ローリング・ストーンズTVライヴ1965年 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ザ・ローリング・ストーンズ - エド・サリヴァン・シアター、NY、1965年5月2日
The Rolling Stones Live, 02/05/1965, Ed Sullivan Theatre, NY :  

1. The Last Time (Jagger/Richards) - 0:04
2. Little Red Rooster (Willie Dixon) - 3:35
3. Everybody Needs Somebody To Love (Solomon Burke, Bert Berns, Jerry Wexler) - 6:10
4. 2120 South Michigan Avenue (Nanker Phelge) - 9:07
[ The Rolling Stones ]
Mick Jagger - lead vocals
Keith Richards - electric guitar, backing vocals
Brian Jones - electric and slide guitars, backing vocals
Charlie Watts - drums, percussion
Bill Wyman - bass guitar, backing vocals
 58年前のザ・ローリング・ストーンズ、2回目の渡米公演途中にテレビ出演した時のスタジオ・ライヴ映像です。観客の歓声は被せられているものの無観客のテレビ・スタジオで撮影されたもので、1965年3月発売(1月ハリウッド録音)の最新シングル「The Last Time」(全英1位・全米9位)を冒頭に、やはり1965年2月発売のアメリカでの独自編集盤『The Rolling Stones, Now! 』(全米5位)から「Little Red Rooster」「Everybody Needs Somebody To Love」を演奏し、アメリカでの前作『12 × 5』(1964年10月、全米3位)からメンバー全員(ナンカー・フィレッジ名義)の共作「2120 South Michigan Avenue」(インストルメンタル)をエンド・クレジットが被さる形でエンディング・テーマにしています。YouTubeにアップされたクレジットでは「02/05/1965」とされていますから5月2日と取るべきでしょうが、アルバム『The Rolling Stones, Now!』とシングル「The Last Time」の発売のタイミングからすると2月5日の方が正しいのかもしれません。
 ハリウッド録音のシングル「The Last Time」はこのあと「(I Can't Get No) Satisfaction」(1965年6月、全英1位・全米1位)、「Get Off of My Cloud」(1965年9月、全英1位・全米1位)、「As Tears Go By」(1965年12月、全英6位)、「19th Nervous Breakdown」(1966年2月、全英2位・全米2位)、「Paint It Black」(1966年5月、全英1位・全米1位)、「Mother's Little Helper」(1966年7月、全英8位)、「Have You Seen Your Mother, Baby, Standing in the Shadow?」(1966年9月、全英5位・全米9位)と続くジャガー/リチャーズのオリジナル曲の傑作連発の最初の大ヒット曲になった曲であり、「The Last Time」から「Have You Seen Your Mother, Baby, Standing in the Shadow?」までの曲はアルバム『Aftermath』(英1966年4月、米1966年7月、全英1位・全米2位)ともども、1965年12月~1966年6月にハリウッドのRCAスタジオで、実質的に同スタジオの敏腕ハウス・エンジニア、デイヴィッド・ハッシンジャー(名義上はストーンズのマネジメント会社社長アンドリュー・ルーグ・オールダム)のサウンド・プロデュースによって制作されたものです。それまでアメリカのブルースやR&Bのカヴァー・バンドだったストーンズが一気にオリジナル曲中心のバンドになり(『Aftermath』はストーンズ初の全曲自作オリジナル曲のアルバムになりました)、上記の傑作シングル群でダークなサウンドに転換したのもハッシンジャーの手腕によるものでした。1967年1月の両A面シングル「Ruby Tuesday / Let's Spend the Night Togethe」からストーンズは再びロンドンのスタジオでセルフ・プロデュースによってレコーディングするようになりますが、それも半年間におよぶハッシンジャーとの共同作業によってストーンズ自身がハッシンジャーのサウンド・プロデュース手腕から学びつくしたことからでした。この時ミック・ジャガーとキース・リチャーズ(当時の芸名はリチャード)は22歳~23歳、アメリカ黒人音楽のカヴァー・バンドだった初期ストーンズも最高ですが、この時期ハッシンジャーとのRCAレコーディングを経なかったらビートルズと肩を並べるバンドにはならなかったでしょう。「アメリカン・ポップスの歴史を知っていればビートルズの出現は必然であった。ローリング・ストーンズなど際物に過ぎない」(大意)と述べた作家(小林信彦)もいましたが、そう訳知り顔で評した作家が見抜けなかった、または鑑賞眼の自惚れから眼中になかった(つまり黒人音楽と白人ポップスの相克と融合という)そこに、ストーンズの革新性があったのです。
 5月2日か2月5日かまぎらわしいのですが、このエド・サリヴァン・シアターのテレビ出演は当時としては珍しい正真正銘のスタジオ・ライヴで、無観客ながらも(だからこそ)実現した、10分強、実質3曲と短いながら驚異的な成長を遂げた最中のストーンズの生演奏が味わえる貴重な映像です。当時のストーンズの正規ライヴ音源は演奏中も絶叫する観客の歓声に包まれ、スタジオで補正しないと聴くに耐えない(アメリカ発売のみのライヴ盤『Got Live If You Want It!』1966年12月、全米6位)ようなものだったので、最新シングル「The Last Time」から始まり、ハウリン・ウルフ1961年のシングル曲のカヴァー「Little Red Rooster」(この曲のストーンズ・ヴァージョンは1964年11月にイギリスでストーンズ初のNo.1シングルになりました)、ソロモン・バーク1964年のシングルをいち早くカヴァーした乗り乗りの「Everybody Needs Somebody To Love」と、カヴァー・バンドからオリジナル曲中心のバンドに転換するまっただ中のストーンズの生演奏が聴けます。正規ライヴ盤『Got Live If You Want It!』より格段にストーンズの力量がうかがえる演奏で(実質的にはスタジオで全編が補正された擬似ライヴ盤の同作も、熱狂的なムードにあふれたものですが)、ハッシンジャーのサウンド・プロデュース以前のストーンズのシングル、アルバムは現在のデスクトップ録音やDTM録音に慣れたリスナーどころか当時にあってもかなりラフな印象が強く、その感触が黒っぽさを増しているので痛し痒しの面が大きいのですが、このテレビ・スタジオでのスタジオ・ライヴを聴くとデビュー3年目、1963年6月のシングル「Come On」からほぼ満2年のこの時点で、ストーンズは演奏力の高い一流のブルース・ロック・バンドだったのが確認できます。演奏力が卓越しているというよりも楽曲があまりに斬新だったため追従を許さなかったビートルズよりも、楽曲面では真似しやすく強力なリード・ヴォーカリストを擁したストーンズの方が多くのフォロワーを呼ぶようになったのもこの頃からで、特にあまりに斬新な『Rubber Soul』(1965年12月)以降のビートルズよりもシンプルで尖ってかっこいい『Aftermath』はビートルズよりも直接的に、特にアメリカのガレージ・バンドに、ダークなジャケットともども影響を与えることになりました。デイヴィッド・ハッシンジャーの陰影の深いサウンド・プロデュースがその肝で(アメリカでは「The Last Time」のB面曲「Play with Fire」も全米96位ながら、多くのバンドに影響を与えた人気曲になりました)、もともとアメリカ最新鋭のレコーディング・エンジニア、ハッシンジャーの下には多くのバンドがプロデュースを求めるようになります。しかしそれもストーンズほど演奏力の高いバンドだったからこそ、というのをこのテレビ映像は示してあまりあり、ライヴでの実力もハッシンジャーのサウンド・プロデュースを経て本格的に開花したものと思われます。ミックとキース、ブライアン・ジョーンズは22歳~23歳、チャーリー・ワッツは24歳、ビル・ワイマンは28歳、現在これほどのバンドが現れたら世間が放っておかないでしょう。この映像はその証左です。