三たび「新潮世界文学」について | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

 昭和43年(1968年)から昭和47年(1972年)にかけて新潮社から刊行された全49巻の文学全集「新潮世界文学」は、四六判8ポイント2段組で800ページ~1200ページもの大冊で、1巻当り単行本(文庫本)4冊~6冊分を収録、しかも全49巻で選出された作家は24人という極端な全集で、包括的に24作家の代表作が読めるため1990年代まで版を重ねるロングセラーになりました。内訳はフランス文学10作家・17巻、ロシア文学3作家・12巻、ドイツ文学5作家・9巻、イギリス文学3作家・6巻、アメリカ文学3作家・5巻に絞られ、どの作家もほぼ準全集と言えるほど代表作を網羅しているのに特徴があります。普通、こうした文学全集は一人一巻でなるべく多くの作家を網羅するのが通例ですが、「新潮世界文学」の場合は「世界の文豪24人」に絞ったところに特色があるので、筆者は社会人になった時に学生時代に図書館で借りて読んだ作品が一気に揃って読み返せると全巻揃い・月報完備(これは重要です)・別冊内容見本つきで安価に店頭に並んでいた古書店で購入しましたが、まさに筆者のような読者の要望に応えるために編集された文学全集と言えます。また文学史に名を残す多くの作家からあえて日本の文学読者にポピュラーな24人に限定された、大胆な編集方針であることも前2回で触れました。この文学全集は作家の生年順に巻立てされていますので、再度収録作家を一覧にしてみましょう。

・シェイクスピア(英1564~1616、全2巻)
・ゲーテ(独1749~1832、全2巻)
・スタンダール(仏1783~1842、全2巻)
・バルザック(仏1799~1850、全2巻)
・フローベール(仏1821~1880、全1巻)
・ドストエフスキー(露1821~1881、全6巻)
・トルストイ(露1828~1910、全5巻)
・ゾラ(仏1840~1902、全1巻)
・モーパッサン(仏1850~1893、全1巻)
・チェーホフ(露1860~1904、全1巻)
・ロマン・ロラン(仏1866~1944、全4巻)
・ジッド(仏1869~1951、全2巻)
・モーム(英1874~1965、全2巻)
・リルケ(独1875~1926、全1巻)
・トーマス・マン(独1875~1955、全3巻)
・ヘッセ(独1877~1962、全2巻)
・カフカ(独1883~1924、全1巻)
・ロレンス(英1855~1930、全2巻)
・フォークナー(米1897~1962、全2巻)
・ヘミングウェイ(米1899~1961、全2巻)
・アンドレ・マルロー(仏1901~1976、全1巻)
・スタインベック(米1902~1968、全1巻)
・サルトル(仏1905~1980、全1巻)
・カミュ(仏1913~1960、全2巻)

 49巻、24作家のうちフランス文学がスタンダール、バルザック、フローベール、ゾラ、モーパッサン、ロマン・ロラン、ジッド、マルロー、サルトル、カミュの10作家・17巻を占め、ロシア文学がドストエフスキー、トルストイ、チェーホフの3作家で12巻に及び、イギリス文学はシェークスピア、モーム、ロレンスの3作家6巻に留まる一方、ドイツ文学はゲーテ、リルケ(オーストリア)、トーマス・マン、ヘッセ(スイス)、カフカ(チェコスロバキア)の5作家で9巻に及び、アメリカ文学ではフォークナー、ヘミングウェイ、スタインベックの3作家で5巻が当てられています。これは明治の坪内逍遙、二葉亭四迷、森鷗外から大正の自然主義作家、白樺派作家を通って、戦争を挟んだ昭和十年代作家~戦後文学者までの西洋文学からの影響と文学読者の嗜好を反映したもので、横光利一(1898~1947)が昭和10年(1935年)4月に総合誌「改造」に発表した評論「純粋小説論」の結論で、「日本文学の伝統とは、フランス文学であり、ロシア文学だ。もうこの上、日本から日本人としての純粋小説が現れなければ、むしろ作家は筆を折るに如くはあるまい」と、スタンダールの『パルムの僧院』やドストエフスキーの『悪霊』を純粋小説の規範として上げながら、日本における小説の未来を考察していたのと照応するものでもあります。
 この「新潮世界文学」の人選がいかにフランス文学、ロシア文学、次いでドイツ文学に偏向したものかは前2回でも眺めてきました。フランス文学10作家・17巻(35%)、ロシア文学3作家・12巻(25%)、ドイツ文学5作家・9巻(18%)、イギリス文学3作家・6巻(12%)、アメリカ文学3作家・5巻(10%)というのは、イギリス文学とアメリカ文学を英語圏文学として11巻(22%)に数えてもあまりに偏向していて、しかもシェークスピアから始まり次はゲーテというのは飛躍が過ぎます。いっそシェークスピアは除いて、ついでにモームも外して、その分のイギリス作家4巻分をジェーン・オースティン、ディケンズ、トマス・ハーディとした方がロレンスに至るイギリス文学の系譜をたどれますが、これはオースティン、ディケンズ、ハーディ(この三人はそれこそドストエフスキーやトルストイに匹敵する巨匠です)らが日本の一般の文学読者には不人気だったことを示します。ドイツ(スイス)作家ヘッセ、(チェコスロバキア)作家カフカ、イギリス作家モーム、ロレンス、アメリカ作家ヘミングウェイ、スタインベックは戦前から翻訳紹介がされていましたが、本格的な評価はフォークナー、マルロー、サルトル、カミュと並んで戦後の翻訳出版によるものでしょう。シェークスピアは明治開花期から、ゲーテやドストエフスキー、ゾラ、モーパッサンは明治20年代から、フローベールやトルストイ、チェーホフ、ロマン・ロランは大正時代から、スタンダール、バルザック、ジッド、リルケは昭和初頭から、その主要作品はほぼ全集に近い形で紹介されています。ゲーテやトルストイに至っては戦前版の全集の方が断簡零墨まで収録した完全な全集に近いくらいです。横光利一の盟友・川端康成(1899~1972)に見出だされたハンセン氏病の夭折作家・北条民雄(1914~1937)が、隔離病棟で川端康成の手配による原稿料で翻訳版の『ドストエフスキー全集』と『フローベール全集』を購入し、この両作家を精読して今後の創作の指標として定めていたのは『北条民雄全集』の日記の部の晩年近くに熱く語られています。やはり夭逝した梶井基次郎(1901~1932)同様、文学の精髄に若くして目覚め、才能と可能性に溢れ気宇壮大な作家だった北条民雄を宿痾で早く失ったのは、日本文学にとって大きな損失でした。またサナトリウムから退院した主人公の青年が第一次世界大戦に徴兵され最前線で死地に赴く結末に至る『魔の山』の岩波文庫版(トーマス・マンは第二次世界大戦勃発によってアメリカに亡命したためナチス政権下ではマンの全著作が禁書になりましたが、日本ではドイツは同盟国でしたからドイツ文学は戦時中も禁書になりませんでした)を、大東亜戦争に徴兵された多くの文学青年が携えていったというのも、従軍経験者の詩人、鮎川信夫(1920~1986)が証言しています。

 日本では高村光太郎、倉田百三、尾崎喜八、片山敏彦、高田博厚らが大正14年(1925年)に「ロマン・ロラン友の会」を結成してロランと文通したり会員の渡仏留学の際にロランと交友を結び、また昭和初頭から翻訳紹介されたジッドは昭和9年(1934年)には金星堂から全18巻、建設社から全12巻の二種類の『アンドレ・ジイド全集』(戦前には「ジイド」という表記が一般的でした)が同時刊行されたほどでした。萩原朔太郎(1886~1942)は大正時代に刊行された生田長江翻訳の『ニーチェ全集』をショーペンハウワーの著作と並んで枕頭の書に上げていましたが、大正~昭和初頭までに『シェークスピア全集』『ゲーテ全集』『ハイネ全集』『ツルゲーネフ全集』『ドストエフスキー全集』『トルストイ全集』『フローベール全集』『ニーチェ全集』『チェーホフ全集』『ジッド全集』『ヘッセ全集』『フィリップ全集』、昭和初頭に遅れて翻訳紹介されたスタンダールやバルザックの代表作、モーパッサン、ロマン・ロランの全作品が多くの作家、文学読者に日本の現代文学以上に広く読まれていたのは、先に引いた横光利一が昭和10年に喝破した通り「日本文学の伝統とは、フランス文学であり、ロシア文学だ。もうこの上、日本から日本人としての純粋小説が現れなければ、むしろ作家は筆を折るに如くはあるまい」と極言を吐かしめた次第です。

 横光利一の「純粋小説論」に見られる論旨には萩原朔太郎の書き下ろし長篇詩論『詩の原理』(昭和3年/1928年)という先例があって、執筆に10年が費やされた同書は「概論~詩とは何ぞや」から始まり、「内容論」「形式論」と区分けされ、「結語」の副題は「島国日本か?世界日本か?」と題されています。萩原自身が筆生の力作を自負したこの『詩の原理』はあまりに概括的な記述、粗雑さと微細さが分かち難い論法で萩原朔太郎最大の問題作となっている大作詩論ですが、特に問題視されるのが「結語」の「島国日本か?世界日本か?」のテーゼです。「内容論」の第13章「詩人と芸術家」において萩原が真の詩人として上げたのは、芭蕉、人麿、西行、バイロン、ハイネ、ゲーテ、シラー、ヴェルレーヌ、李白、キーツ、シェリー、マラルメ、ボードレール、ヴェルレーハン、ホイットマン、ランボー、石川啄木(この順)でした。これらの詩人を一律に上げるのも萩原らしい愛嬌ですが、「形式論」では萩原は昭和初頭のモダニズム詩までやや批判的に言及して、「結語」では唐突に「島国日本か?世界日本か?」と日本の詩と外国の詩(唐代中国詩や、ロマン主義以降の西洋詩)の対立概念に飛躍してしまいます。『詩の原理』についてはさまざまな論者が萩原の真意や詩論としての妥当性を検討していますが、萩原が和歌・俳諧から明治以降の近・現代詩を古典中国詩や近代西洋詩の模倣的独自翻案として行き詰まりに差し掛かっていると捉えているのはこの「結語」にかかっており、「概論」「内容論」「形式論」で外国詩と日本の詩を同列に論じてきたものが、「結語」では日本の詩の本質と未来を「島国日本か?世界日本か?」と西洋詩との対立概念としてなし崩しに問題を放り投げて終わるのは、他ならぬ萩原朔太郎自身が詩学原論として表した著作だけに読者を惑わせます。萩原はそこで、横光利一と同様に、いわば「日本の詩の伝統とは中国詩であり、フランス詩であり、ロシア詩であり、ドイツ詩であり、イギリス詩だ。もうこの上、日本から日本人としての詩が現れなければ、むしろ詩人は筆を折るに如くはあるまい」と問題を提起していると見れば、卓見と早とちりの混乱に満ちた『詩の原理』はますます問題の書となるでしょう。

 全49巻にフランス文学10作家・17巻(35%)、ロシア文学3作家・12巻(25%)、ドイツ文学5作家・9巻(18%)、イギリス文学3作家・6巻(12%)、アメリカ文学3作家・5巻(10%)という「新潮世界文学」の人選、巻立ては、昭和43年(1968年)にして昭和3年(1928年)の萩原朔太郎『詩の原理』、昭和10年(1935年)の横光利一「純粋文学論」と変わらない日本文学の実作者、文学読者の嗜好をそのまま反映したもので、萩原朔太郎の『詩の原理』から40年あまりを経ても日本の文学者、文学読者の抱く「世界文学」とはフランス文学、ロシア文学、ドイツ文学、英米文学に偏向しているのを示します。さらに全49巻、通常の文学全集なら1巻当り3~4倍の収録分量にして、24作家中女性作家は一人もいません。モダニズム文学の国際的先覚者ガートルード・スタインは異色すぎるとしても、偉大な女性作家の宝庫イギリスから、ジェーン・オースティンもブロンテ姉妹もジョージ・エリオットも、キャサリン・マンスフィールドもヴァージニア・ウルフも入らないなら、当然そうなってしまうでしょう。17世紀以来の西洋文学をあえてたった24人の「大作家」に代表させた(しかもフランス文学とロシア文学で6割、ドイツ文学と英米文学で2割ずつ)、この極端な文学全集は日本における明治以降の海外文学の受容をそのまま反映したものなので、そこにこそ大きな特色があります。それは萩原朔太郎、横光利一といった20世紀前半の日本を代表する文学者が『詩の原理』「純粋文学論」で喝破した現代日本文学の問題とひと繋がりのものでしょう。毎回くり返しの多い話題で恐縮ですが、まだまだ突っ込んで見てみたいと思います。

(長篇小説、中篇小説は『』で、短篇小説は「」で区別しました。)

(以下次回)