幻の大正詩人・棚夏針手(7) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

『棚夏針手全集  上巻』池谷竜編
令和3年(2021年)6月1日刊
『棚夏針手全集  下巻』池谷竜編
令和3年(2021年)2021年9月1日
『棚夏針手詩集』鶴岡善久編
蜘蛛出版社・昭和55年(1980年)

 菊を聽く

菊の蜜蜂小舎の十五。
三光鳥(いかるが)の長き尾の圓錐母線に搖れ揺れて月の七ツ。

母指を透かし月の彼方に影は七ツの戀人の
象牙の蝶の夢と凝る北氷洋ぞ一面の木果(このみ)のみ。

綺羅美かに蜜蜂小舎をめぐるものゝ匂ひ砂に下り
三光鳥の胸毛赤く
透かし見る戀人が白桃色の指五ツ。

胸毛赤けれど三光鳥の唄の洩る終(つひ)の一日(ひとひ)
戀人の眉にかくれて流れねば
五ツ指、透かし見る月に數なく戀人はくずれおちぬ。

戀人よ、一日夜ありて夢むは何
あはれ我に入りて月に數なき汝(な)が美(ほ)しき五ツの指か
されど、砂に耳傾けて戀人はくずれおちぬ。

三光鳥の長き尾に引かれゆく月の音
夢の瞳は目爭(みひら)けり、見られ得る我にあらぬを。
月の音我を出づ。

(大正13年/1924年6月「青騎士・第十五號」)

 膣香水

黄いろい豚の
血まみれ仕事の截口(きりくち)へ粘土をぬつて
(むろ)へねかせた腦味噌で
踊り手の夫人(おくさん)
(くつした)の尽れ目に
白粉焦けをお防ぎ遊せ。

(大正13年/1924年10月「指紋・第一號」、大正12年秋未刊『棚夏針手詩集  薔薇の幽霊』収録予定詩篇)

 茶人

林檎の葉脈で編んだ繃帯で苺の目隱しをした、手持ち不沙汰な月の谺。

(大正13年/1924年10月「指紋・第一號」、大正12年秋未刊『棚夏針手詩集  薔薇の幽霊』収録予定詩篇)

 打つてよ

打つてよ、………………と云はせるためのこの力は男だ。
しかし私の肉體の中に超顕微鏡的な眠むらぬ妹のやうに置電氣(スタンド)が花盛りだ。
先刻(さつき)の赤いリボンをつけた幸福な悲鳴の黑人(ニグロ)には違はないが、
もう蝶がその羽を破らずに私の肉體の下のお前の素肌を歩るくことはむづかしい、
息苦しくふやけきつた肉體同士だ。
打つてよ、………………まだ殘つてゐる何と云ふデリカな愛くるしさ、
お前の心臓が肩越しにキリストの頭をもつた光の中のマリヤの後姿とは何うしても見えまいが。

(大正13年/1924年10月「指紋・第一號」)

 Kiss Book

斜に氣取つた唾の常習犯の惜しげもない光の√3が
お前のきやしやな踵(すあし)を賭けた
U.S.A.$29,000の小切手への
他愛ない極くくだけた庇いやう。

彼方此方(あつちこつち)の口移しの物云ひたげな遠い天國。

この黄色な鏡も砂糖を塗って置かねば邪介な代物です。

秋波(よこめ)の梨の果(み)の戀人の出し忘れた紅葉が、
延びをする麝香猫の耳へ飛び込む
薔薇の葩の上で、

眉の零れる肉體の髪の毛で洟(はな)をかめば----

月も唾をしたものか、

お前の長い腰布(スカート)に初心(うぶき)な若い燕の匂。

それでお前も大部格好が取れて來やうだ。

(大正15年/1926年2月「謝肉祭・第一號」、大正12年秋未刊『棚夏針手詩集  薔薇の幽霊』収録予定詩篇)

 自炊
  ----みつくかしいにたなぞこをふれて----

これが一枚の余白であつたと云ふ前に
魂の上の木耳母(きくらげ)に月光が沁みてゐた。

飛んだお寢尿(ねしよ)の匂ひを知りそめたもの…………
月見草の雌蕊(めしべ)はたまさかの煙りを上げる水銀の紙魚(しみ)であつた。

こんな枯野の眞中に月光に蒸された憚りがあらうとは誰が知り得やう?
(なみだ)に靑いノツクのやうなそのせつない黄昏の葉脈と同じやうに。

これが奥深かいたつた一つの蟲喰穴であつたと云ふ前に
魂の上の木耳母を黄金(きん)の鎖がきり\/と締めつけてゐた。

(大正15年/1926年2月「謝肉祭・第一號」)

 白き酩酊
  ----或る祝福と恩惠と釈明と謝涜の仰角----

老來(をいらく)の多幸な黄金の象徴ではあるまいか、
それも黄金の落雁に碧空となつた金粉の障子に見える棕櫚の葉の風だ。
遠見のそれが何であらうかと云ふまへに
妻よ、白き酩酊に惠まれて戀の日を思い出さう。

近優る二月廿九日の黎明に
私は軈て知るべき雨さへも知らなかつた頃を思ふ。
三月(やよい)の風のやうに弄る砂金の快さをさへ
いまお前の掌にはつきりと意識してゐるのだ。

アートペーパーのやうに光沢やかな私は十九の若人になつてしまつた。
白光りな話、
夢見勝ちな話、
海の音を聽いてゐるやうに眼細めて
拡大されてゆく處に市の破片(かけら)を拾つたものだ。

パステルのやうに煙つた唇の巡禮はどうだつたらう。

月が出て思ひ出を薔薇にする木犀の林に幾日かをさ迷ひ續け禱り果て、取りのこされた周りなき央(もなか)を初めて知つたから
 (あゝ今頃はあの砂上の足跡ですら海の水が碧空になつてゐたかも知れない)
そして私は光の寢棺の白を見出し
私を知る事に依つて自らを救はうとした。

遠音の猟は終へはしまい、
必ずぞ、光は光をなくして、丘の上の教會で私の悔ひを新しい猟衣にする事を躊ふまい。

近優る二月廿九日の黎明のこの白き酩酊、
この酩酊の猟衣のおほらかに且つ身輕ろきを妻よ惠まれん事を躊らうではないか。

水平は地平となり凡てを容れて凡てを發光する象徴となる。
私は靜觀となり、願ひとなり、懺悔となる。
唇の觸れる處に宗教を感じ、
胸の觸れる處に祭禮(まつり)を脈悸ち、
いざ、相凭る處に有らゆる光を醸さうため。

(大正15年/1926年3月「謝肉祭・第二號」)

 鏡と蠟燭の間隔

腰から上の白い花粉、
腰から下の白い花粉、
白い花粉を肌ぬぐ白い花粉
まだ絶え間ない頓狂な白い花粉に
抹殺されやうとしてゐる臺内名處。

(大正15年/1926年3月「謝肉祭・第二號」)

 大正10年代から昭和初頭に約30篇の詩篇を詩誌投稿・同人誌発表した東京の詩人、棚夏針手についてはこれまでの6回で、デビュー年の大正11年(1922年)発表の5篇から、大正12年(1923年)に関東大震災直前の8月まで発表された11篇をご紹介しました。本名・田中眞寿こと筆名・棚夏針手(1902-消息・没年不詳)については残された詩誌・同人誌でわずかに経歴が判明しているにすぎません。大正11年1月に与謝野鉄幹・北原白秋主宰の詩誌「明星」への「地震の夜」、次いで5月に三木露風・西條八十主宰の詩誌「白孔雀」への「午餐と音楽」投稿詩でデビューした棚夏針手は同年6月には投稿詩仲間の高鍬侊佑(1902?-1922)らと創刊した同人誌「瑯玕」に参加、「瑯玕」は高鍬侊佑の結核による夭逝(大正11年8月)で同年12月の第四号(「高鍬侊佑追悼號」)で終刊しますが、棚夏針手を含む「瑯玕」の同人たちは新たな同人誌「君と僕」を創刊します。棚夏針手が高鍬侊佑が逝去直前に自費出版した唯一の詩集『月に開く窻』(大正11年8月刊)に刺戟されて詩集構想を抱いたのは「君と僕」創刊時からだったと思われ、大正12年3月には交流のあった名古屋の同人誌「青騎士・第六號」に寄稿した散文詩「燃上がる彼女の踊り」で題辞に「詩集薔薇の幽靈の一部」と記され、初めて詩集のタイトルが予告されます。詩集中最大の長篇詩「抜錨の氾濫」と詩集序詞「薔薇の幽靈の詞」、詩集の近刊広告「雜艸(詩集薔薇の幽靈目次)」は「君と僕・第五號」(大正12年8月発行)に同時掲載されましたが、同年9月1日の関東大震災で晩秋には刊行が予定されていた詩集『薔薇の幽靈』も未刊に終わってしまうとともに、同人誌「君と僕」も廃刊になってしまいます。棚夏針手は震災にあって一命を取りとめたものの、翌大正13年(1924年)以降は交友のあった名古屋の同人誌「青騎士」、首都復興以後はやはり交友のあった同人詩人たちの「近代風景」「オルフェオン」に寄稿しますが、新作は年々減少し、大正12年までの生彩も失われていく一方で、昭和4年(1929年)の新作を最後に消息を断ってしまいます。

 今回ご紹介したのは関東大震災後10か月にようやく発表が再開された後の棚夏針手の詩篇で、「菊を聽く」は名古屋の同人誌「青騎士・第十五號(井口焦花追悼號)」に発表されました。井口焦花(明治29年/1896年11月10日生~大正13年/1924年4月18日病没、享年満27歳5か月)は春山行夫(1902-1994)、近藤東(1904-1988)とともに「青騎士」の中心詩人だった詩人で、生前未刊の詩集『墜ちたる天人』『白い蜘蛛』を集成した『井口焦花詩集』は昭和4年(1929年)に春山行夫、金子光晴、佐藤一英らによって編集・刊行されました。井口焦花、また高鍬侊佑、高鍬侊佑がもっとも愛読した詩集『奥ゆかしき玫瑰花』の長谷川弘(1898-1920)や、昭和2年(1927年)~昭和4年(1929年)の短い間に日本の初期シュルレアリスム運動に参加し、後年は小説を志すも戦死した幻の詩人・山田一彦(1908-1944)らの全遺稿は、『棚夏針手全集』同様、気鋭の現代詩史研究者・池谷竜氏によって全集にまとめられています。

 棚夏針手が久々の新作を寄せた大正13年6月の「青騎士・第十五號」は「井口焦花追悼號」として終刊號となり、次に棚夏が「膣香水」「茶人」「打つてよ」を寄せたのは「青騎士」の後継誌として春山行夫が創刊した同人誌「指紋」でした。うち「膣香水」「茶人」は詩集『薔薇の幽靈』収録予定作ながら未発表となっていた、大正12年8月以前に書かれたと推測される旧作で、「打つてよ」だけが新作、または詩集未収録予定作ながら未発表の旧作です。大正14年(1925年)には作品発表がなく、大正15年(1926年)に春山行夫が「指紋」の後継誌として創刊した「謝肉祭」第一号(2月)発表の「Kiss Book」「自炊」、第二号(3月)発表の「白き酩酊」「鏡と蠟燭の間隔」が棚夏針手が大正年間中に発表した最後の詩篇になりました。「Kiss Book」は詩集『薔薇の幽靈』収録予定作の旧作ですが、前記の「膣香水」「茶人」とともに詩集『薔薇の幽靈』収録予定作としてはもっとも貧弱な詩篇で、関東大震災後の発表作は詩集『薔薇の幽靈』収録予定作を含めてなべて低調、かろうじて『薔薇の幽靈』収録予定作ではない「白き酩酊」が詩集『薔薇の幽靈』のモチーフのひとつである「二月廿九日」を詠みこんで唯一の佳作になっています。やはり詩集収録予定作ではない「菊を聽く」がそれに次ぎますが、数詞の多用が西條八十を思わせ、「打つてよ」「自炊」も推敲前の習作、「鏡と蠟燭の間隔」は棚夏針手らしくない断片的モダニズム詩の習作で、詩集『薔薇の幽靈』収録予定の未発表作3篇も一行詩「茶人」は詩集内のアクセント的断章としても、「膣香水」「Kiss Book」は「自炊」同様いかにも軽い艶笑を狙った品格の低い詩篇です。詩集構想が芽ばえてから書かれた大正12年の傑作「不毛」「女王」「燃上がる彼女の踊り」「嘘」「黑支那麥の婦人帽の内部」「抜錨の氾濫」「薔薇の幽靈の詞」など詩集『薔薇の幽靈』収録予定詩篇、詩集収録未定とされながら十分に詩集収録の水準に達していた「枝」「谺」(この2篇は改題改作されて詩集収録を予定された可能性があります)の高い水準とは同一詩人の作とは思えないほど大正13年発表の4篇・大正15年発表の4篇の計8篇は低調で、詩集構想とは別にの葉中百合太名義で大正12年3月の「君と僕・第三號」に発表されたオーソドックスな2篇「黄金のSONNET」「秘密」よりもさらに大正初期の風潮まで時代を逆行した感覚を感じずにはいられない、見劣りする詩篇ばかりです。棚夏針手は昭和2年(1927年)には筆名を田中新珠と変え、詩誌「近代風景」に6篇(6月に4篇、12月に2篇)を発表しますが、いずれも2行~6行の短詩ばかりで、作風も「鏡と蠟燭の間隔」よりさらにあっけない習作的モダニズム詩ばかりになってしまいます。棚夏針手最後の詩誌発表詩篇は昭和4年(1929年)6月に「オルフェオン」に発表された「海の驛」で、同作は詩集『薔薇の幽靈』収録予定詩篇でしたが、「膣香水」「茶人」「Kiss Book」と同様に詩集収録予定詩篇としては生彩に欠ける短詩です。しかし一人の詩人の全集で全詩篇を読むということは失敗作や凡作も含めてその詩歴全体をたどることであり、約30篇しか発表詩篇を残さなかった同人誌詩人、棚夏針手のような詩人についてはなおさら一篇一篇が重みを持ちます。次回は昭和期に入ってから発表された詩篇をまとめてご紹介しますが、棚夏針手の詩歴は実質的には今回の大正13年、大正15年発表作でその可能性を尽くし切ったと言うべきでしょう。

池田竜・編著作目録

『雄鶏とアルルカン: ジャン・コクトーの音楽小論』2019年10月17日
『不死者の不幸: ポール・エリュアール詩画集』2020年11月18日
『愛の紋章: ポール・エリュアール中期詩選集』2021年5月1日
『棚夏針手全集  上巻』2021年6月1日
『山田一彦全集』2021年8月15日
『棚夏針手全集  下巻』2021年9月1日
『吉田眞之助全集 上巻』2021日9月12日
『井口蕉花全集』2021年11月17日
『長谷川弘詩集』2022年6月21日
『高鍬侊佑全集』2022年8月10日
『北村初雄詩集 上巻』2022年10月12日
『北村初雄詩集 下巻』2022年12月2日
『北村初雄詩集 補巻』2022年12月2日
『大手拓次詩集 上巻』2023年4月18日