ザ・ゴールデン・カップス「銀色のグラス」(1967年/昭和42年11月) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ザ・ゴールデン・カップス - 銀色のグラス (東芝キャピトル, 1967)
ザ・ゴールデン・カップス - 銀色のグラス (作詞・橋本淳/作曲・村井邦彦/編曲・村井邦彦、ザ・ゴールデン・カップス) (東芝キャピトル, 1967) - 2:45 :  

Released by 東芝キャピトル CP-1011, November 15, 1968
Also Included the Album "ザ・ゴールデン・カップス・アルバム", 東芝キャピトル CP-8339, March 10, 1968
[ ザ・ゴールデン・カップス ]
デイヴ平尾 - lead vocal
エディ藩 - lead guitar, vocal
ケネス伊東 - guitar, vocal
ルイズルイス加部 - bass guitar
マモル・マヌー - drums, vocal 

ザ・ゴールデン・カップス - 銀色のグラス (TV Broadcast, early 1990's) :  


 横浜の生んだバンド、ザ・ゴールデン・カップスのシングル最高傑作と名高いのがこのセカンド・シングル「銀色のグラス」で、少々セッション・ミュージシャンによるオルガンが入っている以外はオリジナル・メンバー五人による壮絶な演奏が聴けます。カップスについては先に紹介記事を書きましたが、B面曲を除いては基本的に職業作家による提供曲をシングルA面にさせられていたカップスにあっても、この「銀色のグラス」はもっとも攻撃的な曲調で、かつバンド自身による編曲が前面に出た楽曲です。意表を突いたジャムセッション的イントロから一瞬ブレイクして、楽曲の本篇が始まりますが、本来ならスローバラード的な曲調が怒濤のアップテンポになって2分45秒を駆けぬける展開は啞然とする間もなく終わってしまいます。特にこの曲の主役となっているのは、ヤードバーズのポール・サミュエル=スミスに倣ったと言われるルイズルイス加部のドライヴィング・ベースで、リード・ギター並みに八分音符で疾走するベース・ラインは同時代の日本のロック・バンドでも類を見ないものでした。この曲はデビュー・アルバム『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』(東芝キャピトル, March 10, 1968)に収録されましたが、裏ジャケットではメンバー全員笑顔を浮かべているものの、表ジャケットでは全員がふてぶてしい表情で鋭い眼光で構えており、アイドル性の微塵もありません。スーツやミリタリー・ルック、統一したファッションの制服で決めた当時のグループ・サウンズとはまったく異質です。カップスは気乗りのしない歌謡曲調のシングル曲はジャズ畑からピアノに江草啓介、 ベースに江藤勲、ドラムスに石川晶を迎えたオケにギターとヴォーカルのみで参加していたと言われますが、この「銀色のグラス」はメンバー自身の演奏を前提に企画されたシングルでしょう。

 また当時22歳の新鋭作曲家・村井邦彦の作曲もカップスの奔放な解釈を許す自由度の高いもので、作詞の橋本淳はザ・ブルー・コメッツ、ザ・タイガースのシングルをほとんど担ってきたグループ・サウンズの代表的作詞家ですが、ブルー・コメッツやタイガースの曲でのヨーロッパ調のメルヘン的イメージではない、刹那的でアダルトな歌詞を提供しています。グループ・サウンズは何が恥ずかしいというと歌詞が恥ずかしい場合がほとんどで、橋本淳はその代表的な作詞家なのですが、カップスについては当時東京以上に垢抜けていた歓楽的都市「横浜」をイメージした歌詞を提供し、またカップスの演奏とヴォーカルも吐き捨てるような勢いのためにラヴソングでも苦みの方が勝っているのです。カップスはライヴでは当時最新の英米ロックの独自カヴァーのみしか演奏せず、職業作家から提供された日本語詞のシングル曲は一切演らないバンドとしても有名でしたが、リスナーに愛されているシングルの名曲も多いので、1970年代の一時的再結成、1990年代以降の一時的再結成以降、特にテレビ出演時にはシングル曲も披露することが増えました。1990年代初頭(?)のテレビ出演映像ではメンバー各自のとぼけた自己紹介に続いて「銀色のグラス」のライヴ映像を観ることができます。エディ藩、ミッキー吉野(セカンド・アルバムから加入)のお二人以外はすでに故人で、リーダーのデイヴ平尾氏逝去後すでにカップスとしての再結成は望めませんが、「グループ・サウンズ」をやっている気などさらさらなかったロック・バンド、ゴールデン・カップスの軌跡は今でも1968年のデビュー・アルバムから1971年のラスト・アルバムまで、四年間の7作(とオムニバス・ライヴ盤のLP片面)のアルバム、10枚のシングルでたどることができます。