ボリス・ヴィアン、空想と不毛 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。


     
 フランス戦後文学の名作、「もっとも悲痛な恋愛小説」(レイモン・クノー)の青春小説『日々の泡 (うたかたの日々)』(1947年刊)で知られるボリス・ヴィアン(1920~1959)は、フランスにおける戦後文学者、生年で言えば安岡章太郎・吉行淳之介・遠藤周作ら「第三の新人」と同世代の作家です。ただし30代の遅咲きで完成したスタイルから認められた日本の「第三の新人」世代の作家と違い、39歳で早逝したヴィアンは生前ほとんど認められず、パリの文学サロンの軽薄才子としてむしろ奇異な眼で見られていた人でした。英語に堪能で翻訳家でもあったヴィアンの生前に最大(かつ唯一、書籍の平均発行部数3千部の時代に50万部の特大ヒット)のベストセラーになったのは、架空のアメリカ黒人兵作家ヴァーノン・サリヴァン作/ボリス・ヴィアン訳名義で刊行されたヴァイオレンス・ハードボイルド小説『墓に唾をかけろ』(1946年刊)で、近年は原題に忠実に『お前らの墓につばを吐いてやる』と改題・新訳されていますが、この旧邦題はフランスでの映画化が翌昭和35年1月に日本公開された時の邦題(『墓にツバをかけろ』)から取ったようです。『勝手にしやがれ』(原題「息がきれるぜ」、昭和35年3月日本公開)と同時期なので、主語も目的語も省略した意訳ですが、簡潔に強烈なムードが伝わる点ではいかにも映画的な旧邦題も捨てがたいと思います。
 ヴィアンはヴァーノン・サリヴァン作/ボリス・ヴィアン訳名義で長編4作、本名での文学作品を6長編書いていますが、故・伊東守男氏が中心になって編まれた早川書房の『ボリス・ヴィアン全集』全13巻(1978年~1982年刊)は装丁・造本も洒脱で、訳者の方々の熱意が伝わってくる素晴らしい画期的刊行でした。全集以前に翻訳刊行されていたのは新潮社からの『日々の泡』、白水社からの『心臓抜き』、早川書房からの『北京の秋』『墓に~』だけだったので、世界初のヴィアン全集の試み(現在はフランス本国でもっと精緻な全集がまとめられていますが)だったという早川書房版全集に愛着を持つ読者も多いでしょう。当時はフランス本国ですら発禁書『墓に~』は入手困難、と訳者あとがきにありました。早川書房版全集は短編集『人狼』、戯曲集『帝国の建設者』、詩集・歌詞集・エッセイ集『ぼくはくたばりたくない』こそ選集ですが、長編小説10作は完全収録しているので、今日なおその意義を失いません。

 没後のフランス本国でのヴィアンは'60年代後半、特に1968年の「五月革命」以降急速に人気が高まり、以降1970年代後半にはフランス本国で累計150万部を突破した人気作『日々の泡』が好き、という読者とヴィアン作品は全部好き、という読者に分かれるかもしれませんが、今思うとボリス・ヴィアンは、たぶんヴィアンなど読んだことのないリチャード・ブローティガン(1935~1984)に似ている気がします。『ビッグ・サーの南軍将軍』『西瓜糖の日々』などそっくりです。ブローティガンと類似を語られるカート・ヴォネガット(1922~2007)は全然ヴィアンと似ていないので、パリ的なサロン感覚とアメリカ西海岸的開放感が作風を大きく別けますが、意外と本質的な感覚は同じような気がします。

 引っ越しの際に久々に出てきた早川書房版全集を引っ張りだしてあちこち読み返しましたが、最初に『日々の泡(うたかたの日々)』『北京の秋』や『墓に椿をかけろ』を読んだ時から、ヴァーノン・サリヴァン偽名四部作と本名で出された文学作品が同じ作者の著作として違和感がないのは、どちらもユートピア小説だからではないかと思えます。ユートピアとは宗教的な意味での神はおらず、残虐なことも不条理なことも豊かな抒情も悲痛なこともひっくるめて面白い空想だけに満たされた世界で、その点『日々の泡』のパリも、『北京の秋』のエクゾポタミーも、『墓に~』のアメリカも、登場人物たちの悲喜こもごもも、ヴィアンの空想力にとっては同じ次元の空想力だけが生んだ世界です。ヴィアンのルーツはアルフレッド・ジャリ、師匠はレイモン・クノーですが、ジャリやクノーになくてヴィアンにあるのは薄っぺらであっけないほど生に隣した死の感覚が漂うことで、そこがブローティガンとの親近性を感じさせます。ヴィアンがセミプロのジャズマン(トランペット奏者)だったようにブローティガンも西海岸の伝説的サイケデリック・ロック・バンド、マッド・リヴァー(キャピトルからアルバム2作をリリース、2作とも'60年代末アメリカン・ロックの名盤ですが、まったく商業的成功を収めませんでした)のパトロンでした。ヴォネガットになくてブローティガンにあったのはやはり想像力のユートピア指向とあっけない生と隣り合わせの死へのオブセッションで、どちらも神なきユートピア小説の作家だったからか、やはりユートピア小説、ただし明確に敵対する神(カトリック社会)に反抗したサド公爵よりさらに空想力のみに徹底していて、フランス文学におけるヴィアンの位置と同様にアメリカ文学におけるブローティガンも孤立しています。ヴィアンの不幸な早逝もブローティガンの痛ましい自殺もそうした性格の作家ゆえの帰結に思え、またそうした作風だからこそ日本の読者に訴えかける力が強いように思えます。

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 ヴィアン全集は図書館で借りて刊行当時から熱心に読み、のち社会人(雑誌フリーライター風情が社会人と呼べるとすれば)となった20代半ばに古書店で全巻揃いを購入しましたが、さらに現在、あちこちを読み返すと、ヴィアンの想像力の働きにはかつて自由奔放と見えた分だけ、逆に疑問を抱かずにはいられませんでした。「人生に大切なことは二つだけ、可愛い女の子との恋愛とニューオリンズ・ジャズ~デューク・エリントンの音楽だけだ。その他のことは無視していい、醜いだけなのだから」とは『日々の泡(うたかたの日々)』の名高い序文からの一節ですが、早川書房版全集第1巻の処女長篇『アンダンの騒動』の解説は伊東守男氏による50ページ近いボリス・ヴィアン評伝に充てられ、30代始めでほぼ小説創作の筆を断ったヴィアンについて、伊東氏は、

「彼の作品は生の形のヴィアンが現れないかわりに登場人物すべてがヴィアンの分身とも言える」「彼の小説はナルシシズムの土壌に育った妖花だったのである。彼がその小説を可能としたようなナルシシズム的雰囲気と決別すると同時に作品をもはや書きたくなくなってしまったのである」

 と、的確かつ容赦なく分析しています。またナルシシズムから離れエッセイスト、劇作家、シャンソン作詞家に向かった30代のヴィアンについても、

「『働かざるもの食うべからず』のマルキシズムのマルクス、『働かなくてもたらふく食ってしまうぞ』のユートピア主義のヴィアン、(ここに思想家としてのヴィアンの不朽の功績がある。彼は、まさに未来の人間だったのだ)、五月革命の若者の中にはヴィアンのユートピアン・アナーキズムをとったものも少なくない。それ故にまた彼らは敗れ致さざるを得なかったのだ」

 と(マルクスが新約聖書のヨハネ書簡から取ったモットーは聖書解釈からは誤読であり、伊東氏はヴィアンとの対比のため意図的にマルキシズムを通俗化していますが)、伊東守男氏の行き届いたヴィアン評伝は10代や20代半ばの頃には素通りしてしまっていたのが痛感されます。そして、今ならヴィアン作品を成り立たせていた本質が理解できるような気がします。ボリス・ヴィアンはルイ・マルの映画『死刑台のエレベーター』(1958年)のサウンドトラックを録音したマイルス・デイヴィスのレコーディング現場ルポで「マイルスはスタジオで試写される映画を観ながら、完全に即興でサウンドトラックを演奏した」と書き、そのヴィアンの文章がサントラ盤のライナーノーツ(全集未収録)となったため長らくヴィアン証言が信じられていましたが(このライナーノーツはヴィアンのエッセイ中もっとも広く読まれた一文でしょう)、マイルス晩年の'80年代末の同アルバムのCD化に当たって倍以上の別テイクが発掘され、実は事前に全曲の作曲と入念なリハーサルが行われていた事実が明らかになりました。録音現場に立ち会った(セミプロとしてのジャズ・トランペット奏者活動経験もあった)ヴィアンがそれに気づかないはずはなく、いわばヴィアンのライナーノーツは「マイルスの録音はこうあってほしい」という良く言えば尊敬と敬愛のあまりの神話・神秘化、悪く言えば意図的なホラ話だったのです。この姿勢はヴィアンの創作小説から一貫していた態度です。そしてヴィアンがマイルス・デイヴィスに託してでっち上げた手品師のようなジャズマンの神話化は、入念に作曲されコツコツとリハーサルを重ねられた実際のミュージシャンの音楽創作の内情からは明らかに不毛です。
Miles Davis - Ascenseur pour l'échafaud (Fontana, 1958)

 ヴィアンは、アルフレッド・ジャリと並んでヴィアンがもっとも愛読していたというフランツ・カフカとは正反対の作家でした。ニコライ・ゴーゴリ、ドストエフスキー、カフカと並べてもいいでしょう。「大事なことは可愛い女の子とジャズだけ。他はどうでもいい、醜いんだから」。ヴィアンの空想小説は一見繊細、自由奔放に見えて、ヴィアンの望むことしか起きない世界です。ゴーゴリ、ドストエフスキー、カフカのように文学への疑いに立脚し、作者にとってすら未知の領域に踏みこむ、本質的な悪夢とは似て非なるものです。その点で文学に託した夢を信じたヴィアンの想像力は、文学も自分の創作の価値すらも信じず、じわじわと思いがけない死に侵食されたブローティガンの痛切さにすらおよびません。ヴィアンと似ているのはむしろ、現代日本最大の国民的作家となった村上春樹の諸作でしょう。村上春樹の小説は一見豊かな想像力に満ちているように見えますが、また村上春樹自身がドストエフスキー、夏目漱石、カフカへの傾倒を公言していますが(そしてその発言をあっさり信じこむ読者がいますが)、その大作の冒頭から結末まで満たしているのは、文学の効用を信じる作者によってあらかじめ望まれ、読者の期待通りに展開される、都合と辻褄合わせの快適な世界です。ゴーゴリや漱石やカフカのように未知の悪夢が不意打ちする想像力とは逆向きに、まさにヴィアンの宣言した「大事なことは可愛い女の子とジャズだけ。他はどうでもいい、醜いんだから」が充足したものが村上春樹の小説です。その意味ですでに日本文学界にあって孤立した頂点に上り詰めた村上春樹は、ヴィアンより巧みに資質と時流を一致させた、もっとも成功した作家でしょう。しかし成功した作家であることとその作品の不毛さは矛盾することなく併存し得ます。生前認められなかったボリス・ヴィアンは今や古典化していますし、デビュー作から愛読者を集めた村上春樹は川端康成、太宰治、三島由紀夫、安部公房、大江健三郎以上に国内的にも国際的にもかつて日本人作家の誰をも収めなかった成功を勝ち得ました。村上春樹は芥川龍之介のようにも、また太宰治のようにも、原民喜のようにも、加藤道夫のようにも(そして当然、三島のようにも、ブローティガンのようにも)自殺せず、年金を積み立てるようにキャリアを築いてきた作家です。そこに市民的な意味での否は一点もありません。しかしボリス・ヴィアンと村上春樹をほぼ同類の創作家と見ると、途端にどちらもつまらなくなる。--そのくらいは誰しもが留意していいことのように思えます。そして何もかもが作者の望み通りに進む村上春樹の小説の快適な退屈さは、やはり同じような特徴を持つ坂本龍一の音楽の退屈さと、見事に同時代的波長を合わせていたと思えます。池の鯉が撒かれた麩をわれ先にと殺到するように、ある種の小説家、映画監督、ミュージシャンの新作は爆発的な歓迎を受けます。生前認められなかったヴィアンはそうした成功からは無縁でしたが、ヴィアンの蒔いた種は現在ではスノビズムでしかありません。そうしたギャップの卒塔婆のように「ボリス・ヴィアン全集」は過去の亡霊として佇んでいます。今やボリス・ヴィアンとは、そういう存在、スノビズムを予感していた小説家と認知するしかないでしょう。ヴィアン自身には一点の否もないだけに、これは今日の読者の問題です。