エレクトリック・プルーンズ(1) 今夜は眠れない (Reprise, 1967) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

エレクトリック・プルーンズ - 今夜は眠れない (Reprise, 1967)
エレクトリック・プルーンズ The Electric Prunes - 今夜は眠れない The Electric Prunes (Reprise, 1967) :  

Released by Reprise Records R6248(Mono), RS6248(Stereo), April 1967 / Billboard#113
Produced by Dave Hassinger
All Songs Arranged by The Electric Prunes
(Side 1)
A1. 今夜は眠れない I Had Too Much To Dream (Last Night) (Annette Tucker, Nancie Mantz) - 2:55 / US#11, UK#49
A2. Bangles (J. Walsh) - 2:57
A3. Onie (Tucker, Mantz) - 2:43
A4. Are You Lovin' Me More (But Enjoying It Less) (Tucker, Mantz) - 2:21
A5. Train For Tomorrow (Spagnola, Williams, Tulin, Ritter, Lowe) - 3:00
A6. Sold For The Highest Bidder (Tucker, Mantz) - 2:16
(Side 2)
B1. Get Me To The World On Time (Jones, Mantz) - 2:30 / US#27
B2. About A Quarter To Nine (Dublin, Warren) - 2:07
B3. The King Is In The Counting House (Tucker, Mantz) - 2:00
B4. Luvin' (Tulin, Lowe) - 2:03
B5. Try Me On For Size (Tucker, Jones) - 2:19
B6. Tunerville Trolley (Tucker, Mantz) - 2:34
[ The Electric Prunes ]
James Lowe - lead vocals (expect A3, A4), autoharp, rhythm guitar, tambourine
Ken Williams - lead guitar
James "Weasel" Spagnola - rhythm guitar, backing and lead (A3, A4) vocals
Mark Tulin - bass guitar, piano, organ
Preston Ritter - drums, percussion 

(Original Reprise "The Electric Prunes" LP Liner Cover & Side 1 Label)
 デビュー・ヒット曲「I Had Too Much To Dream (Last Night)」の邦題「今夜は眠れない」をそのままアルバム邦題のタイトルにした本作は、ロサンゼルスで1965年に結成されたエレクトリック・プリューンズ(日本盤表記はプルーンズ)のアルバムではありますが、同時にプロデューサーのデイヴ(デイヴィッド)・ハッシンジャー(1927-2007)のアルバムでもあります。ハッシンジャーの1960年代後半の英米ロックへの貢献はきわめて大きく、それは65年~66年のローリング・ストーンズの録音エンジニア=実質的音楽プロデューサーだったことから始まりました。ハッシンジャーは1964年にロサンゼルスのRCAスタジオのレコーディング・エンジニアに就任し、テレビの音楽番組「T.A.M.I.ショー」の音楽監督やチップマンクス(リスのアニメーション・キャラクター)のアルバム『The Chipmunks Sing the Beatles Hits』のエンジニアを勤めていましたが、RCAのサム・クック作品で注目され、1965年1月にRCAスタジオで行われたシングル「The Last Time c/w Play With Fire」セッションで初めてストーンズのサウンド・エンジニアリングを手がけました。

 ストーンズの場合名義上のプロデューサーはマネジメント社長のアンドリュー・オールダムでしたが、'60年代のレコード産業ではプロデューサーとは映画プロデューサー同様制作総指揮を指して呼ばれ、今日音楽プロデューサーとされる役割はエンジニアが勤めていたのです(日本ではディレクターが音楽プロデューサーの役割でした)。このストーンズのNo.1シングルA/B面の暗く内向的・攻撃的なサウンドは、高い作曲力とアレンジ力によって安易な模倣と追従を許さないビートルズのサウンドよりも、同時代の新人バンドの身近な手本になりました。次にハッシンジャーが手がけたストーンズのシングルこそが5月録音の決定的な「Satisfaction」でした。9月には「Get Off My Cloud c/w As Tears Goes By」が録音され、12月からはシングル「19th Nervous Breakdown」、アルバム『Aftermath』1966.4に収録されるセッションで「Mother's Little Helper」や当時ロック最長の11分45秒のオリジナル・ブルース・ジャム曲「Goin' Home」が行われ、「Goin' Home」はラヴ(「Revelation」、メンバーは直接『Aftermath』セッションを見学しています)やザ・シーズ(「Up In Her Room」)、ドアーズ(「The End」)やグレイトフル・デッド(「Dark Star」)などの大曲指向に影響を与えることになります。1966年3月には『Aftermath』セッションの掉尾を飾る「Lady Jane」「Paint It, Black」が録音されます。次のストーンズの録音セッションは1966年9月で、シングル「Ruby Tuesday」「Let Spend The Night Together」やアルバム『Between The Buttons』1967.1に収められる曲が録音されますが、ストーンズはハッシンジャーのサウンド作りはすでに学び尽くしており、そのセッションからはロンドン録音に戻っています。

 ストーンズの「The Last Time」「Play With Fire」や「Satisfaction」「Paint It, Black」「Lady Jane」の実質的音楽プロデューサーを地元ロサンゼルス/サンフランシスコのバンドが放っておくわけはありません。主に1966年~1968年にかけてハッシンジャーをサウンド・エンジニアに迎えてアルバム制作をしたバンド/アーティストにはザ・シーズ、ジェファーソン・エアプレイン、ママス・アンド・パパス、グレイトフル・デッド、エルヴィス・プレスリー(RCAのアーティストです)、フランク・シナトラ(!)、モンキーズ、ラヴ、70年代に入るとクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、ジャクソン5、シールズ・アンド・クロフツ、ザ・ブラックバーズ、ザ・ドアーズがあります。ハッシンジャーは音楽プロデューサーとしてのサウンド・エンジニアでしたが、同時代のアメリカでは純粋に制作企画プロデューサーとしてのプロデューサーだったトム・ウィルソンとは対照的ながら、影の立役者として双璧をなす存在といえるでしょう。トム・ウィルソンのプロデュース作品(サイモン&ガーファンクルの「Sound of Silence」が典型的です)とハッシンジャーの手がけた作品に共通するダークなエコーの効いたサウンドは画期的なもので、ビートルズのプロデューサーとしてのステイタスで語られるジョージ・マーティンにもその功績は劣らないのです。ただしハッシンジャーはRCAスタジオの社員エンジニアだったので他社作品にプロデューサーとしてクレジットされるわけにはいかない事情がありました。ハッシンジャーがエンジニアを手がけた作品でも、プロデューサーとしてクレジットされたアルバムはエレクトリック・プリューンズの『The Electric Prunes』1967、『Underground』1967、『Mass in F Minor』1968、『Release of an Oath』1968、『Just Good Old Rock and Roll』1969とグレイトフル・デッドの『The Grateful Dead』1967、『Anthem of the Sun』1968しかありません。これはプリューンズとデッドがフランク・シナトラのリプリーズ・レーベルがデビューさせたバンドだったからで、特にプリューンズはハッシンジャーのプロデュースを前提にデビューしたバンドでした。ハッシンジャーが全曲を手がけたストーンズのアルバム『Aftermath』のアメリカ版を狙ったデビュー・アルバムなのはアルバム・ジャケットからも明らかです。

 プリューンズのデビュー・シングルのA1「今夜は眠れない」は「Satisfaction」風のファズ・ギターが「Paint It, Black」風フレーズを奏でるナンバーです。プリューンズはもともと作曲力もあり結束力も固い硬派の学生ガレージ・パンク・バンドで、アルバム制作のアレンジも自分たちで行いました。しかしリプリーズは彼らをヒット・バンドに仕立てるために外部ライター(主にAnnette TuckerとNancie Mantz共作、Annetteは女性名ですがNancieは男女両用なので性別不明です)の書き下ろし曲を演奏させます。日本のGSと同じような裏事情があったわけで、アルバムの出来は良くてもバンドは不満をつのらせていました。第2作『Underground』は半数のバンド自身のオリジナル曲を含み、デビュー作以上に荒々しい(Rawな)パワーに満ちた名盤になりましたが期待以上のヒット作にはならず、1965年~1966年のヤードバーズやプリティ・シングス、また先駆的なアメリカ本国のスタンデルズやシャドウズ・オブ・ザ・ナイトを優れて正統的に継ぐ、ガレージ・サウンドを本領としたバンドの方針は、1967年には微妙に旬を逃しており、最高のポップ・ロックと最新のサウンドを融合させ、さらにアイドル性にも富んだモンキーズにはとうていおよばず、尖鋭バンドとしてもジミ・ヘンドリックス、ザ・ドアーズ、ヴァニラ・ファッジらの革新性にほおよびませんでした。サード・アルバム『Mass in F Minor』では遂にプリューンズのバンド名商標権を持つプロデューサー&マネジメントのハッシンジャーのプロデュース留任だけで作・編曲家のデイヴ・アクセルロッドが召集したスタジオ・ミュージシャンがプリューンズの名義を引き継ぎ(旧プリューンズはヴォーカルとコーラスだけ参加)、本来のプリューンズのサイケデリック・ガレージ・パンク的サウンドから一転して、大ヒットしていたドアーズ~ヴァニラ・ファッジ風のアート・ロック化してしまいます。オリジナル・プリューンズは硬派で結束力が固かったゆえにきっぱりとリプリーズ/ハッシンジャーとは見切りをつけてしまいました。前記の通りプリューンズはさらに2枚(全5枚)のアルバムをリリースしますが、実態は3作目以降はスタジオ・ミュージシャンや他のバンドによるハッシンジャー/アクセルロッドのプロデュース作で、オリジナル・プリューンズはコーラス程度の参加にとどまり、バンドとして実体のあったのはオリジナル・メンバーによるデビュー・アルバムとセカンド・アルバム『Underground』だけなのです。1986年にイギリスで発売されたアナログ時代のベスト盤『Long Day's Flight』もファーストとセカンドだけから選んだアルバムで、1997年にバンド自身がリリースした発掘ライヴ『Stockholm '67』、2000年にやはりバンド自身が真のプリューンズ2作から選んだ『Lost Dreams』とともにバンド名商標権を取り戻したオリジナル・プリューンズは復活しました。2011年にベーシストのマーク・チューリンが亡くなりましたが、以後もスタジオ盤は『Artifact』2001、『California』2004、『Feedback』2006、『WaS』2014、ライヴ盤は『Return to Stockholm Live at Debaser 2004』2012、プリューンズの前身バンド時代の音源『The Sanctions / Jim and the Lords - Then Came the Electric Prunes』2000、DVD『Rewired』2002など、むしろ21世紀に入ってからの活動の方が活発なほどで、2014年には初来日もしています。ですがプリューンズといえばいつまでも「今夜は眠れない」が代表曲なわけで、ハッシンジャーのサウンドがプリューンズのイメージです。プロデューサーとバンドの関係について考えさせられる問題ですが、もうそれも50年以上前のヒット曲なのです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました)