人知らずの伝承歌になっても残る楽曲でしょう。なお加藤和彦はフォーク・クルセダーズ解散後、サディスティック・ミカ・バンド結成の前に、元ザ・タイガースの加橋かつみ、元オックスの赤松愛(キーボード)とのバンド結成の話があったそうで、それは結局実現しませんでしたが、加橋かつみ氏と加藤和彦氏のデュエットが聴けたらと思うと、デモテープなりとも残しておいてほしかったと思います。加藤氏のニックネーム「トノバン」の由来になったドノヴァンの曲「ラレーニア」を、加橋かつみさんがザ・タイガース以来得意としたビージーズの「ホリデイ」のカヴァーとともに上げておきましょう。加橋さんと加藤和彦さんの声が重なったら、それはもう日本のポップス史上最高の、天上の男声デュオになっただろうと確信させる音源です。