幻の大正詩人・棚夏針手(6) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

『棚夏針手全集  上巻』池谷竜編
令和3年(2021年)6月1日刊
『棚夏針手全集  下巻』池谷竜編
令和3年(2021年)2021年9月1日
『棚夏針手詩集』鶴岡善久編
蜘蛛出版社・昭和55年(1980年)

 薔薇の幽靈の詞 --序文

これは花粉色の絶筆の集である。
「今」の二月廿九日である。そして又、
「明日」の二月廿九日である。
私であるお前達の薔薇の幽靈であるモノタイプなのだ。

私は懇願した招待は嫌いだ。
これは私自身のための招待だ。
私はこの招待を衷心から寿つて呉れる數人に限つて、
嬉んでこゝにある幾個かの快い椅子を使用して欲しいと依頼したい。
私の範圍にゐる數人は嬰兒の背後から偶然の催芽が神の平均を失はせる「眞」を、私は怕らく知つて居やうから。
私はこの優れ行く盛花を禁斷したくないのだ。

私は恒に背後にゐる女(ひと)の像に亂祝であることを悲しむ。

けれど、
私は彼女のために斯うして何時ともなく創てられた
「巨なるソロモンの櫃」の五穀の一握を、
一指づゝ掌に啓いて行くことをゆえなく怕れる。

私は誰呼する。

私はこの手に
「明日」の二月廿九日の君臨を知つて居る神々の、
私であるお前達の、
EX. VOTOを支へ終はせたい、
私はアルチユール・ランボーの徑に死んだ若い商人であるが。

これが私である薔薇の幽靈だ。

読者よ、私は直裁に申します。
(すべて)、常識を以て認識して欲しいと。

 1923.5.19

(大正12年/1923年8月「君と僕・第五號」、大正12年秋未刊『棚夏針手詩集  薔薇の幽霊』収録予定序詩)

 抜錨の氾濫
 --ソロモンの櫃の邪瞑症的潜在優性學--
 (子は父の長子にて母の三男なりしが額(ぬか)に木こそ生ふれば、
 哀れしも木のなきに慕へる泉の妹(いも)が皺疊(しわた)める瑠璃概念に像(すがた)をかさん。)

垂れかゝる流行(はやり)好きな薔薇の羞恥部が入浴を慰(あや)す笹橡(レース)のやうに腋臭して
アレキサンドリヤの神の鑷(けぬき)を盛裝とともに佇(たゝ)せやと思春期の乳房を矯めると、
石刀柏(アスパラガス)色の背光を抓つたあとに天(そら)の雌蕋(めしべ)へ落ちたやうな風穴の身輕な水先案内(ピロツト)

アキムボウの掌は靑麥のやうな薔薇の名刺(カルト)の麗葉(コリウス)の朱(あか)に疲れて
跚蹣(よろよろ)と日向を零す海松(みる)色の耳朶が水先案内の胸のデアナに觸れる黄金(きん)の雪。

鈴蘭の基督達の嚴肅な酩酊の光る笑に、
處女(をとめ)の臍のやうな地平線の白い手首の赤い九ツの塔を持つ菌(きのこ)のやうなここは愛の巢。
旅商人(あきんど)の馬車の母衣には西藏(ちべつと)の煙草の束が亂れてその中の昨日の螢が病んで居る。

白鳥(しらとり)の溫味(ぬくみ)に溢(かゝ)るレダの睫のやうに
彼女の肌に長くから着けならされた碧玉(サフアイヤ)のやうな蔓を持つ薔薇の羞恥部の快美女性(によせい)
その尖で桃色の育つ涙を鸚鵡の逃げた庭は知らない。

音樂たり獲し指揮者のやうな水先案内は涙の中。

スペクトルの胎動を鞭に移して、
舎替(やどが)への蜜蜂のやうに病眞珠の房(へや)の黄金の擺子(ふりこ)のやうな象牙を磨く微笑(ほゝえみ)に醸される光と汁の葡萄園。

高貴なる滲透作用保持者たる薔薇の羞恥部にそれ等紅玉(ルビー)の再生を委ねらりやうか。

編まれ行く黄金の靴紐の遙か焰と風の林檎の毛竝で傾ぎ白明(びやくめい)の毛織で葺いた屋根裏の傷つく夕陽色の苗床に、
曉と朝日のひまの海峡の烟を持つた桶湯の雪である黄金雪割草(スノードロツプ)

涙を蔽(くる)む指紋の中の後手をした喬木は
窻の嬰児(みどりご)が獸を羨望する季(とき)の禽(ことり)のやうな五月と黄金の甲蟲の絨襖(かもぶすま)を木葉のやうに愛撫して、
薔薇の羞恥部の小徑のやうな花粉の糸で敷物(カーペツト)に日向を繍す。

おゝ、ラフアヱロの唇(くち)。紅玉(ルビー)は靈感(インスピレーシヨン)の色。

木苺の微風は野の鍵盤(キイ)の來竹桃色の匂を伸び縮ませ、
酒に重なる歳月を光とし、西藏の煙草の鹽田に
白い彼女の腕のやうな煙の梯子と香膏(あぶら)とで網を練る。

泉に映る胸のやうに皺疊んで薔薇の羞恥部に甘饒(かんぎよう)の星を充たす早春(はる)に似たジヤズの桃の果よ。

回想の指紋を濡らす喬木の猩々緋の賓客に
紅鰯のくわへ來つた靑麥が向日葵のやうに零れて鋼の天使の遊びに庭を啓き、
傳統が祖國なる光の泥濘(ぬかるみ)に鶴の毛の日傘を運び、
扁平な饒舌に二十日鼠の春を祝ふ睡るべき赤い帆を聽いて居る木洞(うろ)の中なるコカイン黄昏(こうこん)曲。

頽れ行く處女、佛蘭西菊(マガレツト)、鋼の天使の耳欹(た)てる翼(はね)の階(きざはし)
暮れては手袋(てぎぬ)し亦探るアレキサンドリヤの神の鑷よ。
如何に譲るべき紅玉(ルビー)の舌の夢であらうか。

薔薇の羞恥部は美湾の傾斜で天(そら)くの不在なる接吻の庭を持つてゐる。
展き、搖らぐ、花粉の中なる午前と午后との夏である。
そこで擢のやうに煌めくリエーゾンに甜められる瞳が翡翠を鏤めた葩(はなびら)型の艇(ふね)になり柵に溢れて、
薔薇の羞恥部の花底の盲いた唄の氣泡が、
海の母音が、
潜々(きぬぎぬ)と話掛ける『征箭への食指のブロンドの戯れ』。

芝生(ローン)を跳ねる水先案内のカラーとカフスの海の光が酩酊(よ)つて居る。
もう古(むかし)ながらの月の臍なる朦朧な香瓜(メロン)色の野の鍵盤(キイ)に水先案内の靴が輕い。

片言ばかりの積木の切れ切れな營みを紡ぐ晴れやかな不知火色の靨が海の署名(サイン)で明るく、
夢の斷層に築かれて大理石(なめいし)の蹠が鳴つて居るのか。

おゝ、又しても玻璃樹の切株の王座に踏みかけて淫靡な綠に霑(うる)む箴言と豫言の間色に赤らむだ紅玉(ルビー)の女胎に、
足輪と燃ゆる夜半の黎明の流れの薄明から
華やかな牧神(パアン)の『無心な石の正客』と招ぜられ、
(すがた)、自ら支えきれぬ發光體そのものの靉靆(たなびき)であつた。

額椽も劇場双眼(オペラグラス)も冬の喪衣の蒼い黑子と雁羽(かりがね)色の落葉に饐える福人(マスコツト)

灯の歸宅の『劃(くわく)』に刻まれた前額(ひたひ)の皺が睡りかゝる腦髄の重さに浮き上がる銀の鱒。
消えて行く水脈(みを)に氓んで
窻の中道程に導者を逐ふた嬰児(みどりご)の像であつた故から。

麝香蓮理草(スヰートピー)の小栗鼠に埋れて
清水のやうにちろ\/月長石(ムーンストーン)の釋迦の齒型を忘れない過剰する乳房のやうに
靜がで小さい三月を源の筏の光と簪(かざ)す私窩兒(じごく)の肩の牛舌蘭の星色古代金貨の神の浮彫(うきぼり)が摩滅して、
猫毛(びようもう)の脂(やに)に光る瞑目の繭が黄いろく、葩の裳引く月の羂(わな)から風色の黑い花粉。

淋しい王者の色で反射する樹身の春の鈍銀(にぶぎん)にくすぼれる薔薇の空烓(そらだき)
受け色む搏(う)ち悸つ光。
土へと孵る鎧扉の影の零の晴天の好意が凋み、
未明(あけ)の手跡は奥ゆかしい水埃の中の四ツ辻に音たてる灯の下の匂料理の儀式のやうに
葡萄酒煮色の盲貫による瑪瑙の空腹に風を胤を嗜む殉情の沙洲の異服遊牧民。

膽めくる幽靈船の驢馬の負ふ亂婚の螺鈿(らでん)の旋毛(つむじ)、孔雀色鳥羽地(ジヨリイ)白骨標市(ロヂア)

靉靆(たなびき)は潜(しの)び、像(すがた)は鎧ひ。
麝香蓮理草(スヰートピー)に潰えた月長石(ムーンストーン)の乳房の醍醐味含有の甘美な十二の黄金(きん)の泉なる、
白鹿の双角(つの)を薔薇と指組む跪拜の脛に脈搏は石のボンペイ古墳燐光十三時。

山を鞭撻つプリムラの橈(たわゝ)な徑は萃やかな牧神(パアン)の角に緋百合を碧空(そら)へつらうとする赤牛の髪と搖れ、
驚きは圓(つぶ)らかな處女を盗む。

赤道祭の未亡人、嬰兒よ、切株の玻璃樹に沈む『孵化』の展墓の傾かざる黄金の索(つな)。火の琢く青銅の夜帽(ナイトキヤツプ)よ、ことごとく果(このみ)と疲れて、
遠い泉で肩の淋しい天馬を抱く紫水晶(アメジスト)襟飾(ネクタイ)の知られざる神の所有者。
その黑眞珠は枝々に浴みする凡てのものと均しく
輪廻戯童(わまはし)の爽やかな音にトパアズの鮮やかな影の腹から黑蜻蛉と陥ちた砂の果のやうに、
雪花石膏(アラバスタ)の正午(ひる)で火(ひ)き生後九十九日目の嬰兒の視力とこだまする。

隱しきれぬ黄扇紙のミージアムのやうな肉の重い鳥が笑ふ。その遊絲のやうにすくと延び、睫(あぶらぎ)る鶴に似た腓(こむ)の側壓(ちから)。強ゆる南風の花粉の腮。

只管に日夜を甘じる睫なれば紫金と爛熟と化膿との蚯蚓に委ね
更に形而上學的肉體の雪解と烟る。

それは新墾なる阿片纏足の半箇體黄卵内分泌の碧を好く彼女の跨ぎである。

虎耳草(ゆきのした)の上の桃の果のやうに齬(は)に沿うて限りなく生まれつつ傷く鹹(しほ)の白さの硬い女髪(かみのけ)の味、捲齒(まきば)色女胎假面。
果皮を持つ蜂蜜の海市(まち)
(かけがね)の二毛の處女が帆と撫でる徐ろな流動氷結の智慧を炒る曾孫(おほまご)の扉は、
最早季(とき)を得、半面黑像(シルベツト)の歔欷をものして、
巨岩なるボンペイ古墳燐光十三時に明らむ新月に軋音(きしみね)をする。

死んだやうに酩酊(よ)つて居る求道(くどう)園。
未知の塔、地下三尺の焰を懐く佛蘭西菊(マガレツト)
蔓珠沙萃(ひがんばな)色に埋れんとする鹹湖(うみ)に秘(かく)れた月の躍りの燠(おき)を持つ石兒(こ)の風を得て得た風を光り溯るマホメツト女教徒の中古傳説(レヂエンド)

梟は巨多な羽毛の有ゆる耳を瞬き彼の像(すがた)の光を保たんとその固定權威に露天市場の錆びた足暖爐(あしだい)の乾熱器(クエン)を感じて、
女胎なる薔薇の羞恥部に石絨(いしわた)色の肥起(ひだ)たんとするものを、
曾孫の扉の新月にする軋音のやうに、
鳴つて居る大理石(なめいし)の蹠のやうに咀吼(まじな)つて居る、
それは蟾蜍(ひき)の頭の中にあると云ふ毒寶玉のやうに鈍く蒼白めた風穴の保護色は瞳の盃を領して拗者(すねもの)の邪瞑を配り、
遠く無限の『逃水』はチルスのやうな空しい糧と洋(ひろ)がつて古奇なる飜譯(とき)紙の随所に水の光の貝の葉を未埋屍(なきがら)の女胎假面の翡翠短檠の榮光(はえ)と拉し去り、
死の婚姻の認識の倍音と待つて居る。

良導體麝香箪笥に翅搏(はばた)く鰭のもの。

投げ込まれた昨日の花束が大喇叭(ヘリコン)の白氣帯び浮漾する破壊細胞を船腹の寡默と蒔いた之等瑪利亞(マリア)の什器。

要は水化した古風な天蓋の遍照光に培はれ昏々の微風に生きて煙もない陸離たる十字架の星。

シクラメンの狂態と風かげの夜氣に縺れて鋼の天使の階(きざ)を踏む髑髏(ゴルゴタ)丘の北叟笑、白髯の野外劇(ページエント)の沈香の無形の齊(まつり)、南を北の渡鳥の海面(うみづら)が白壁の焰を傳ふ蒼白めと、
獨語する魚のやうに掌の神と獸の二重(ふたへ)の窻を支へて居る佛蘭西刺繍。
その周角一八六度の九ツの俛れ。

駘蕩な紋羅匂布の布目を感じて居る箴言と豫言の間色の紅らんだ女胎の手水の催芽部に度し難い九月の帝王(みかど)雀。

外景の流れを思ひ出す忘忽草のやうに山羊の瞳と肛門のない老人の吊す天蓋の涓(したた)りは蚯蚓の性(さが)で皮膚に喰入る扈從である。

おゝ、夏であり無聊である雁の天國よ。

光りつつ像(すがた)は四壁の唇(くち)の小康に耳もて愛人の乳房を慕ひ眉の林の肉體に桃の摩擦を、
(うるほ)しい乾燥堆の彼所(かしこ)に『觀念』その物の海幸と無果花の時劫を墨守し月と共に肥る彼女のカルノタイト。

歸らざる樓ある船の碧空の庭。蔓を持つ金曜日の薔薇の羞恥部。

『通商』は木葉の海鳴りで腰圍に快い像の戯れに塗靴(くつ)を脱ぎ九ツの俛れに扮裝を撮つて、
果皮を持つ蜂蜜を月の出に群る孔雀と傾け涓らし、
風見のやうに呼びかけて凭れかゝる君臨の指先に滿願の黑と耽つて、
一八六度の周角に無數なる本全の紅らみ行く受胎のやうな劇增の翔りを矯めつゝも過剰する乳房のやうに忌(いな)みつゝ哺(の)んで居る夜の金的。

天鵞絨の弓術は暗い。

 1923.1--1923.4

(大正12年/1923年8月「君と僕・第五號」、大正12年秋未刊『棚夏針手詩集  薔薇の幽霊』収録予定詩篇)

 雜艸  (詩集  薔薇の幽靈  目次)

「ネビユラ」に於ける五篇は中古。
「碧空をたゝく」は親友、高鍬侊佑、妹節子(さだこ)の死に贐けの五篇。
「薔薇の幽靈」の五篇はやや上古に於ける作。
「明日の二月廿九日」は極めて最近の日の五篇。
「抜錨の氾濫」は余が尊き優生學である。
 樣に大別して見た。集外の作はいづれまとめることにする。

(大正12年/1923年8月「君と僕・第五號」、『棚夏針手詩集  薔薇の幽霊』近刊予告広告)

 大正後期から約5年間に約30篇の作品を残した東京の同人誌詩人、本名・田中眞寿こと筆名・棚夏針手(1902-消息・没年不詳)についてはこれまでの回で、わずかに判明している経歴をご紹介してきました。今回ご紹介した長篇詩「抜錨の氾濫」、また大正12年(1923年)秋に刊行予定だった第一詩集『薔薇の幽靈』の序文をなす序詩「薔薇の幽靈の詞」、また詩集の近刊予告「雜艸  (詩集  薔薇の幽靈  目次)」は、棚夏針手が創刊同人となって発行されていた同人誌「君と僕・第五號」(大正12年8月発行)に同時掲載されましたが、同年9月1日の関東大震災で詩集『薔薇の幽靈』も未刊に終わってしまうとともに、同人誌「君と僕」も廃刊になってしまいます。棚夏針手は震災にあって一命を取りとめたものの、翌大正13年(1924年)以降は交友のあった名古屋の同人誌「青騎士」、首都復興以後はやはり交友のあった同人詩人たちの「近代風景」「オルフェオン」に寄稿しますが、新作は年々減少し、大正12年までの生彩も失われていく一方で、昭和4年(1929年)の新作を最後に消息を断ってしまいます。

 今回ご紹介した詩集序詩「薔薇の幽靈の詞」と長篇詩「抜錨の氾濫」は、前回ご紹介した大正12年5月発表の散文詩「燃上がる彼女の踊り」と並ぶ棚夏針手の傑作で、完成度や先進性では純度の高い散文詩「燃上がる彼女の踊り」に一歩譲りますが、官能性(性的イメージへの執着)とエキゾチシズム、感覚(特に色彩、匂い、触覚の共感覚)がこれでもかとばかりにくり出される「抜錨の氾濫」はこれだけの長さを費やす必然性も納得させる、実質的に散文詩と抒情詩の混交した奔放な作品です。先進性において「燃上がる彼女の踊り」に一歩譲るというのは、題材や修辞、用語に北原白秋、三木露風、日夏耿之介、西條八十ら大正時代に大家だった詩人たち(特に日夏耿之介的な綺語・稀語趣味)や、棚夏針手が翻訳で読んでいたと思われるマラルメ(「碧空」「焰」「円環」)やグールモン(「毛羽」)、イエイツ(「レダと白鳥」)ら西洋の象徴主義~19世紀末詩人らの影響が比較的明瞭にうかがえるからですが、「薔薇の羞恥部」という性的暗喩を中心に螺旋状に多種多様なイメージを交錯させたこの長篇詩は「抜錨の氾濫」のタイトル通り、爆発的な喚起力と迷宮的な読書体験に読者を誘う、酩酊感すら感じさせる詩篇です。タイトル、また随所に顕れる(詩的想像力上の)航海のイメージは、上田敏が未定稿翻訳で残したランボーの「醉ひどれ船」を下敷きにしているかもしれません。また、「抜錨の氾濫」と同時発表された「薔薇の幽靈の詞」は序文に留まらないマニフェスト的詩篇で、刊行予告広告として掲載された「雜艸 (詩集  薔薇の幽靈  目次)」もまた詩集後書き、または序文として格調の高さとともに、棚夏針手という特異な詩人の言語感覚が横溢した、詩集の一部と見るべき自注となっています。『棚夏針手全集』の編者・池田竜氏もこの「雜艸」を詩集後書きの位置に置いています。池谷氏の調査によると未刊詩集『薔薇の幽靈』収録予定詩篇は序詞「薔薇の幽靈の詞」を含めて全22篇、うち大正12年8月までに発表された詩篇、詩集刊行予定が未刊になったのち昭和4年までに散発的に発表された(大正12年8月までに創作されていた)詩集収録予定詩篇は合わせて14篇(ないし既発表詩の改題改作と推定される1篇を含めれば15篇)になり、8篇ないし7篇は未発表のまま原稿自体が散佚しています。池谷竜氏編の『棚夏針手全集』は上巻に未刊詩集『薔薇の幽靈』現存詩篇の全篇を収め、下巻に『薔薇の幽靈』未収録詩篇、俳句・短歌、散文(同人誌雑記・寸評)、棚夏針手宛ての高鍬侊佑書簡集を収めています。詩集『薔薇の幽靈』収録予定詩篇とはいえ、大正13年以降に発表された棚夏針手の詩篇は年々寡作になるとともに「抜錨の氾濫」までの詩篇に見られた生彩は欠けていき、それらも含めて現在確認できる棚夏針手の全貌は池田竜氏編『棚夏針手全集』上下巻に集成されています。しかしこの謎めいた詩人は、生誕120年、未刊詩集『薔薇の幽靈』から100年を経た現在もいっそう謎を深める一方の存在なのです。

池谷竜・編著作目録

『雄鶏とアルルカン: ジャン・コクトーの音楽小論』2019年10月17日
『不死者の不幸: ポール・エリュアール詩画集』2020年11月18日
『愛の紋章: ポール・エリュアール中期詩選集』2021年5月1日
『棚夏針手全集  上巻』2021年6月1日
『山田一彦全集』2021年8月15日
『棚夏針手全集  下巻』2021年9月1日
『吉田眞之助全集 上巻』2021日9月12日
『井口蕉花全集』2021年11月17日
『長谷川弘詩集』2022年6月21日
『高鍬侊佑全集』2022年8月10日
『北村初雄詩集 上巻』2022年10月12日
『北村初雄詩集 下巻』2022年12月2日
『北村初雄詩集 補巻』2022年12月2日
『大手拓次詩集 上巻』2023年4月18日