ドイツ・サイレント映画史(30)『日曜日の人々』(ドイツ, 1930) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

『日曜日の人々』(監=ロベルト・シオドマク/エドガー・G・ウルマー、ドイツ, 1930)
『日曜日の人々』Menschen am Sonntag (監=ロベルト・シオドマク/エドガー・G・ウルマー、Filmstudio=Stiftung Deutsche Kinemathek, 1930.2.4)*74min, B&W, Silent; 日本未公開 :  

 これまで観てきたサイレント時代のドイツ映画も32本目(長編29本、短編3本)になる今回の『日曜日の人々』で感想文はおしまいになります。自主映画の本作は五人の青年素人俳優が実名でピクニックに興じる日曜日を即興演出によるセミ・ドキュメンタリーとして描き、内容、着想、演出、映像センスのあらゆる面においてジョン・カサヴェテスのインディー映画『アメリカの影』1959や、30年後のフランスのヌーヴェル・バーグ運動を先取りした、映画史上特筆すべき、みずみずしい傑作です。ドイツ映画は、1930年4月にはアメリカからジョセフ・フォン・スタンバーグを監督に招いたドイツ映画初の長編サウンド・トーキー作品『嘆きの天使』(UFA, 1930.4.1)が大ヒットし、サウンド・トーキー時代に移行します。サイレント時代のドイツ映画にはプロレタリア映画の古典『クラウゼ小母さんの幸福』1929(ピール・ユッツィ監督)や、ソヴィエト映画界からスタッフ、キャストをベルリンに招いて独ソ合作で製作された『生ける屍』1929(フィオードル・オシェブ監督、フセヴォロド・プドフキン主演、キネマ旬報ベストテン第5位、1918年のロベルト・ヴィーネ脚本作のリメイクで、矢田津世子が絶讃しています)など、サイレント時代のぎりぎり末期でもまだまだ重要作があり、しかもこの連載ではルビッチは入れず、中堅ゆえに主流派とも言えるヴィーネ、グルーネやデュポン、巨匠ランクのラングやムルナウの作品も1~数本ずつしか入れなかったのですから、戦前日本で評判を取った話題作中心のこの32本のセレクトはほんの上澄みでしかありません。ルビッチを断念し、ラングは出世作以前にとどめ、ムルナウは泣く泣く『吸血鬼ノスフェラトゥ』と『最後の人』に絞ったのにパプストから4本選ぶことになったのは、ルビッチの渡米と入れ替わってドイツ映画界の大家になったのがラングなら、バウル・レニとムルナウの渡米を埋めて最重要監督になったのがパプストと言えるからで、ラング自身は表現主義の映画監督にとどまらないにせよ'20年代前半のドイツ映画がドイツ芸術文化全般の傾向でもあった表現主義時代だったなら、'20年代後半にはドイツ芸術文化はノイエ・ザカリヒハイト(New Objectivity、新即物主義)の提唱が実行された時代であり、ルットマンのような映像実験の作家よりもドイツ映画の第一世代のメロドラマ監督ヨーエ・マイやマイの系譜を継ぐループ・ピックの『除夜の悲劇』1924、またノイエ・ザカリヒハイト派映画の究極とも言えるパプストの諸作やパプスト映画の美術スタッフであるエルネ・メッツナーの実録風短編「警察調書  暴行」1929の方がはるかに現在でも観るに耐えるので、時代の風雪に耐える映画というのも数世代経ってみないとわからないところがあります。ドイツ版『イントレランス』(D・W・グリフィス、1916)と言えるヨーエ・マイのスペクタクル巨編『ヴェリタス』1918-1919三部作は現在顧みられませんが、『イントレランス』と『シヴィリゼーション』(トーマス・H・インス、1916)からラングの『死滅の谷』1921やドライヤー『サタンの書の数頁』1921を橋渡しする位置にある『ヴェリタス』が今後映画史の里程標的作品と再評価される可能性は十分にあり、ルビッチ、ラングやムルナウからパプストとたどるのではなく、より大衆的な娯楽映画監督だったリヒャルト・オズヴァルトやヨーエ・マイ中心のサイレント時代のドイツ映画史という観点も今後の研究次第では生まれてくるかもしれません。過去の映画だって観る人がいる限りは生き物です。今回観直した作品はごく一部にすぎませんが必見級の重要作ばかりではあり、サイレント時代の日本映画もドイツに劣らず高い到達を遂げていたのは現在観られるごく一部の作品でも明らかなので、日本映画はドイツ映画とはまた異なる輝きが誇れるとはいえ、映画輸出国だったドイツ映画の残存状況の多さは散佚作品があまりに多い日本映画の保存状況からは羨望にたえません。前数回の『パンドラの箱』『アスファルト』『淪落の女の日記』同様、最後の1本になる今回の『日曜日の人々』も極上の作品で、ドイツならずともサイレント時代の終焉期に製作された、もっとも素晴らしい映画に入ります。またこのあたりになると演出や映像感覚は1930年代半ば以降のサウンド・トーキー作品がようやく追いついたのと同じ(つまりサイレント映画ではすでに到達していた水準の)洗練された映画になっているので、サイレント映画を観慣れない方にも違和感なくご覧いただけるものになっています。またこの『日曜日の人々』は『淪落の女の日記』がそうだったように、スタッフ、キャストとも意外なところで現代映画と直結しているので、その点でも外せない作品です。感想文ではそのあたりもなるべく言及するように心がけてみます。





 本作は何とインディー映画、しかも俳優は全員素人です。昔はこんなサイレント終焉期のドイツのインディー映画が家庭で手軽に観られるようになるとは思いもよらず、自主上映会の類いのスケジュール表を調べる時には常に念頭に置き、上映されるたびに一期一会の思いで眼に焼きつけてきたものでした。ドイツのサイレント時代の映画は一握りの著名監督・著名作しか日本盤のDVDが出ていませんが、本作はのちにハリウッドでフィルム・ノワールの映画監督になるロバート・シオドマク(1900-1976)と、ハリウッドの監督ではあれメジャー作品は『カーネギー・ホール』1947ほか数本で、インディー映画でもメロドラマからサスペンス映画、怪奇映画、アクション映画、SF映画まで何でもごされ、イディッシュ語(ユダヤ語)映画やウクライナ語映画、オール黒人キャスト映画など少数民族向け映画まで撮り、しかも作風はむちゃくちゃチープで不条理なので'50年代には戦後のインディー映画運動の監督たちからカルト監督視された怪人監督エドガー・G・ウルマー(1904-1972)の、ドイツ時代の共同監督による両者ともに長編映画処女作という話題性から、ウルマー作品のボックスセットと単体発売で2014年に日本盤発売も実現しています。ウルマーが映画界入りしたのは『ゴーレム』1920の美術セット助手からだそうですから、弱冠16歳の頃から映画人としてのキャリアがあることになります。またラングの『メトロポリス』1927でも美術スタッフとして関わったことから、『日曜日の人々』はインディー映画でありながら『メトロポリス』のカメラマン、オイゲン・シュフタンが撮影し、さらにフレッド・ジンネマン(!)が撮影助手、ビリー・ワイルダー(!)が共同脚本と、この時代・本作だけでしか実現できなかった未来の大映画人が集結したとんでもないインディー映画です。さらに本作は素人俳優たちが本人自身のプロフィールのまま登場し、日曜日の一日をロケーション撮影によるセミ・ドキュメンタリー調で描いた作品で、発想も感覚も25年~30年後のヌーヴェル・ヴァーグ以降の映画そのものという突然変異的な傑作です。



 今回再見したのは2001年のBritish Film Institute版レストアDVDですが、アヴァンの解説タイトルによると本作の2,000フィートのオリジナル・プリントは失われており、オランダのフィルムセンター所蔵が現存する世界最長版の1,600フィート版に世界各国のフィルムセンター所蔵の欠落部分、シナリオから起こした字幕タイトルを補って1,800フィート・73分まで復原したそうです。2,000フィートのオリジナル全長版だったら82分なので、サイレント末期のインディペンデントの自主製作映画としては比較的恵まれた復原と言えますし、画質の良好さは'60年代のB&W映画にも引けをとらない素晴らしい映像が堪能できます。1929年夏(湖の水浴シーンがあります)のある日曜の一日を5人の素人俳優が実名・実際の職業で登場し、主人公たちのピクニックを中心にベルリン市街と郊外の全体の休日の模様を描いた本作は、『佰林=新世界交響楽』1927を継ぎ、ソヴィエトの『カメラを持った男』1929の影響(『カメラを持った男』にいたるまでのジガ・ヴェルトフ作品の影響)を受けて、イギリス盤DVD解説ブックレットでは「ルノワールの『トニ』'35、『ピクニック』'36(公開'46)の先駆をなす作品」とまで称揚されており、前述の通りにのちにアメリカ映画界で大成するロバート・シオドマク、エドガー・G・ウルマー共作の処女作でもあれば、共同脚本にロバートの弟のカート・シオドマク(1902-2000、『狼男』'42、『ドノヴァンの脳髄』'53など)とビリー・ワイルダー、撮影が本作の時点ですでに巨匠のオイゲン・シュフタン(1893-1977、『ニーベルンゲン』'24、『メトロポリス』'27、『ナポレオン』'27)なら撮影助手にフレッド・ジンネマンと、ワイルダーとジンネマンについては言うまでもないでしょうし、トーキー時代にもフランス映画からハリウッド映画まで数々の名作を生み出したシュフタンの業績たるやマルセル・カルネの『霧の波止場』'38、アストリュックの『恋ざんげ』'53、ウルマーのインディー映画『奇妙な女』'46、ロバート・ロッセン晩年の2大傑作『ハスラー』'61、『リリス』'64まで驚くべきほどです。シュフタンが『メトロポリス』で開発した、大小大きさの違うセット・大道具・小道具を撮影距離と焦点深度の調整で一つの実景に見えるように撮影するテクニックは'30年代以降には「シュフタン・システム」として全世界の映画カメラマンの必修科目となり、映画好きの人には生まれ変わったらヒッチコックになりたかったりゴダールになりたかったり、他に俳優や脚本家の名前も上がるでしょうが、カメラマンならビリー・ビッツァーやR・H・トサローと同じくらいシュフタンに生まれたかった自主映画出身の人がいるのではないでしょうか。そういう具合に本作は生みの親たちが凄すぎて、スタッフ名ばかりを眺めているとまるで内容が浮かんで来ませんが、20代後半の若い監督コンビが自主映画で作ったみずみずしい名作で、しかも監督コンビ始めスタッフが一流揃いですから低予算映画のみすぼらしさは微塵もなく、欠落シーンはあってもプリントの鮮明さはつい昨日撮られたB&W映画のようで、映画に青春の香りがする点では『アタラント号』1934のジャン・ヴィゴや『アデュー・フィリピーヌ』1961のジャック・ロジェを思わせます。本作は日本劇場未公開なのでキネマ旬報のデータベースにも日本盤DVD発売時の短いインフォメーションしか載っていません。解説の前置き「低予算早撮り映画の天才~」は余計な紹介なので、本作はこれが処女作の若い映画監督コンビによる無限の可能性を感じさせる作品で、それが才能あるスタッフが結集することができたドイツ映画のサイレント時代ぎりぎりの最後の時期に作られ公開されたのは、本作が映画史上にもいくつかある奇跡の作品の一つであって、個人的な才能以上の何かが生み出した一回限りの奇跡にも見えるのです。一応、キネマ旬報の映画データベースから本作の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ] 低予算早撮り映画の天才、エドガー・G・ウルマー監督によるドラマ。世界恐慌直前のベルリンを舞台に、タクシー運転手とモデルの妻、レコード屋の店員、ワインの行商人、映画のエキストラという5人の、ある日曜日の姿をドキュメンタリータッチで描く。2014年4月4日DVD発売。【スタッフ&キャスト】監督=ロバート・シオドマク、エドガー・G・ウルマー/撮影=オイゲン・シュフタン/出演=ブリジッド・ボルヒェルト、ヴォルフガンク・ヴォン・ウォルターハウゼン




 ――この紹介だけでは誰も予想できない世界をこの映画は見せてくれます。よく引き合いに出される『伯林=大都会交響楽』や『カメラを持った男』、また本作に直接影響を受けたと思われるジャン・ヴィゴの処女作の短編「ニースについて」'31も実は本作に似ておらず、また悲劇の一日を好んで描いた従来のドイツの無字幕映画とも似ていません。二人の若い女性、一応青年の年代に入る三人の男性の素人俳優が、実名と実際の職業で登場し、ある夏の日曜ピクニックに行くまでのいきさつと日曜当日が描かれ、人物たちにはその日ならではの感情の接近や食い違いも生じますが、楽しい休日を楽しんで帰宅するまでが描かれます。最後のシーンは映画冒頭のベルリンの街並みに戻ります。 タイトル字幕「そして、月曜日」「……仕事に戻って」「毎日の挽歌に戻って」「……四人が」(主人公たちが五人なのに「四人」というのは、この字幕が主人公たちのうちの一人のモノローグなのを暗示しているのでしょう)「……百万人が」「……待っている」「……次の日曜日を」が街を往来する人々の映像にシャッフルされて映画は終わります。本作を一日の行楽を描いたルノワールの『ピクニック』に比較するのは自然な連想ですが(『トニ』は素人俳優によるロケーション映画ですが、犯罪メロドラマ悲劇なのでルノワール作品でも『牝犬』'32や『獣人』'38の系譜にあるでしょう)、『ピクニック』はシナリオ全編のロケーション撮影を完了できずに製作中断したままルノワールが渡米し、10年経った戦後に撮影済みのシーンだけで編集完成・公開してしまった(ルノワールには撮影済みシーン紛失のために残ったリールだけで編集完成・公開してしまった怪作ミステリー映画『十字路の夜』'32という前例もあります)本来は長編になるはずだった中編映画で、その偶然のために(『十字路の夜』同様)通常の劇映画のバランス感覚とは異なる名作になった面が多分にあります。『日曜日の人々』は今日画期的な傑作と再評価が定着したので、各国語版ウィキペディアなどには詳細なプロットの分析、キャラクター分析が解説されていますが、そうした研究に見合うだけの中味の詰まった作品であるとともに、素朴にベルリンの庶民の中のごく身近な人物たちの、誰もが過ごすような日曜の行楽を描いた喜劇でも悲劇でもない反ドラマ的な劇映画でありながら、どれだけ人生の実感を伝える映画が作れるかに挑んで完璧な成功を収めた作品であり、分析的研究はあとからついてくるものです。この感覚が本作を特に青春を謳ったものではないのに青年の感性のみずみずしさのみなぎる映画にしていて、趣向として似ている先行作品にはチャップリンの1919年の中編『一日の行楽』が思い出されますし、ドラマが起こりそうで未然に自然に防がれるルイ・デリュックの1923年の傑作『さすらいの女』がありますが、チャップリン作品はコメディですし、デリュック作品は限りなくドラマ要素を稀薄にしたメロドラマで、『日曜日の人々』ほどドキュメンタリー的側面の強い反ドラマ的劇映画は、最初から人生的側面を削いだ映像実験映画『伯林=大都会交響楽』や、社会活動の諸側面を大胆な映画的視点で描き認識の革新を意図した先駆的メタフィクション・ドキュメンタリー映画『カメラを持った男』よりもっと人間くさく、登場人物を描く視点の暖かさによって実験臭をほとんど感じさせない映画になっています。これは単なる日常映画でもなく、人生のささやかな喜びの一日をきちんと描き、おそらくいつの時代の文化圏(西洋、と限定はつくでしょうが)のどの国の観客が観てもしみじみとした哀歓に心打たれ、それが映画各所で点景されている子供から老人にいたる1929年のベルリンの400万人市民全体の庶民感情を映してまるごと観客の心に染みるものになっています。この素晴らしい映画でドイツのサイレント時代の映画をしめくくれたのは本当に喜ばしく、ラング、ムルナウ、パプストら大手腕の監督の傑作群ですら『日曜日の人々』の登場によって実現した日常的充実に較べれば旧来型の劇映画の枠組みにとどまる、とすら言えるのです。デリュック、ルノワール、ヴィゴ、イタリアン・ネオレアリズモ、アメリカのフィルム・ノワール、ブレッソン、ベッケル、ジャック・タチ、そしてフランス以外の国も含むヌーヴェル・ヴァーグ/ポスト・ヌーヴェル・ヴァーグまで『日曜日の人々』はすでに射程にとらえた、映画の未来を先取りした作品であり、それは本作の作者たちも予期しなかったと思われます。奇跡の作品と呼ぶに相応しいのは、まさにそこです。

 なおサイレント時代にはすでにイタリア映画でも素人俳優・街頭ロケ・即興演出による小映画社の庶民映画が製作されるようになっており、またソヴィエト映画でもオレクサンドル・ドヴジェンコ(1894-1956)のウクライナ三部作(『ズヴェニゴーラ』1928、『武器庫』1929、『大地』1930)やレフ・クレショフ門下生のボリス・バルネット(『ミス・メンド』1927、『帽子箱を持った少女』1927、『トルブナヤの家』1928)、さらに監督没後に再評価が高まったエイブラム・ルーム(Abram Room, 1894-1976)の『ベッドとソファ』1927などは、モスクワを舞台に親友同士の労働者青年二人とシェアハウス生活を送るOLのヒロインが妊娠するもどちらの子供かわからないというシチュエーションを描いた、ソヴィエト映画(しかもサイレント時代の!)とは信じがたいほど大胆な青春ラヴコメディで、着想も描き方もゴダールの長編第3作『女は女である』1961をそのまま予言する、ドヴジェンコやバルネットと並んで古典としての評価が定着した、のちのヌーヴェル・ヴァーグそのものといった作品です。サイレント、もちろんB&Wの時代(1920年代末まで)に、すでに映画はそこまで進んでいたのには驚嘆せずにはいられません。いずれサイレント時代のソヴィエト映画や北欧映画(イタリア映画は現存フィルムが少なく、シリーズとして取り上げるのが困難ですが)も連続してご紹介したいと思います。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)