ティラノザウルス・レックスのデビュー・シングル | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。



Tyrannosaurus Rex - Debora (MV, 1969) :  

Reissued by Fly Records ECHO 102, April 1972, UK#7


 没後の膨大な発掘音源を除いて、マーク・ボラン(1947~1977)にはティラノザウルス・レックス名義で4枚、T.レックス名義で8枚のアルバムと、さらにアルバム未収録シングルがアナログLP2枚分相当ありますが、やはり人気の高いのはT.レックス名義になってグラム・ロック路線に転向した、アルバムで言えば『T.レックス (T. Rex)』(Fly, November 1970, UK#7)、『電気の武者 (Electric Warrior)』(Fly, September 1971, UK#1)、『ザ・スライダー (The Slider)』(T. REX, Reprise, July 1972, UK#4)、『タンクス (Tanx)』(T. REX, Reprise, March 1973, UK#4)までの時期で、『電気の武者』と『ザ・スライダー』の間にはティラノザウルス・レックスの4作品~『電気の武者』まで在籍したリーガル・ゾノフォーン/フライ・レーベルからのベスト盤『ボラン・ブギー (Bolan Boogie)』(Fly, May 1972, UK#1)も全英No.1アルバムにしています。人気凋落の兆しが見えたのが『タンクス』の次作『ズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー (Zinc Alloy and the Hidden Riders of Tomorrow)』(T. REX, Reprise, March 1974, UK#12)で、全英チャート・トップ10内に入らず、以降30歳の誕生日の2週間前の1977年9月16日に交通事故死で急逝するまでの3枚のアルバムはいずれも力作ながらチャートインを逃してしまいます。あまりに鮮明な個性を持つマーク・ボランはその個性ゆえに飽きられるのも早かったと見るべきか、格好の時期にリリースされてNo.1ヒットを記録したゾノフォーン/フライ・レーベル時代の初期ベスト盤『ボラン・ブギー』に較べて、『タンクス』と『ズィンク・アロイ~』の間にリリースされたリプリーズ傘下のT.レックス・レーベル時代のベスト盤『グレイト・ヒッツ (Great Hits)』(T. REX, Reprise, November 1973, UK#32)は、『ザ・スライダー』『タンクス』の時期のヒット・シングルとアルバム未収録シングル曲を収めた傑作ベスト盤にもかかわらず、1年半前の旧所属レーベルからの全英No.1ヒットとなった編集盤『ボラン・ブギー』のヒット実績に遠く及びませんでした。

 ただし全盛期のT.レックスのヒット実績は驚異的なもので、1970年11月から1973年6月の2年半に10曲を越える全英トップ10圏内、うち9曲をトップ3圏内、4曲をNo.1ヒットにしています。この時期のシングル曲とチャート最高位を一覧にしておきましょう。

◎November 1970 : Ride a White Swan (UK#2)
◎February 1971 : Hot Love (UK#1)
◎July 1971 : Get It On (UK#1, US#10)
◎November 1971 : Jeepster (UK#2)
◎January 1972 : Telegram Sam (UK#1)
◎April 1972 : Debora (Reissued, UK#7)
◎May 1972 : Metal Guru (UK#1)
◎September 1972 : Children of the Revolution (UK#2)
◎December 1972 : Solid Gold Easy Action (UK#2)
◎March 1973 : 20th Century Boy (UK#3)
◎June 1973 : The Groover (UK#4)

 ここまでがシングル・ヒット上でも絶頂期で、1973年11月のシングル「Truck On (Tyke)」(UK#12)、1974年のシングル「Teenage Dream」(UK#14)は意欲作『ズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー』ともどもトップ10入りを逃し、以降T.レックスは年1作のアルバム(『ブギーのアイドル (Bolan's Zip Gun)』1975.2/UK#--, 『銀河系よりの使者 (Futuristic Dragon)』1976.1/UK#50, 遺作となった『地下世界のダンディ (Dandy in the Underworld)』1977.3/UK#26)、年2~4枚のシングルを発表するもほとんどが40位前後の成績に終わり、かろうじて1975年のシングル「New York City」が全英15位、1976年のシングル「I Love to Boogie」が全英13位と面目を保つに留まりました。1975年以降の後期アルバム、シングルはいずれも力作・意欲作で、今日高い評価を受けていますが、絶頂期が輝かしかっただけに、当時にあってはすでに旬を過ぎたアーティストと見られたのがマーク・ボランの不運でした。T.レックスが『電気の武者』『ザ・スライダー』『タンクス』の頃の絶頂期メンバー(ボラン、ミッキー・フィン、スティーヴ・カーリー、ビル・レジェンド)で「ロックの殿堂」入りしたのはもっともヒットを連発していた頃から50年を経た2020年でしたが、ロックの殿堂はアメリカでのヒット・セールスが重視されるため、ブラス・ロック・バンドのチェイスの同名曲との混同を避けるためアメリカでは「Bang a Gong (Get It On)」として改題発売されたシングルが唯一のアメリカでのヒット曲(ビルボート10位、キャッシュボックス12位)だったT.レックスは長年リスナーに愛されながら、その功績は閑却されていた存在だったのです。

 マーク・ボランは1965年~1966年にデッカで2枚、パーロフォンで1枚のシングルを出していましたが、ソロ時代のシングルはほとんど注目されませんでした。ボランに目をつけたのが元ヤードバーズのマネージャー、サイモン・ネピア=ベルで、ネピア=ベルはボランをより広く売りだそうと、アンダーグラウンド・シーンの中堅サイケデリック・ロック・バンド、ジョンズ・チルドレンに1967年の短期間ボランを加入させました。ジョンズ・チルドレンはボランをフィーチャーしたシングルを3枚出して反響を呼び、それまでライヴ・サーキットではすでに人気のあった当時18歳のボランはたちまちジョンズ・チルドレンの他のメンバーをしのぐ人気と注目を集め、そのためのちにはジョンズ・チルドレンは「ティラノザウルス・レックス以前にマーク・ボランが在籍していたバンド」と語り継がれるようになります。翌1968年にはボランと同年生まれの親友でライヴァル、デイヴィッド・ボウイもソロ・シンガーとしてデビューしましたが、ボウイよりさらにアンダーグラウンド・シーンでの成功を狙ったネピア=ベルとボランは、当時のロンドンのアンダーグラウンド・シーンの代表的存在だったフォーク・ロック・デュオ、インクレディブル・ストリング・バンドに倣い、パーカッション奏者のスティーヴ・ペレグリン・トゥック(1949~1980)と組んだアシッド・フォーク・デュオ、ティラノザウルス・レックスを始動させます。トゥックはアマチュア同然のメンバーでしたが、モッズ時代からさらにヒッピー色を強めていく当時のシーンでは存在感でもキャラクター的にも不可欠のパートナーでした。また、モッズ世代のボランによるティラノザウルス・レックスは中近東音楽的アシッド・フォークというサウンドでそれまでのモッズ系バンドとは一線を画してデビューしたと位置づけられ、「デボラ」もB面曲「チャイルド・スター」にもその特徴は明確に打ち出され、1年遅れで発売されたデビュー・アルバム『ティラノザウルス・レックス登場!!』はその年創刊された「ニューミュージック・マガジン」で主宰の中村とうよう氏に絶讚され、以降マーク・ボランはもっとも注目されるアーティストとして日本の批評家の支持を集めました。

 この調子で書いていくときりがありませんが、ティラノザウルス・レックスは1968年から1970年にかけて5枚のシングル、4枚のアルバムを出しました。シングル4・アルバム3を最後にスティーヴ・ペレグリン・トゥックは解雇され、シングル5・アルバム4からは後任のパーカッション奏者の座にはT.レックス時代までメンバーとなるミッキー・フィン(1947~2003)が就くことになります。

●Singles
1. Debora c/w Child Star (Regal Zonophone, A
pril 1968, UK#34)
2. One Inch Rock c/w Salamanda  Palaganda (Regal Zonophone, August 1968, UK#28)
3. Pewter Suitor c/w Warlord of the Royal Crocodiles (Regal Zonophone, January 1969, UK#--)
4. King of the Rumbling Spires c/w Do You Remember (Regal Zonophone, July 1969, UK#44)
5. By the Light of a Magical Moon c/w Find a Little Wood (Regal Zonophone, January 1970, UK#--)

●Albums
1.『ティラノザウルス・レックス登場!! (My People Were Fair and Had Sky in Their Hair... But Now They're Content to Wear Stars on Their Brows)』(Regal Zonophone, July 1968, UK#15)
2.『神秘の覇者 (Prophets, Seers & Sages: The Angels of the Ages)』(Regal Zonophone, October 1968, UK#--)
3.『ユニコーン (Unicorn)』(Regal Zonophone, May 1969, UK#12)
4.『ベアード・オブ・スターズ (A Beard of Stars)』(Regal Zonophone, March 1970, UK#21)

 今回はマーク・ボラン(ティラノザウルス・レックス~T.レックス)の作品群の概括になってしまったので、1作1作のシングル、アルバムについてはまたの機会に譲りたいと思います。ボランの本格的デビューになったのがティラノザウルス・レックスのデビュー・シングル「デボラ」で、この曲こそがT.レックスの絶頂期~後期まで一貫する、ボランの妖精的存在をすでに決定づけたものでした。ティラノザウルス~T.レックスにいたるまで、ボランの曲は永遠の青春を謳歌するロック少年の鼻歌のようなものでした。しかしそれはボランの盟友にしてライヴァルだったデイヴィッド・ボウイやブライアン・フェリー(ロキシー・ミュージック)からは聴けないもので、ボランを唯一無二のロッカーにしていたのです。それだけは疑えないことであり、時空を越えたボランの歌声の魅力です。