大晦日に読みたい詩~ジュール・ラフォルグ | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

 冬が来る
 ジュール・ラフォルグ

感情の封鎖、東風の襲来。……
ああ、雨が降り、日が暮れて、
風が吹いている。……
聖霊祭、降誕祭、お正月、
ああ、煙突は雨の中に霞み、……
それも、工場の煙突だ。

公園のベンチは濡れていて、もう腰掛けることが出来ない。
もう来年まで何もかもおしまいで、
ベンチは濡れているし、木の葉の色は変わり、
角笛はもう吹けるだけ吹かれているのだ。……

英仏海峡の方から吹き寄せられた雲が
私達の最後の日曜日を台なしにしてしまった。

雨が降っている。
森は濡れて、蜘蛛の巣が
滴で重くなって破れて行く。
田舎の景色を金色に染める
麦畑の実りを守護した太陽は
どこに行ったのか。
今日は夕日が弱り切って丘の上に、
えにしだの花の中に外套を敷いて横たわり、
それは酒場の床に吐いた唾に似て白い太陽で、
えにしだの黄色い花の床に、
秋の黄色いえにしだの花の床に寝転がり、
角笛の音が響き渡っているのも甲斐がない。
太陽が、……
太陽が元気を取り戻しますように、
と角笛の音は言っている。
その悲しい繰り言をもう止めてくれないか。……
聞いていると頭が変になりそうだ。……
そして太陽は、頸から取ったるいれきのようにそこに横たわり、
一人で震えている。……

こうなれば、もうおしまいだ。
誰もがよく知っている冬が来るのだ。
ああ、街道の曲がり角よ、
そしてそこに赤頭巾は歩いていない。……
先月通った車の跡は
健気な二本の線になって、
無慈悲な風に追われて大西洋の方に
算を乱して走り去る雲の群に向かって登って行く。……
急ごう、急ごう。今度こそは冬が来た。
そして風は昨晩、ひどい荒れ方をして、
小鳥の巣も、小さな家の庭も、目も当てられない有様だ。
私の胸には一晩中、木を倒す斧の音が響いていた。……

木の小枝はこの間までまだ青い葉を着けていたのに、
森の木の下に今は枯れ葉が積もっている。
小さな木の葉よ、風が君達の長い列を
池の方に運んで行くように。
或いは、猟番が焚き火をする時の材料に、
或いは、フランスを遠く離れている兵隊達が
病院で使う枕に詰めるのに、風が君達を吹き寄せてくれるように。

冬が来て、錆びが群衆を包み、
誰も通らない街道の、
何百キロも続く電線の悲しみにも錆びが食い入る。

角笛の音の、もの悲しい響きが、……
もの悲しい響きが、……
別な調子に変わって、
今まで聞いたことがない
音楽になる。……
角笛の音は、……
北風に吹き消されてしまった。

私は角笛の音を忘れることが出来ない。何と多くの思い出がその音に籠っていることか。……
冬が来て、取り入れは終わった。……
天使の忍従ぶりで降り続ける雨の季節になって、
取り入れも、取り入れの籠も、
栗の木陰で皆が踊っているワットー風の催しももうどこにもない。
学期が始まって戻って来た生徒達の寄宿舎で誰かが咳をするのが聞こえ、
一人住まいをしているものが薬湯を飲み、
肺病が一区の方々に広がって行って、
大都会をみじめにするものが凡て始まる。

しかし毛糸の下着にゴムの上靴、薬局、夢、
町の屋根の泡に向かっている
露台の窓から引いたカーテン、
ランプの光、版画、紅茶、紅茶に合う菓子、
こういうものだけを愛していくわけには行かないのだろうか。……
(それから、どこかから聞こえて来るピアノの音の他に、新聞に毎週出ている
衛生関係の統計の
夕暮れに相応しい、厳粛に神秘的な味を君は知っているだろうか。)

いや、いや、この季節には地球までがどうかしている。
東南からの気違い染みた風が、
「時」が毛糸で編んだ上履きを解きほぐしてしまうように、
冬が、我々の胸を掻きむしる冬が来たのだ。
私は毎年、その度に、
この冬の響きを伝えることにしたい。

(吉田健一訳)

 ジュール・ラフォルグ(1860~1887)は、唯一の詩集『黄色い恋』(1873年刊)で知られるトリスタン・コルビエール(1845~1875)の系譜を継ぐ、フランスの象徴主義後期の詩人です。フランスの象徴主義詩は『幻想詩篇』(没後刊)のジェラール・ド・ネルヴァル(1808~1855)や散文詩集『夜のガスパール』(没後刊)のアロイジェス・ベルトラン(1807~1841)、『七宝と螺鈿』(1853年刊)のテオフィール・ゴーチェ(1811~1872)、ヴィリエ・ド・リラダン(1838~1889)らを先駆者として、アメリカ詩人・小説家のE・A・ポーへの傾倒から文学的手法を学んだ、『悪の華』(1857年刊)、『パリの憂鬱』(没後刊)のシャルル・ボードレール(1821~1867)によって確立されましたが、ボードレールも、ボードレールを師と仰いだステファヌ・マラルメ(1842~1898)、ポール・ヴェルレーヌ(1844~1896)、アルチュール・ランボー(1854~1891)においても、その詩は散文詩以外は基本的に韻律と脚韻を踏んだ、ソネット型式、一連四行型式などの伝統的な詩型のものでした。コルビエールが着手し、ラフォルグが全面的に採用することになった改革は伝統的な詩型に拠らない口語自由詩で、英語詩ではアメリカのウォルト・ホイットマン(1819~1892)という巨大で徹底的な自由詩詩人(また没後に膨大な詩篇が発見されたエミリー・ディキンソン)がいましたが、伝統的詩型の因習を破り、かつ象徴主義詩の革新性を備えたラフォルグは享年27歳の没後に、ダダイズム~シュルレアリスムから20世紀のモダニズム詩まで再評価され、影響をおよぼす伝説的な存在になりました。

 先に引いた「冬が来る」は遺稿詩集『最後の詩』(1890年刊)の巻頭詩で、挑発的だったり(ボードレール)、高踏的だったり(マラルメ)、頽廃的だったり(ヴェルレーヌ)、奔放だったり(ランボー)、いずれにせよ難解さを感じさせたラフォルグ以前の象徴主義の詩人たち(唯一の例外がもっともマイナーで孤立した詩人だったコルビエールでした)から一転して、ごく庶民的な哀感の移ろいを、自由詩という平易かつ奥行きのある内省的な表現で見事に作品化したものです。ラフォルグの自由詩は20世紀の英米のモダニズム詩人、エズラ・パウンドやT・S・エリオット、ハート・クレインやロバート・ローウェルまで影響を与え、また原書や上田敏の訳詩集『牧羊神』(大正9年/1920年刊)や堀口大學の訳詩集『月下の一群』(大正14年/1925年)を通して三富朽葉や富永太郎、中原中也、梶井基次郎に愛読されましたが、それも「詩人の感受性の特権」に依らない、ラフォルグの詩の詩の自然で自由な感覚によるものと思われます。三富朽葉(朽葉は日本の現代詩初の口語自由詩の詩人の一人でした)、富永太郎、中原中也は資質自体がまさしくラフォルグ的な詩人でした。中原中也の日記に「世界に詩人は三人しかいない/ランボオ/ヴェルレーヌ/ラフォルグ/三人だけ!」とあるのも(また「岩野泡鳴/佐藤春夫/三富朽葉/高橋新吉/宮沢賢治」と日本の詩人で認める五人を上げているのも)、中原中也の作風からは納得がいく感じがします。中原中也の属した同人誌「文學界」に中原没後に加わった年少の吉田健一は、愛読書についてのエッセイ集『書架記』(昭和48年/1973年刊)で、「その詩人を読んでいる間は他の詩人は要らないという気にさせる詩人」としてラフォルグと中原中也を上げています。数少ないラフォルグの著作のうち、最高傑作とされる遺稿詩集『最後の詩』と、やはり遺稿になった短篇小説集『伝説的な道徳劇』は吉田健一訳の『ラフォルグ抄』(小沢書店・昭和50年/1975年、現・講談社文芸文庫)に全訳収録されています。この詩のような本降りの雨でこそありませんが、小雨の日曜日の大晦日に相応しい詩篇としてご紹介した次第です。