ああ肉体は悲しい~マラルメ「海の微風」 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

Stéphane Mallarmé, 1842-1898

 海の微風
 ステファヌ・マラルメ

肉体は悲しい、ああ、そしてぼくはあらゆる本を読んだ。
逃れよう、どこか彼方へ!そして感じる、海原を渡る鳥の群れが
泡立つ未知の波打ちと、広がる天空のはざまで陶酔するさまを!
海の青さに染まったこの心は、何事にも引き留められはしない、
放心した目に映る歳月を経た庭園にも、
おお日々の夜よ!頑なに白い空白の紙を、
ランプが照らす不毛な灯りも、
幼な児に乳をふくませる若い妻の姿さえも。
船出しよう!マストを揺らす植民地行き蒸気船よ、
錨を上げて異国の自然へ向かえ!
無惨な希望に苦しめられた倦怠も、
なおも信じる、最後のハンカチの別れを!
だがしかし、おそらくマストは嵐を呼び、
突風がたちまち傾ける、難破船の人々を、そしてすでに
マストは跡形もなく、小鳥も人影も波に消える……
だが、おお、ぼくの心よ聴け、水夫たちの歌声を!
(原題"Brise marine", 1866年1~2月作、5月発表)

 19世紀フランスの象徴派詩人、ステフヌ・マラルメ(1842~1898)は生涯、公立中学校の英語教師を生業として送り、同人誌やアンソロジー類、また自費出版のパンフレットに作品発表しながら、翻訳以外の単著は56歳で没するまで選集『詩と散文』(1893年)しか生前刊行されませんでした。最晩年にマラルメ自身が決定版詩集として編み校正刷りまで進んでいた『ステファヌ・マラルメ詩集』は厳選の上で全50篇弱、マラルメ没後の翌年1899年にわずか150部限定で刊行され、詩集から洩れた生前発表詩篇を増補した1913年の普及版まで広い読者を得られませんでした。1913年の普及版詩集以降、最晩年に完成していたタイポグラフィを駆使した長詩「骰子一擲」(1914年刊行)、未完の長篇散文詩「イジチュール」(1925年刊行)とようやくマラルメへの本格的評価が始まり、1945年以降は著作集、全集の刊行が相次ぎ、『詩と散文』に一部が収められていた散文詩集・詩論集『逍遙編(ディヴァガシヨン)』や生前発表の詩論、未発表の詩論とともに膨大な未発表詩篇、膨大な書簡集がまとめられました。フランス本国ですら全貌が明らかになるまで没後50年あまりかかった詩人で、筑摩書房から刊行された全5巻の翻訳全集も第1回配本の1989年から完結巻刊行の2010年まで20年あまりかかっており、初回配本の5千円に対して20年後の完結巻では1万円を越えて、あまりに各巻刊行の遅延を来したために全5巻揃いは極端に入手困難となり、やはり筑摩書房からの『ネルヴァル全集』と並んで現在もっとも古書価の高い海外文学の個人全集(全巻揃い25万円前後!)となっています。

 ロマン主義から象徴主義への転換となったジェラール・ド・ネルヴァル(1808~1855)、シャルル・ボードレール(1821~1867)の影響下にあって、マラルメはポール・ヴェルレーヌ(1844~1896)、アルチュール・ランボー(1854~1891)と並んで早くから最大の象徴派詩人とされていました。ただし存命中に詩集刊行がされ、評価の定まるのも早かったヴェルレーヌやランボーに較べて、没後15年あまり普及版詩集の刊行がなく、しかも極端に寡作だったマラルメは作風の難解さも含めて長らく幻の詩人だったのです。先に拙訳(英訳を参照)を掲載した「海の微風 (Brise marine)」はマラルメ24歳の作品で、同人詩誌の特別号のアンソロジーに同時期の作品10篇がまとめて掲載された際に発表された、約170年前の作品です。のちの研究ではこの「海の微風」は何度か細かな箇所を改作されたのち、『詩と散文』と決定版詩集では初出の通りに戻されたことが確認されています。16行、構成は「幼な児に乳をふくませる若い妻の姿さえも」までの前半8行、「船出しよう!マストを揺らす蒸気船よ」からの8行が後半とはっきり分かれていますが、構成がはっきりわかるのは16行全篇を読み終えて、これが詩作に悩む詩人の内面を寓意的に語ったものだと気づいてからでしょう。前半8行は毎晩白紙とにらめっこする詩人の詩作への挫折感が暗喩によって語られ、後半8行は船出になぞらえて再び詩作に向かう詩人の高揚感から詩作の不毛性への不安(「だがしかし、おそらくマストは嵐を呼び」~「マストは跡形もなく、小鳥も人影も波に消える……」)の暗喩となり、最終行では「だが、おお私の心よ、聴け、水夫たちの歌声を!」とインスピレーションの確認によって締めくくられます。「海の微風(そよ風)」と言いながらこの海風は突然荒れて蒸気船(マラルメは英語で「steamer」と書いているので、植民地航路のイギリス船であることが暗示されています)を沈没させたりするので、この詩に描かれていることはすべてこの詩を書きつつあるマラルメ自身の心象風景です。マラルメ生涯の手法は詩による詩作へのメタフィクション的自己言及だったので、最後のタイポグラフィ長篇詩「骰子一擲」、青年時代から数十年をかけるも未完に終わった長篇散文詩「イジチュール」までその発想は一貫していました。これはマラルメ以外のフランスの19世紀詩人ではネルヴァルやロートレアモン伯爵ことイジドール・デュカス(1846~1870、長篇連作散文詩『マルドロールの歌』1869年)くらいにしか見られない発想で、20世紀の批評家にエクリチュール(書法)転換の先駆者として絶大な再評価を受けることになります。初めて頽廃そのものをテーマにしたボードレールにはカトリック出身ならではの反カトリック志向があり、それはヴェルレーヌやランボーにも受け継がれましたが、マラルメやロートレアモンの詩はすでに神のいない世界です。神秘主義者ネルヴァルの場合は狂おしい愛というテーマがありましたが、マラルメやロートレアモンにとって詩と詩作とは愛や悲しみなどの感情の表白ではなく、人生観でもなく、自然や生活の営みへの抒情でもなく、また奇想や機知でもなく、無から生まれて無に還るものとなっています。しかし小難しいことはさておいて、「肉体は悲しい、ああ、そしてぼくはあらゆる本を読んだ」とはこれほどキャッチーなつかみの1行(本などいくら読んでも肉体は満たされません)はないので、マラルメ詩集は「海の微風」のようなチャーミングな詩が満載です。詩作自体をテーマとしながら詩人ならぬ読者の実感にも刺さる肉体的な厚みがあること、想像力のダイナミズム(このたった16行の詩は前半8行で少なくとも4回、後半8行では5回、平均して2行ごとに1回もの視点転換が見られます)に富むこと、それがマラルメのし魅力です。この高名な「海の微風」は、その好サンプルとしてご紹介した次第です。