アポリネールの最初と最後(後) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

Guillaume Apollinaire (1880.8.26. - 1918.11.9)
 美しい赤毛の女
 ギョーム・アポリネール

さてぼくはどうやら誰の前でも常識そなえた一人の男だ
生を知り死についても生者が知り得るかぎりを知り
恋の悩みも歓びを味わって
時にはその考えも押しとおすこともでき
数国語を知り
かなり旅行もしたほうで
砲兵隊と歩兵隊で戦争を見
頭部に負傷し クロロホルムで穿顱手術を受け
最上の友をおそるべき戦闘で失い
古いものと新しいものの二つについて一人の人間が知り得るかぎりを知り
今日この戦争についてはさして心配もせず
友よ われらだけで われらのために
伝統と革新のこの長い争いに判決を下してみる
 「秩序」と「冒険」との争いに

神をかたどった口を
秩序そのものである口を持つ諸君
寛大であってほしいのだ 諸君がわれわれを比較する時
完璧な秩序であった人々と
致るところに冒険を求めるぼくらをだ

ほくらは諸君の敵ではない
ぼくらは諸君に広大で異様な領域をあげたいのだ
そこでは花開く神秘が摘もうとする誰にも与えられるのだ
そこにはかつて見なかった色彩の更に新しい光がある
実現してやらねばならぬ
見ることのできない千の幻想がある
ぼくらは君を ものみなが沈黙する広大な領域を開発したい
そこにはまた追い立てることもひき戻すことも可能な時間がある
ぼくらに同情してほしい 無限と未来の国境で
たえず闘っているぼくらに
同情してほしい ぼくらの誤謬にぼくらの罪に
ほら激しい季節 夏がやってきた
春のようにぼくの青春も死んだ
おお太陽よ 今こそ熱い理性の時だ
 ぼくは待っている
いつでもそれを追うために ただそれだけを愛せるように
理性が高貴で優しい形を帯びるのを
それはやってきてぼくを引きつける 磁石が鉄を引くように
 それは魅惑的な姿をしている
 すてきな赤毛の女のように
彼女の髪は金色で
消えない美しい稲妻さながら
それも濡れるティーローズのうちに
孔雀みたいに華やぐ炎のよう

だが笑ってくれ 笑ってくれ このぼくを
到るところの人々 とりわけここの人々よ
なぜなら諸君に言い難い多くのことがあるのだから
諸君がぼくに言わせない多くのことがあるのだから
ぼくを憫れんでくれたまえ

 (原題"Une tolie Rousse"、飯島耕一訳)

 この詩はギョーム・アポリネール(1880-1918)の第二詩集で、生前最後の詩集になった『カリグラム (Calligrammes, poèmes de la paix et de la guerre 1913-1916)』の巻末に収められた詩篇です。1914年8月の第一次世界大戦勃発とともに志願兵として従軍したアポリネールは1916年3月には戦地で頭部に流れ弾を受け腫瘍に悪化、開頭手術のためパリの病院に転院します。そこで見舞いに来た、従軍以前から周知だった女性、ジャクリーヌ・コルブと恋愛関係になり、ジャクリーヌはアポリネール最後の女性となりました。没年の1918年(大正7年)4月には第一詩集『アルコール』1913以降の第二詩集『カリグラム』が刊行され、5月2日にはピカソの立会でジャクリーヌと結婚、コクトーからエジプト美術を贈られますが、11月9日にはこの年から二年間世界中で猖獗をきわめたスペイン風邪(インフルエンザ)に罹患し、結婚半年足らずで逝去してしまいます。享年38歳、まるで北原白秋の歌謡詞「憎いあん畜生」を地で行くような、人生を謳歌して止まない、恋と詩に彩られた短く太い生涯をまっとうした詩人でした。

 晩年三年間の従軍中にアポリネールはダダ~シュルレアリスムの新進詩人たちに開祖的崇拝を受けるようになり、従軍中にも次々と新しい恋愛に邁進し、休暇のたびに新進詩人たちと交わって新作詩篇、小説、評論、戯曲を発表しています。さらに従軍中に恋愛した女性2名にそれぞれ200通あまりの恋愛詩を添えた手紙を送り、それらもアポリネールの没後に恋愛詩集としてまとめられることになりました。しかし生前最後の自選詩集『カリグラム』は刊行翌月に最後の恋人、ジャクリーヌと結婚する予定で編纂されたので、アポリネールが「美しい赤毛の女」と呼んでいたジャクリーヌに捧げる同題の詩篇で締めくくられています。ジャクリーヌはアポリネール逝去後もアポリネール未亡人として45年あまりを生き、1963年に逝去してアポリネールと同じ墓に葬られました。

 この詩篇「美しい赤毛の女」は第一詩集『アルコール』巻頭の自伝的詩篇「地帯」と対応するように、ただし「地帯」がどこまでも拡散していくような内容・構成を持っているのとは対照的に簡潔な詠みぶりで半生を振り返っていますが、半生をかけて追い求めてきたものを「それは魅惑的な姿をしている/すてきな赤毛の女のように」と集中させる、見事で感動的な恋愛詩にもなっています。ちょっとロキシー・ミュージックのアルバム『Avalon』でも連想させるような大団円ですが、最終連の「だが笑ってくれ 笑ってくれ このぼくを/(中略)なぜなら諸君に言い難い多くのことがあるのだから/諸君がぼくに言わせない多くのことがあるのだから/ぼくを憫れんでくれたまえ」と結ばれるのは割り切れない意味深長さを残します。詩集『カリグラム』、また詩集を締めくくるこの「美しい赤毛の女」においてもアポリネールにはまだ語り尽くせないもの、世に容れられないものを抱えこんでおり、第一詩集の巻頭詩「地帯」とこの詩を較べると、5年の間に失われたもの、抑圧されたものがあり、それはおそらく自由の感覚ではなかったかと思われるのです。第一詩集『アルコール』のアポリネールは天衣無縫な自由を生きた詩人でした。第二詩集『カリグラム』も基本的な姿勢は変わらず、詩集の大半を占める変則的な文字組みによる図形詩で遊戯的な要素はむしろ増しています。しかしさらなる過剰な恋愛経験、なかんずく従軍経験はさしものアポリネールさえも壮年と徒労、端的に言って自由の限界と死を意識させるものだったように思えます。それはアポリネールが生涯認めまいとしたもの、また人前で口にしたらアポリネール自身が詩人アポリネールを否定しまうようなものでした。みずから勇んで志願兵となったアポリネールの従軍体験は望んでいたような英雄的体験ではなく、次々と従軍中の恋愛に逃避先を求めたように現実の戦争への失意だったと思われます。結果的にアポリネールは戦地で重症を負い、除隊と最後の恋愛によって第二詩集『カリグラム』を残しますが、「美しい赤毛の女」がアポリネールが理想の女性にたどり着くまでを詠い上げるとともに人生の限界と失意を嘆いた詩篇でもあることは見逃せないことで、ここでアポリネールは軽やかな詠みぶりとともに明らかな疲労を見せています。美しく見事な詩篇「美しい赤毛の女」を詩集巻末詩にしたアポリネールは、流感で急逝しなければおそらく楽観的な大戦後のシュルレアリスム詩人からますます持ち上げられ、惰性であっても優れた詩を書き続けたでしょうが(しかしアポリネール没後3か月の1919年1月、シュルレアリスム詩人からも早くもジャック・ヴァッシェが兵役除隊後すぐに自殺し、1929年に自殺したジャック・リゴーに先んじてシュルレアリストにもニヒリズムの影が生じます)、未知数のまま亡くなった詩人の遺言的作品としてこの「美しい赤毛の女」は見かけよりずっと複雑な思いの託された、繊細な詩篇です。抒情詩、自伝詩、恋愛詩であるとともに、これは戦争体験詩であることも見逃せません。